過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

なんと割礼の儀式が

ライトに照らされて、男の子と長い髭を生やした老人の姿が見える。

男の子は四歳くらいだ。下半身は裸。大人たちに両足をつかまれておちんちんを丸出しにしている。泣き叫んでいる。その前にいる老人は、イスラム教の聖職者みたいな服装だ。手には、竹のナイフを持っている。

わたしは夕方、カルカッタの路地を歩いていて大富豪の家を見つけたのだった。門には着飾った馬が二頭、つながれている。

なかでは宴会が催されている。かまわず、ずんずんと中に入る。男たちが何百人も集っている。服装から、どうもイスラム教徒たちのようだ。外国人の訪問者は珍しいのだろう。いちばん前にどうぞと案内されたのだった。

最初、いったいなにをしているのかわからなかったのだが、これはもしかして、割礼の儀式じゃないかと気がついた。この男の子は、ここの富豪の息子なんだろう。

割礼とは、ペニスの皮を切るという神との契約の儀式だ。イスラム教徒もユダヤ教徒のように幼いときに割礼をする。

しかし、いくらなんでも竹のナイフとは痛そうだ。 男の子はなお恐怖で泣き叫ぶ。だが、がっちりと抱えられて逃げられない。じいさんは、お祈りをしながらギリギリと切りとった。

こうして儀式は終わる。やれ、めでたいということで、会衆は祝福の声を上げる。そのとき、門につながれていた馬が放たれる。パカッパカッという蹄の音が闇に消えていった。