過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

老いと死

「墓じまい」①

「墓じまい」①よくある「墓じまい」のケース。本人は都会に住んでいるが、先祖のお墓は田舎にある。しかし遠いので、墓参りもままならない。家の近くの霊園(納骨堂)にお墓を納めたい。そこで墓石を撤去し、檀家は離れることになる。しかし、その際に寺から…

自分が死んだ後も、この現実は存在し続けるのだろうか……。

自分が死んだ後も、この現実は存在し続けるのだろうか……。自分がいなくても、この現実はつづく。自分があるからこそ、この現実があるのであって、自分がいなくなれば、この現実はないのか。このリアルな現実というものは、じつは自分が作り出している幻想な…

死んだらカミとなる。ホトケとなる。

死んだら、人間を超えたなにか偉大な存在になる。すなわち「カミ」とか「ホトケ」になるというのが、日本の宗教のひとつの特徴だろうか。 ───────────────────────── 秀吉も家康も、死んだ後に、カミになって祀られた。 家康は東照大権現として日光に祀られ…

夫を亡くした方に出あったので、しばし立ち話

保育園にあかりを連れている帰りに、近頃、夫を亡くした方に出あったので、しばし立ち話。いまはひとり暮らしになった。出会うたびに、寂しそうな風情が漂ってくる。もう80はこえておられる。 ───────────────────────── 「寂しくなりましたねぇ」と声をかけ…

靖国と鎮魂 ②

日中戦争から太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属の数について、日本政府は230万人(1937〜45年)と言っている。特攻隊は4千人だ。民間人の戦争犠牲者を含めれば、300万人。さらには、アジアの戦死者は1,000万人とも(数は不明なものが多く、正確ではない)。 …

免疫力が落ちてきているなぁ

あかり(3歳)が風呂から上がって、ぼくの横で、裸のまま動画を見ていた。暑いときだった。くしゃんとくしゃみをした。あのときにちゃんと、服を着せればよかったのだ。翌日から鼻水が出て風邪をひいた。次に妻に感染した。やがて、こちらにも感染した。いつ…

靖国と鎮魂 ①

「陛下は靖国を潰そうとしている」と靖国神社の宮司が語ったとして物議を醸している。そこで、靖国神社についてまとめてみた。◉戦死者はすなわち命(みこと)であり神となるこれまで靖国神社を参拝したことは、幾度かある。伊勢神宮のように静寂感のある場所…

自ら命を断ったら、どうなのだろうか。

生きていくのがつらすぎるというとき、じゃあ、この人生、死んでしまったらラクだろうか。自ら命を断ったら、どうなのだろうか ◉おしまいそこでゲームセット、はいおしまい。この世のことは、もう関係ない。死んでしまったら、この世界というものは、もはや…

子育てたいへん

「いやー、たいへんたいへん。子育てたいへん。なにしろ体力がいる」「そりゃそうだよ。よくじいちゃんはあちゃんが、孫が来たら、数日でへとへとになるよね。それが365日なんだからさあ」「こんな年とって、子ども生まれるなんて思わなかったよ。人生の計画…

「仏教の源流・インド」の話をお寺で

このお彼岸に、お寺で講演を依頼されている。臨済宗方広寺派の泰月院。法要の後、檀家さんを相手に話してほしいということだ。100人くらい来られるようだ。9月23日。といってもぼくは、壇上からありがたい話はできそうにない。何を話そう。春野の山里暮らし…

いまここをちゃんと生きる、それしかできない。それもできないのだ。

すでにして、9月も7日。秋だなぁ。 鈴虫とコオロギの鳴く声がする。そして、雨粒の音。網戸の外には、ヤモリが数匹、あるいている。その這うすがたが、可愛らしい。 あかりがよろこぶので捕まえてあげた。洗面器の水に浮かべてたら死んでしまった。ぶーんと…

墓じまい(6)直葬、樹木・海洋葬、ゼロ葬

この夏、カタリバ「看とりとおくり」を主催した。その中の語り合いで、でてきた話題を取り上げて紹介している。都会では「直葬」が増えている。ある調査では都会の葬儀の2割にもなるという。「直葬」とは、通夜や告別式を省略して、火葬場で火葬することを…

墓じまい(5)先祖供養

親しい人が死ぬ。故人は無になって、この世には、いない。霊体としてどこかにいるのか、あの世とか浄土にいるのか。あるいは、すでに転生しているのか。だれにもわからない。しかし、どこかに存在し、いまにつながっているような気がする。先祖などは、自分…

墓じまい④遺骨は煙となって

遺骨に、死者の霊とや魂が宿るという観念があるのだろうか。故人の唯一残りつづけるもののシンボルは、遺骨。遺髪も爪もあるが、遺骨が最強。粗末には扱えない。そんなことしたら、死者のタタリがありそう。それは怖い。それゆえ、日本人は代々遺骨を大切に…

墓じまい③宗祖自身はどう言っているのか

仏教の宗祖自身は、墓などいらないという。供養などいらないと言っていた。釈迦自身が死にのぞんで、弟子たちに遺言したのは、「葬儀などにかかわるな。おのおの、怠らず修行せよ」と。「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずら…

墓じまい②遺骨にたましいが宿るものなのか

カタリバ「看とりとおくり」を主催しているので(8月は4回の開催であった)、いろいろな事例を聞く。相談も受ける。そこで、論議されていた内容をすこしずつ紹介していく。「墓じまい」については、なかなか厄介。いまの墓所から別のところに遺骨を埋葬する…

墓じまいについて

墓じまいをどうするか。「墓じまい」をしたいという人たちが増えている。とくに都会に暮らしている人たちだ。いろいろな理由がある。先祖の墓が遠隔地でお参りできない。お寺の和尚が尊大とか贅沢で気に食わない。別の納骨堂や合祀墓にしたい。子孫に墓の苦…

カタリバ「看とりとおくり」完了

カタリバ「看とりとおくり」完了。この8月だけで、3回の語らいの集いと1回の講演会を主催した。合計して60名ほど参加者だった。講演会では、大坂から三浦紀夫さんが、臨床現場の僧侶として看とり体験・おくり体験、グリフケアのこと語っていただいた。最終回…

カタリバ「看とりとおくり」3回目 8月31日。14時〜16時。

8月31日。14時〜16時。カタリバ「看とりとおくり」3回目。今月の最終回。今回のテーマは「供養」。亡くなった人って、ある程度の期間、この世にいるものなんだろうか。もしも霊界などあるとしたら、それらに対する供養は、可能なんだろうか。じゃあ、どん…

カタリバ「看とりとおくり」の集いの2回目

8月27日、カタリバ「看とりとおくり」の集いの2回目を行った。8月25日には、臨床現場の僧侶として三浦紀夫さんに講演をお願いした。会場は、浜松市鴨江アーセンター。主催は、NPO法人楽舎。後援、浜松市。(公)財団法人在宅医療 勇美記念財団の助成事業。…

「看とりとおくり」の講演会を開催した

死ぬまでは医者の仕事、死んだ後はお坊さんの仕事。そんなふうになっている。しかし大切なのはまさに死にゆく時のケアー。しかも、死にゆく時だけではなく、それまでの生き方の支えとして、仏教の教えを伝えたり、あるいはその人の生き方を傾聴していくこと…

8月27日(月)の講座は2本

8月27日(月)の講座は2本。また山奥から〈まちなか〉に出かけてゆくことになる。14時〜16時:「看とりとおくり」を語りあう集い。特に講師なし。それぞれの思いを語りあう。肉親の看とりとおくり、自ら終活も含めて、なんでも。参加者5〜10名くらいの見込…

看とりとおくりの講演会は本日

きょうはこちらの講演会の主催。ぼくがインタビューしながら、三浦さんに話してもらう。14時から。鴨江アートセンター。参加費無料。三浦さんは、わざわざ大坂からきていただく。「看とり」から「おくり」までおこなっている臨床現場のお坊さん。そのリアル…

「看とりとおくり」次は8月25日(土)14時から。

「看とりとおくり」次は8月25日(土)14時から。坊さんというと、亡くなって後からが出番。しかし、ほんとうに大切なのは、まさに死にゆくとき。そこに安心が与えられるかどうか。そして、遺族に対して、グリーフケア(悲しみと孤独感で崩壊していきそうな心…

「看とりとおくり」の集い

昨日、鴨江アーセンターで「看とりとおくり」の集い。今年の2月には連続7回の講座を企画したが、今回は3回の集いと1回の講演会。語り合いをメインにしてみた。結論を出そうとか、なにか知識の習得やワザの伝授が目的の集いではなく、看とりとおくりの原点か…

死んだらどうなるか

死んだらどうなるか。……わかるわけないけど、いちおう考える素材として。この世は、自分が作った世界。夢という見方。自らが夢の世界を創出して、その中で喜怒哀楽をして遊んでいる。それが、この人生。夢から覚めたら(生が終わって肉体を離れたら)、なぁ…

「看とりとおくり」のカタリバを企画 8月18日から

8月18日から、「看とりとおくり」のカタリバを企画しています。適当にゆるゆると自らの死に方、送られ方、親しい人の看とりとおくり、供養について語ります。お盆の季節ですし、ちょうどいいテーマかと思います。少人数で、お茶とお菓子を食べながら語り合い…

演会の案内:臨床現場の僧侶が語る 「看とりとおくり」

講演会の案内:臨床現場の僧侶が語る 「看とりとおくり」「看とり」と「おくり」の実践を行っている僧侶がいる。悲しみと孤独感で崩壊していきそうな心に寄り添う。それがグリーフケアである。彼の話は具体的で実践的だ。利用者(高齢者、障がい者)と関わる…

カタリバ 看とりとおくり

どうやって看とりたいか。看とられたいか。どうやっておくりたいか。おくられたいか。それぞれが「思いを語りあう場」を企画した。ずっと先のことのようでいて、目前の問題。他人事のようでいて、わが身の切実なこと。人の死は、やがて自分の死に。死を見据…

ひとり暮らしの老人のケース

あかりを連れて、ご近所で夫を亡くされた方の弔問に行ってきた。葬儀には行けなかったが、仏前で「開経偈」「舎利礼文」「普回向」をよませてもらう。あかりも、リンを打って和した。あかりは、なにも知らずに楽しそうに踊っていたが。まあ、それも供養にな…