過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ヤマギシ──寺から無所有の世界に出家

かれは「寺」から、ヤマギシに「出家」した。いまヤマギシ会の実顕地(集団農場みたいなところ)で暮らしている「持ち物といえば、メガネ、歯ブラシ、下着、手ぬぐいなど、風呂敷に収まるだけです。なんの財産もたない生活って、清々として心配のない日々な…

お米の虫たち

きょうは晴れたので、玄米を縁側で広げて虫干しをした。ものの10分もすると、お米のなかから芋虫みたいなのが、ウヨウヨと這い出てきた。いつも湿った暗いところにいるので、明るさと暑に驚いたのだろう。大きさは1センチくらい、半透明ですこし赤っぽい。そ…

カルカッタの夕暮れ

夕方、通りに出ると、路上で寝ている者たちがごろごろといる。井戸水の蛇口をがちゃがちゃと音をさせて、少年たちが体を洗っている。赤ちゃんを抱えた乞食が「この子にミルクを」とすがってくる。人力車の車夫が「安くするぞ」とやってくる。「マナリのハシ…

なんと割礼の儀式が

ライトに照らされて、男の子と長い髭を生やした老人の姿が見える。男の子は四歳くらいだ。下半身は裸。大人たちに両足をつかまれておちんちんを丸出しにしている。泣き叫んでいる。その前にいる老人は、イスラム教の聖職者みたいな服装だ。手には、竹のナイ…

坐禅と丹田呼吸

「丹田に力を入れてーー、ふいごのように息をしろ。たった一つの呼吸もゆるがせにするな!」警策をもった僧侶が、ものすごい声で怒鳴る。堂内にみなぎる気合いは、武士道のようでもある。警策の打ち方もすさまじい。千葉のマザー牧場のそばにある臨済宗国際…

これは禅の魔境なのか

地面がぐにゃりとゆがみ、なにか異形のものが動き出す。姿を変えてぐおーんと移動する。またちがう生きものが目の前をが動く。アニメの「もののけ姫」に出てくる巨人デイダラボッチのような感じの生きもの。どんどんと形は変化する。音はしない。坐禅の三日…

三十棒打たれる

「道(いい)得るも三十棒。道(いい)得ざるも三十棒」警策(打ちすえる棒)にそう書かれている。大森曹元老師の筆だ。参禅した臨済宗国際禅センターの玄関にかかっていた。答えようと答えまいと、打って打って打ちのめす! あれこれと余計な考えを止めよ、…

バラナシ──生と死が渾然一体の(1)

バラナシ(ベナレス)は、古来からヒンドゥー教の聖地である。その歴史は古く3000年以上もある。菩提樹の下で悟りを開いたブッダも、まずこの地を訪れている。町の中心はガンガー(ガンジス河)だ。この河で沐浴すると罪が清められるとして、年間、何百万人…

パラナシ──遺族はじっと動かない(2)

ここバラナシでは死が隠蔽されず、顕わになっている。あっけらかんとしたものだ。火葬場では、つねに白い煙がもくもくと立ち昇っている。遺体を焼く臭いがあたりに立ち込める。また次々と遺体が運び込まれる。遠くから「ラーム・ナーム・サッチャ・ヘイ」(…

パラナシ──火葬場をめぐる人々(3)

必要な薪の代金が揃わず半焼けで終わる遺体もある。遺灰にならなくとも、そのまま河に流されることになる。ガンガーには、半焼け遺体、動物の死骸、木屑などが浮かんでいることもよくある。葬儀が終わっても、火はまだくすぶっている。焼き尽くされなかった…

ダージリンへの旅(4)──チベットのの難民たち

カルカッタから列車で13時間、バスで5時間かかった。ここダージリンは、ヒマラヤのふもとにある。イギリスの植民地時代、避暑地として開発された町だ。紅茶は世界的に有名だ。チベット人、ネパール人、ベンガル人、シッキム人など多様な人々が暮らしている。…

ダージリンへの旅(5)──徒歩でヒマラヤを越えてくる難民たち

人民解放軍の侵入によって、チベット文化は破壊されつづけた。中国によるチベットの弾圧のことを思うと、いつも胸が痛む。6千以上の寺院はことごとく灰燼に帰した。それは全寺院の9割にも及ぶ。仏像、図像、経典、美術品、法具などは略奪や焼却に遭った。僧…

ダージリンへの旅(1)──列車に乗り込む

インドはなにしろ人が多い。すごく多い。とくに大きな駅にいくと、人でごったがえしている。列車を待つ人は、何千人もいたりする。待合所も狭いので、ホームで寝ている人が多い。こいつはプラットホームで暮らしているのか……と思うようなもいる。ときに牛さ…

ダージリンへの旅(2)──盲目の女乞食と娘

やっとのことで席を確保した。出発には、まだ時間がある。次から次へと物売りがやってくる。チャーイ、ピーナツ、草履、おもちゃ、弁当売りなど。かれらの声で車内は喧しい。物売りが去ってすこし静まった。 後ろの車両から、なにやらもの哀しげな歌が聞こえ…

ダージリンへの旅(3)──バウルとタゴールの歌

カルカッタからダージリンへの20時間余りの列車の長旅のことだ。二等の寝台に寝そべっていると、遠くから歌声が聞こえる。どこか懐かしいような響きだ。その歌声に引き寄せられて行ってみると、列車と列車を連結する通路に座って10人ほどの男達が輪になって…

マザーとの出会い(1)──そこにマザーはおられなかった

シスターに、「マザーにお会い出きますか」と聞けば、「マザーは、ミッショナリー・オブ・チャリティー(神の愛の宣教者会)におります。夕方のミサには、みなとともに祈られます」という。「そのミサに参加できますか」ときくと、「もちろんですとも」とい…

マザーとの出会い(2)──もっとも下座におられたマザー

ミサは続く。賛美歌を歌う。ふと何気なく後ろを振りむく。戸口のそばには、老婆のシスターがいた。歳の頃は八十過ぎだろうか。小さな体をさらに小さく丸く曲げ、額は絨毯につかんばかり。ひたすら祈りを捧げている。──シスターの場所は、あちらのはずなのに…

マザーとの出会い(3)──自分というランプの手入れをしなさい

マザー・テレサは言う。「小さい物事に誠実をつくすように。あなた方の力はそこにあるのですから。イエズスをはるか遠くに探しに行くことはありません。イエズスは彼方にいらっしゃるのではなく、あなたの中にいらっしゃいます。ランプの手入れをしなさい。…

マザーとの出会い(4)──ホンモノであるほどに

よくある宗教のリーダーのひとつの型として、信徒とはちがう豪華絢爛たる衣装を着け目立っている。そして、つねに立派そうに上座にいる。話すのも難しい専門用語を使うし、聖典とか難しい権威をもちだしてくる。ま、ローマ法王とだか、日本だと仏教界のえら…

「死を待つ人の家」を訪ねて(1)

インドのカルカッタを旅していたとき、カーリー寺院を訪ねた。早朝、人力車に乗って出かけると、境内はものすごい人の群れでごったがえり、熱っぽいエネルギーで充満している。カーリー神は、黒い肌に赤い舌を出し頭蓋骨の首飾り。血糊のついた剣や槍、髑髏…

「死を待つ人の家」を訪ねて(2)

カーリーテンプルの一角に、「死を待つ人の家」がある。まさに死にゆかんとする人の最期を看取るための施設であった。カルカッタ(現コルカタ)は、インドの東の玄関で、人口は一千四百万を越す大都市だ。ところが、ホームレスは二百万人とも三百万人ともい…

「死を待つ人の家」を訪ねて(3)

施設の中には、十字架に架かったイエスの像がある。『私は渇いている』というイエスの言葉がある。その死の苦しみの中で「渇く。喉が渇いた」とイエスはつぶやくのだ。マザーは、道ばたでぼろぼろになって死にゆかんとする者に、イエスの姿を見た。まさに、…

供養とはなんだろう

故人や先祖を供養するのは、自分たちの行為とか心がかれらに届く、という思いがあるからだろう。故人は死んでも無に帰すことはない。個性はなくならない。生前とおなじように、喜怒哀楽がある。浄土か地獄かわからないが、魂とか霊とかあるいは千の風となっ…

死後の祀られた方

病気と死にかたについて書いたが、死後の祀られかたについても、問題はある。友人が余命半年というので、いろいろと調べてみた。死ぬまでの医療費がかかる。死んだら葬儀代、お墓に永代供養と、なにかとお金がかかる。安くすませたいのなら、合祀・共同墓と…

断食して死んでいく

どうやって死ぬのがいちばんいいのか、健康なうちに考えておいたほうがよさそうだ。 だいたい八割の人が病院で死ぬそうだ。病院に入ると、医者は「一分一秒でも長生きさせたい」とへんな使命感をもつ。やすらかな死よりも、物理的な生存を大切にする。延命措…

生命保険は必要か

近ごろ、病にかかる友人が増えてきた。糖尿、間質性肺炎、肺ガンと、かなり重篤である。人ごとじゃない。病を得てからの生き方、さらには死に方を考えるようになってきた。ぼくは生命保険に入っていない。余裕があれば、入ったほうがいいんだろうけど、はた…

ステロイドの副作用

友人が間質性肺炎で入院した。62歳の女性だ。肺の細胞が繊維化してやがては肺ガンになるという難病だ。美空ひばりもこの病でなくなったという。空咳が続き肺の細胞がつぶれる音が聞こえ、余命は半年と本人は言う。半月前から入院し、ステロイド剤が投与され…

天理をたずねて(2)──礼拝のすがた

天理教の本殿を訪問した。だれでも参加自由らしいので、夕方のおつとめに参加する。参列者は、ざっと千人くらいだろうか。まず一礼・四拍手・一礼・四拍手・一礼を三度繰り返す。手おどりをしながら、みかぐらうたを歌う。「あしきをはろうて たすけたまえ …

天理をたずねて(1)──掃除のすがた

奈良の天理市を訪ねた。ここ天理市は、日本で唯一宗教団体の名称を関した宗教都市だ。町に入ってまず目につくのが「ようこそお帰り」という看板。信徒の宿泊する「詰所」、天理よろづ病院、天理大学など、瓦葺きの和風コンクリートの建物で独特の雰囲気だ。…

インドの遊行者たち(2)──百万人ものサドゥたちが

サドゥという裸形の修行者が百万人が、どどどーっと押し寄せる。その群れに出くわしたことがある。 それは、北インドの神の入り口という名のハリドワールという町。クンブメーラ という十二年に一度の大祭のときのことだ。 この満月の夜にガンジス河で沐浴す…