過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カミとホトケ そして天皇霊 

天皇はほんらいは日本国の「大神主」という意味あいがあると思う。
肉体は人間であるが、いわば「天皇霊」ともいうべきのを代々の受け継いている器と考えられる。
それが行われる儀式が大嘗祭(だいじょうさい)である。

靖国神社は、天皇のために亡くなった人たちの魂がおわすのだから、天皇が祭主となって、さまざまな儀式がいとなまれるべきである。
天皇が大神主として参拝されたほうがいい。そういう考えがある。

しかるに、昭和天皇A級戦犯靖国神社に合祀されて以来、参拝しなくなった。平成天皇も参拝されていない。このままでは、天皇が参拝されない神社ということになってしまう。それでは、靖国神社の意義がない。そういう考えがある。

※この投稿は、「天皇が参拝すべきである」ということ主張しているのではない。問題を整理するために、書いているに過ぎない。
  ▽
死んだら、人間を超えたなにか偉大な存在になる。すなわち「カミ」とか「ホトケ」になるというのが、日本の宗教のひとつの特徴か。

秀吉も家康も、死んだ後に、カミになって祀られた。
家康は東照大権現として日光に祀られた。権現(ごんげん)とは、本地はホトケであり、この世にカミとして現れたということだ。いわばホトケでありカミでもある。

遠州国学者であり、本居宣長の師である賀茂真淵(かものまぶち)もカミとなって、縣居(あがたい)神社に祀られている。私はその近くで生まれた。学校も県居(あがたい)小学校である。
  ▽
また、「怨霊封じ」のために、神として祀られることもある。

天神さんと親しまれている菅原道真神田明神平将門などもそうだ。
特異な才能や生まれ、力があったが、無念の思いを残して死んだ場合、タタリを恐れて、カミとして祀るわけだ。
  ▽
軍人もカミになって、「軍神」となる。日露戦争の乃木将軍も東郷元帥もカミになり、乃木神社東郷神社となっている。

太平洋戦争においては、カミは乱発された。国民の戦意高揚のためだろう。どんな死に方をしても(餓死や病死でも)、お国のために戦った人は、死んだらみな英霊であり、即カミとした。‥‥成仏しているとはとても思えないのだが。

そして、カミとして靖国神社に祀られた。靖国には、戦犯となった人たち(A級・B級・C級)もカミとして祀られている。ただし、戦災に遭った民間人は、カミにはならない。
  ▽
また「日本仏教」においては、死んだらホトケと呼ばれる。「成仏した」とも言われる。ホトケの定義がややこしいのだが、死んだら悟りを得たというわけではなく、この世に「未練や執着、恨み」を残さずにあの世に逝ったという意味で使われる。

そのために、坊さんの出番がある。死者に戒名を授け、お経を読む。それは死者があの世に行くために「出家の儀式」をしているのだ。それで、あの世におくる。引導を渡す。
  ▽
ちなみに浄土真宗は、「即得往生」の教えだから、すでに極楽往生している。ゆえに出家の儀式はしない。しかし、お坊さんがきて死者に名を授け、お経をよんでおくるという儀式は、教えの中身に多少の差はあっても、まぁほとんど同じようなスタイルと。

「空援隊」から、本作りの依頼を受けた 英霊について考える

「遺骨を、一体でも多く、一刻でも早く遺骨を埋葬・供養する」。「宗教宗派・主義主張などを超えて活動する」。「できることから始める」。それが「空援隊」の活動理念だ。

遺骨収集の活動を地道に行っているNPO法人「空援隊」の倉田さんから、本作りの依頼を受けた。
そのこともあって、英霊について考えてみた。
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これまで靖国神社を参拝したことは、幾度かある。伊勢神宮のように静寂感のある場所とは感じられない。ざわざわしている。
隣接されているいわば戦争博物館遊就館」にも寄った。半日かけて見て回る。

巡回コースの最後の部屋にくると、戦死者の御影(みえい)が飾られてある。
その前に、白無垢の花嫁人形がずらりと置かれてあった。うっと息を呑んだ。
かれら若者たちが、どんな気持ちで出征し、亡くなったかと思うと、やるせない。

戦死者の多くは、飢えと病気と言われる。
そして、遺骨が遺族に返されてもその箱を開けてみると石ころであったとも聞いた。
最前線では、自分が死ぬかもしれない。遺体を荼毘に付して骨にするような余裕などあるはずがない。
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靖国の御影の下には、みな「◯◯命(みこと)」と書かれてあった。かれら戦死者は、命(みこと)、すなわち神、英霊ということだ。

かれら戦死者は、戦死した瞬間に英霊=神となる。神として英霊として靖国神社に祀られる。英霊たちは、集合霊、祖霊、大和魂として、国を護ってゆく。これが、「国家神道」の理論だ。

それは、明治に作られたいわば新興宗教である。御神体は、天皇だ。天皇を現人神としている。
  ▽
もともとの神道では、三十三年間の鎮魂期間を経なければ神にはなれない。
死んだばかりの人間は「荒御霊」(あらみたま)であり、たましいは鎮まってはいない。
三十三年間、あるいは五十年の鎮魂期間があってようやく「和御霊」(にぎみたま)となる。やがて、祖霊となって集合霊となって子孫たちを護る。ムラを守る、祖国を守るということになる。

その意味からすると靖国神社の祭り方は、従来の神道の考えとは異なる。
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明治新政府は、西洋列強に伍すために、絶対主義国家をつくらなくてはならない。そのために、天皇を現人神とする天皇教ともいうべき国家神道をつくりあげた。

お国のために亡くなったのに、天皇の命令によって戦争に行かされ、命を落とした。それは、「荒御霊」(あらみたま)である。しかし、それでは具合が悪い。
だから、戦死した瞬間に、神となるという教義にした。
戦死しても、神になるのだから、遺族もよろこび安心する。
そうして、みんな喜んで戦地に赴いてくれるだろうという思惑があったのだろう。
  ▽
ちなみに、靖国神社の鳥居のそばに巨大な像があるが、大村益次郎である。西洋兵法を研究し、日本の軍制を改革して近代陸軍を創設した功労者だ。

維新の戦いにおいて亡くなった志士たち、官軍の兵士たちをまつるために作られたのが、「東京招魂社」。それが靖国神社である。その東京招魂社の祭祀に遠州報国隊(遠州の神主を中心とした隊)が深く関わっている。

靖国は戦犯となった人たち(A級・B級・C級)もカミとして祀られている。しかし、西南戦争として国に刃向かった西郷隆盛会津の兵士たちは祀られていない。そして、空襲などで亡くなった民間人も祀られていない。(続く)

こちらが川を渡っていこうとしたら、母が〝来るな来るな、戻れ戻れ〟と手で合図したのよ。

───そういえば、脳梗塞とか脳出血とかしたんですよね。

「そう。もう7年前になるわね。くも膜下出血だったのよ」

───うわっ、それはたいへん。で、どんなふうに?

「その日は肩がこって、痛くてたまらない。突っ伏して寝ていたのよ。これはいけないと、自分で救急車を呼んでいるうちに、倒れたんです」

───で、だれが連絡してくれたんですか?

「さいわい、妹がいて、連絡してくれた。でも、救急車が他に出ていてすぐに行けないと」

───それはたいへん。で?

「〝息をしていますか〟していません。〝心臓は動いていますか〟動いていません。〝じゃあ、電話をスピーカにしてください。心臓マッサージしてください。やり方を教えます〟ということで、マッサージすると、心臓がやっと動き出した。それから救急車がきたんです」

───うわあ、死にかけた。
「そうなの。あのときたぶん死んでいたと思うの。それで浜松医大に搬送されたんです。医者は〝たぶん無理だと思います〟と身内の人に伝えた。それで家族は、葬式の準備をした。しかし、やがて生活反応が見られた。そして、蘇生したんですよ」

───そんなことあったんですか。

阿波おどりの練習にいくとき、すこし時間があったので、A洋品店に寄った。店主は80歳の女性。軽トラで行ったので、いらない端材を、薪ストーブ用にたくさんもらってきた。小さなミゼットアイロンとか、平均台になりそうな木の台とか。掘り出し物があった。その時の話をしたのだった。

───いちど死んだみたいなものですね。なにか、幽体離脱とか、光のトンネルとか、みえたりしましたか?

「そんなものはなかった。でも、‥‥そう。母が出てきたの、川の向こうに母親が。そして、こちらが川を渡っていこうとしたら、母が〝来るな来るな、戻れ戻れ〟と手で合図したのよ。それで、この世界に戻ってきたんだと思うわ」

───「三途の川っ」ていうけど、そういうのあるみたいですね。ところで、なにか宗教とか信仰とかもっておられましたっけ?

「そんなものはないわよ。〝わたしのなかに神がある〟それで生きてきたの」

───うん。それがいいね。ところで、きょう阿波踊りの稽古があるけど、いかない?

「きょうは無理だけど、踊りは大好き。風の盆とか郡上八幡の踊りとかよく言っていました。ぜひ、やりましょう。次回からは参加しますよ」

───もうこんな閉塞的な時代、踊るしかないですよね。
「そうそう。みんなで踊りましょう」

研究論文に応募してみたよ

日本生命財団が、「児童の健全育成」の研究論文の助成をしているということを知ったのが昨夜。ところが、なんと締切は今日の消印有効ってことに。
しかも、過去の実績を見たら、そういう研究論文のほとんどは、大学の教授や准教授ばかり。

私は、アカデミックな論文など書いたことはない。ああ、こりゃ無理だ。
‥‥と思った。
しかし、まあやってみようじゃないか。なにごとも試してみて、自分の実力がわかるってことだし。

専門の教育学を研究している人よりも、「不登校児の親という当事者」「衰亡していく過疎地に暮らしている」。そこを〈比較優位〉にもっていくことができる、かもしれない。

ところが、書類を書き始めると、なんとも膨大すぎ。
研究手法、研究に期待される効果、研究フィールドとその概要、研究のこれまでの経過、研究の特色 先駆性・開拓性・波及性等、収支予算とその根拠、すごくたくさん項目がある。

まあ、とりあえず大急ぎで書いた、いま読み返したら、誤字脱字もあるし収支計算も大雑把。ま、ダメモトというか趣味みたいなもので、申請してみた。以下、出だしの部分。
  ▽
〈背景〉小・中学校における不登校児童生徒数は全国で30万人ちかくになる。
不登校児童は増加のいっぽうであり、社会問題化している。児童のみならずその親もまた、心労を重ねている。

まさに多様性が求められる時代。しかしながら、コロナ禍のマスク装着のように、日本という国は同調圧力が強い。同質なもの以外は排除されがちである。ましてや「学校に行ってないなんてとんでもない」という価値観をもつ地域の人、親や親戚は多い。そのなかで不登校を選択した児童本人、そしてその親の心労は大きい。
  ▽
〈研究の独自性〉この研究は、過疎の山里における不登校児童とその親(とくに移住者の家族)を対象に研究を行う。いかにして不登校となったのか、その理由ときっかけ。どのようにして一日を暮らしているのか。親の抱える問題はなにか。そして、とりまく教育環境、子育て支援、子供の第三の居場所を探求し、不登校の課題を明らかにして児童のウェルビーイングに貢献しようとするものである。

田舎暮らしを希望する移住者は少なからずいる。
豊かな自然と家賃など安価なことで、子育てには適している。

しかし、以下のようにさまざまなハードルはある。
「子どもが少ない」「地域が閉鎖的である」「育児サポートが充実していない」「仕事がない」「急速に過疎化しており年寄りばかりである」「診療所が少ない」「買い物が不便」

とくに、山里の過疎地に移住する家族にとっては、「子どもが少ない」「地域が閉鎖的である」「育児サポートが充実していない」は重要である。

地縁と血縁がないだけに、子どもを預けられない。子育ての比重は母親にかかる。
保育園もない、学童保育は週に3日、それに代わる「保育ママ制度」は、当地域では、しばりがありすぎる(保育ママが1軒しかない、自分の子供がいると他の子供を一緒にみてはならないなど)。

子どもは地域に同世代の子どもがいないために、親とのやりとりがメインになる。母親はストレスフルになる。そして、その鬱積は夫に及ぶ。
  ▽
不登校児童とその親はどのような課題があるのか。いかにしてそれを克服しようとしているのか。コペアレンティングのありようをリサーチする。

そのうえで、不登校児童のウェルビーイングはいかにあるべきか、どういった可能性があるだろうかというモデルを提案する。

村上老師が僧侶になることについて語った録音や記録

朝一で、フランスの僧侶からの次のような質問を受けた。

池谷さんへ、
質問があります。村上老師が僧侶になることについて語った録音や記録はありますか?
村上老師が僧侶になるために必要なことを教えています。特に、禅僧は組織の一員ではなく、森の中の虎のようであるべきだと言っていたと思います。そうでしょうか?

敬具
合掌
法衣

それに対しての返事。


とくに詳しくは聞いていませんが。心構えとしてはこんな感じです。
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「学道の人は最も貧なるべし」
と、道元禅師は言われた。ものをたっぷりもって、ゆっくり設備を整えて、それから坐禅でもしましょうか。そんなものじゃあない。
人間はおもしろいね。ものをもつほどに腐ってくる。ものがなければないほど、ぎゅーっと引き絞られて光り輝くよ。

村の中に 森の中に
はた海に 
はた陸に
阿羅漢 住みとどまらんに
なべてみな 楽土なり
            (法句経)


与えられたところが、すべて道場。
どこにおろうが、そこが安楽国となる。随所に主となる。

ほめられもせず
苦にもされず
そういうものにわたしはなりたい
             (宮沢賢治


ほめられもしない、苦にもされないデクノボーでいいんだ。
自分は一切ないのが、本来の坊さんのありようだよ。

食った食わんじゃというのは、世間のこと。布施を頂くのは、仏さんに頂いて、仏さんのために使わせて頂く。衆生のために、坐禅の体を支えるためだけに頂く。
そういう心になれば、なべてみな楽土となるんだ。
送信済み
老師はまさに、「森の中の虎のようであるべきだ」という生き方をされていましたね。

瞑想とは思考がフェードアウトしていくこと

瞑想とは思考がフェードアウトしていくこと。漢字だと、瞑(めをつむる)よりも冥(消えていく)ほうがいいかもしれない。

思考そのものは、絶えず忙しく動き回る。エネルギーを浪費している。
なので、思考を静かにさせる。ほんとうの自分の立ち戻る。
それが、瞑想。
  ▽
瞑想にはいろいろな方法がある。
大きく二つでいうと、集中瞑想(止:サマタ)と観察の瞑想(観:ヴィパッサナー)。
 ▽
サマタ(サマーディ)瞑想。集中瞑想。エネルギーがアップする。感性も冴え渡る。動じなくなる。強くなる。攻撃力も防御力も上がる。
それには、集中すること。ひとつにしぼっていく。光や炎をみたり、曼荼羅マントラを唱えるなど。

マントラ真言)は、いわば真理に至るツール、道具、乗り物。
それは、「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」も「南無大師遍照金剛」でも何でもいい。

唱える人が、このマントラがすごい、すばらしい、絶対と信じたり思い込んで徹すると、効果は間違いなくある。背景に切迫感があると、さらに効果化が大きい。

免疫力が上がる。高揚感、自己肯定感、達成感が生ずる。
しかし、自分が「そこにいない」場合がある。
  ▽
それとはちがう瞑想が、ヴィパッサナー(観察:よく自分自身を観る)瞑想。
瞬間瞬間に現実に生きる。自分を観察する。
そのためには、たとえば吐く息、吸う生きに集中する。
息を吸うことによって伴う体の膨らみ、息を吐くことに伴う体の縮みむ。膨らみと縮みに意識を向けるのもいい。

そして、サマタもヴィパッサナーも両輪。
サマタに徹していけば、ヴィパッサナーにも入っていく。
ヴィパッサナーに徹すれば、サマタにも入っていく。
  ▽
そして、またひとつ違った視点。
カルマ・ヨーガ。現実に生きるあの方。人一つひとつに、価値判断を置かない。良い悪い、高い低いの判断をしない。

現実に向き合う。いま出会っている出来事に直面する。そこにちゃんと向き合って生きる。
出会った縁を大切に生きる。人と交流。正直に気持ちを伝える。ちゃんと現実にむきあう。コミュニケーション。

生きているというのは、過去の無限の過去からのカルマの集積だし。
一つひとつ過去からのカルマが滅尽していく、といえるかもしれない。

正直になるということ。正直であれば怖いことはない。心底、明るくなる。濁りがない。飾る必要も威張る必要も、マウンティングをとる必要もない。
  ▽
さらに、感謝の瞑想。なにごともありがたいとして生きていく。
こうして生きていることはありがたい。すべてに感謝して生きていられるのは幸せ。

究極は、あるがまま。なにがあってもオッケー。もうおまかせの人生。

それ、もしかして、脳梗塞の可能性あるよ

なにげに電話してたら、「昨日クラクラして、今朝もクラクラしている」と言う。
82歳のTさんだ。ひとり暮らし。

昨年の夏など、一か月北海道を車中泊するほどの体力、知力、工夫力の方。
でも、やはり年齢という壁はある。

───それ、もしかして、脳梗塞の可能性あるよ。大至急、救急車をよんでみてもらったほうがいい。

そう勧めた。それで救急車を自分で手配。かかりつけ医に連れていったもらう。が、さいわい問題はなかったようだ。
  ▽
ぼくの母親は姉の家に同居している時、トイレで立ち上がれなくなった。様子が変だという。「まあ、一日様子を見るか」といっているうちに、脳梗塞で右手右足の半身不随。以来、裁縫の巧みだった人が何もできず、自己否定感に襲われる。回復せず。

知り合いのお坊さんは、右手がしびれるかなあと思いつつ、新潟までクルマで往復。「不思議と車が左へ左へと行くんだ」という。それで、しらべたら脳梗塞。そして、片麻痺。もう治らない。

デイサービスを経営している時、利用者さんを迎えに行く。朝、転倒した聞いた。やりとりをしていると、どうも発音がおかしい。これは? と思って即座に救急車を呼ぶ。やはり脳梗塞だった。
  ▽
救急車を呼ぶなんて大げさだからと、みなさん躊躇する。しかし、脳梗塞などは、一刻の猶予も許されない。自分で病院に行って診てもらおうなんてしていると、検査検査で待たされるうちに、脳細胞が壊死してしまう。

だから、あれ?おかしいな。相方の喋り方がいつもと違うと思ったら、有無を言わさず救急車を呼ぶ。ドクターへリだ。

脳梗塞して、4〜5時間以内なら、tPA(ティーピーエー:プラスミノーゲンアクチベータ)が使える。血栓(血の塊)を溶かす薬で、詰まった血栓を溶かし、血液が再び流れるようにするのだ。

スケッチは観察

スケッチしていると、とってもい観察になる。
あかりは、いつもスケッチを描くようになってきた。
───出かけるよ。スケッチブックもったかい?
「もったよー」
──じゃあ、いくか。
  ▽
まちなかに行くときは、看板のデザイン、家のデザインなど、これいいね。ここはこうしたほうがいいね、あれおもしろいねと、自分が制作したらどういうふうにするかというところから、話し合っている。

まずは本門佛立宗の正晨寺(しょうしんじ)を訪ねる。
この方は、総本山の大学の理事長をされている。たいへん教養に溢れた方だ。

いつもは、日蓮教学、八品派教学、種脱相対論、あるいは万葉集古今集や俳句について論じあうのが楽しみ。
きょうは、住職と友人の中上画伯の絵の話しになった。
いかにして絵を宗教界に売り出していくか、というところから。
 ▽
その間、あかりは暇なので、台所のスケッチをはじめた。炊飯器、鍋、釜、まな板と描いてた。
それを見せると、住職はたいそう感心してくれた。あかりはサインを頼まれてプレゼントしてた。
「これは宝物にするんだ」と住職は喜んでくれた。

それから、布絵作家の竹山さんの家に本の打ち合わせに行く。
あかりは、暇なのでやはり台所などスケッチしていた。
なんとか、画集は今月で完了。来月に納品かな。
「画集ができたら、池谷さん、展覧会を企画してね」と竹山さん。
──やりましょう。地元の新聞社にも掲載してもらいます。
竹山さんは、ひとり暮らし。今年88歳になる。

近頃は、こけし人形の布絵を毎日作ってはみんなにプレゼントしている。3枚目の写真

 

 

 

そういう態度なら、こちらは民事訴訟をしますからね。首を洗って待っているように。

───そういう態度なら、こちらは民事訴訟をしますからね。首を洗って待っているように。
「勝手にしろ」がちゃん。

じゃあ、訴状を書くか。また裁判だ。裁判の連勝記録重ねるぞ。
と思っていたら、3分後に電話。

「池谷さん。すみません。裁判なんて時間と手間のかかることやめましょう。許してください」

───いや、ぼくは生き方としてポリシーとして、裁判することに決めました。時間と手間なんてちっとも惜しみません。本日、訴状を書きます。
「いやあ、そこをなんとか。あやまります。お許しください」
  ▽
ある不動産屋とのやりとりだ。ある物件を紹介してあげたので、ちゃんと謝礼を支払うということであった。成約した時点で、「○万円払います。ついては、とりにきてください」と言う。

───ええ? 取りに行くんですか。普通は謝礼を持参するか口座に振り込むんじゃないですか。まあ、そのうち行きます。

で、2年間、放置していた。片道1時間半もかかるんだもの。
ところが、娘の柔道着をくださる方がいて、待ち合わせ場所はその不動産屋に近い。

───そちらに行く用事があるから。謝礼をいただきたい。期をまたいでいるので、そちらに合わせます。

「会社の経費では処理できないので、ぼくのポケットマネーで払わなくちゃいけない。ので、半分にしてくれますか?」

───「はい、それは仕方ないかもしれないけど。でも、ぼくが紹介したのは事実。おたくから○万円の謝礼と約束を聞いています。そこはきちんとしたほうがいいのでは」。

「いやAさんも、Bさんもうちの会員だから、ほんらい謝礼は払えない」。
   ▽
ん?事実と違うことを言い出したぞ。
Aさんも、Bさんもぼくが紹介したのであった。その不動産屋の会員ではない。そこで、カチンときたぞ。

───ちゃんと約束を守らない。事実とちがうことを平然と言う。あなたは、そんな商売をしてきていたんだね。こちらは、そのことを広く知らしめます。民事訴訟も辞さないからね。

「2年も放置しているって、どういうことよ」。
 
───なにをいうか。そもそも謝礼だったら、こちらに持参するか振り込むのが普通でしょう。それをとりに来いというのは常識的じゃないでしょう。こちらは、片道、一時間半もかかるわけだし。もしもお金払わなければ、裁判を起こす。

「裁判でもどうにでもしてください」。

こちらは、見せしめで裁判することにした。
ところが、「いや、許してください。なんとかお願いしますちゃんと払います」ということで、さやを収めることにしたのであった。
  ▽
あかりの社会勉強もあって、その不動産屋に一緒にでかけた。となりで、動画撮影までさせたよ。
その日は、お寺の住職と話もしたし、布絵作家の打ち合わせも同行した。
こうして不動産屋にも行く。当初の電話のやり取りも聞いていた。
ぼくの運転中に訪問先に電話してくれる。すこしは助手になってきたかな。あかり8歳。

やりとりで──は池谷。「」は不動産屋。

これから反転攻撃だよ

友人がネットのトラブルに巻き込まれている。
それでアドバイス

いままでは守勢でしょう。これから反転攻撃だよ。

それらの書き込みは、明らかに、名誉毀であり、風評被害を生んでいる。開示請求もしたらいい。
刑事法からも名誉毀損が成立するし、民事法では損害賠償の請求の原因になるよ。
  ▽
「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とある。民法第709条。

不法行為とは、故意(わざと)または過失(うっかり)によって、他人の権利または法律上保護される利益を侵害する行為。不法行為をした者は、被害者に生じた損害を賠償しなければならない。
  ▽
だから、その客観的な行為があったんだから、つかまえたんだから、これから刑事そして民事で攻めていくことをすすめるよ。さあ反転だよ。

まずは相手の特定、確定。そして、土地家屋の謄本をとって、所有関係、資産を明らかにしていく。そこから、ひとつひとつ明確にしていくんだ。

まずは、刑事告訴。続いて、民事訴訟
まあ、民事だと、裁判官は和解調停を勧めてくるから、そこで折り合えばいい。
‥‥ということを友人にアドバイスした。
 ▽
で、戦いモードに切り替えるには、このコッポラの「地獄の黙示録」(ワルキューレの騎行)がいいよ、と。

https://www.youtube.com/watch?v=VE03Lqm3nbI

コッポラの描写がすごいものだ。私は、これが好きで、よく聴いている。まあ、ベトナムの人とは、たくさんの縁があるので、こうした酷いアメリカの攻撃に敗れなかったベトナムに敬意をもっている。

「Being Peace 平和を生きる~プラムヴィレッジスタイルのマインドフルネス」 いちりん楽座の案内


「Being Peace 平和を生きる~プラムヴィレッジスタイルのマインドフルネス」
いちりん楽座の案内
2月27日(日)19時30分〜20時30分(19時から開始前の雑談タイム)
参加ご自由、参加費無料、途中入退室自由。顔出しもご自由。
GoogleMeetで行う。Googleのアカウントがあればワンクリックで参加できる。
https://meet.google.com/cda-bdoe-hap
テーマ:マインドフルネスについての語り合い。
翻訳家の島田圭介さんにゲストとして登場していただく。
実際にプラムヴィレッジでリトリートを体験し、ティク・ナット・ハン師の数多くの著作を翻訳している島田啓介さんに、なぜプラムヴィレッジに惹かれたのか? 30年のお付き合いのあるティク・ナット・ハン師とそのお弟子さんとの体験を中心にかってもらう。
今回プラムヴィレッジから5人のダルマティーチャー(法師)が来日するが、そのツアーの世話役のひとりとして、この来日に望むこと、おすすめポイントなども紹介。
プラムヴィレッジ(すもも村)は、フランスに亡命したティク・ナット・ハンにより、1982年に南フランスに開設された。僧侶、尼僧、一般の在家修行者たちのために開かれた仏教共同体。ベトナム、日本などのアジアをはじめ、ヨーロッパ諸国、イスラム教の人など、200人以上のブラザー、シスターと呼ばれる僧侶、尼僧が暮らす、ヨーロッパ最大の仏教僧院です。この共同体は、世界中から何千人もの宗教、宗派を超えたリトリート(瞑想会)参加者を迎えている。
子どもも一緒に家族でサマーリトリートに参加する人も多く、夏には湖の畔でテントを張ったり、冬にはクリスマスや新年のお祝いをしたりと、年間を通して多くの人がプラムヴィレッジでマインドフルネスを実践している。
◎講師紹介 島田啓介
翻訳家、精神保健福祉士PSW)・カウンセラー、マインドフルネス瞑想案内人、マインドフルネス・ビレッジ村長。体と心の癒しに取り組む里山ハウス「ゆとり家」主宰。(https://www.yutoriya.net/)
丹沢の里山での生活と瞑想・翻訳・執筆活動を実践中。90年代初期に出会ったマインドフルネス瞑想を実践しながら、様々な分野での伝え手となる。95年のティク・ナット・ハン来日ツアーの中心メンバーで、師の著作の翻訳の多くを手がける。
マインドフルネスを中心にした講演、講座、研修など多数。翻訳書や雑誌などへの執筆多数。研修、授業、オンライン講座、個人面談にも、「日常で活かせるマインドフルネス」の手法を取り入れている。
プラムヴィレッジ
https://www.tnhjapan.org/plumvillage

昭和の名曲、中島みゆきを聴いた。一緒に大声で歌った。元気になったよ

「うちの歌手で大ヒットしそうな曲を聞いてもらいます。きみたちこの歌はどれくら売れると思いますか」
ヤマハ音楽振興会の人が聞いた。ヤマハに就職した新人たちの研修のときだ。曲は中島みゆきの「悪女」と「わかれうた」。みな100万枚以上は売れたのだった。
  ▽
次に、ジュニアオリジナルコンサート(JOC)の映像を見せた。コンサート会場で、客が思いつきでメロディーを適当に弾く。すると、15歳以下の子どもたちが、即興でエレクトーンで曲を演奏する。
伴奏もリズムもつけて見事に曲になっていた。グラミー賞を受賞したジャズピアニストの上原ひろみは、こうした基礎を学んで才能が開いていったのだろう。
暗くしていた会場が明るくなった。すると、突然、うしろからツカツカと壇上にあらわれた人物がいた。
挨拶なんてなしだ。前置きもなし。いきなりトップギア
「音楽振興会はけしからん。ジュニアオリジナルコンサートのこんな映像をわしに見せてない。こういう子供の才能を開かせる事業がヤマハなんだ。わかったか。それじゃあね」
そう言うと、スタスタと帰っていった。みなに呆気にとられた。
それがヤマハのワンマン、川上源一会長であった。
ヤマハをリードしていた川上源一は「足元の明るいうちにグッド・バイ」という名言を残して60歳で一線を引いていた。マスコミからはカッコいいと称賛された。
  ▽
川上源一が指名したのは、当時38歳の河島 博だった。本田技研の社長の弟だ。しかし、ワンポイントリリーフのつもりの川島が勢力を拡大しそうなのが気に食わなかったんだろうか。
川上源一は、川島社長がアメリカ出張の時、緊急取締役を開く。
「彼は社長としてふさわしくない。解任してはどうか」と提案。取締役たちは、イエスマンだから誰も反対しない。それで、突然の社長の解任。河島 博は、ダイエー副社長、副会長にスカウトされる。
ともあれ川上源一が返り咲きして、やがて息子を社長をする。息子の家庭教師だった人を副社長に据える。
やがて、労働組合から、「社長としてふさわしくない」と辞任をつきつけられる。息子は「好きで社長になりたかったわけじゃない」と迷言をのこして引退してしまう。
  ▽
ともあれ当時は、私はカッコよくて大きな会社に入ればいいと思っていた。なので、無謀にも、三井物産、松下、ソニー朝日新聞など、まったく脈絡なしだ。
いずれも不採用。されで、ヤマハ浜松市の地元企業で、安定した有名企業でカッコいいと思っていた。それで、ここに就職したいとした。
履歴書に尊敬する人物に「今東光」と書いていたので、川島社長から「どうしてなんだね?」と聞かれたことを覚えている。採用してくれた。
が、配属先は、あこがれていた音楽部門ではなくて、住宅設備機器の部署。ボイラー、風呂、キッチンやドアなどのルート営業。しかも、広島営業所で、担当エリアは呉市とか島根とか鳥取
当時は、東京がすばらしいと思っていたので、「こんな田舎で‥‥」と凹んだものだった。しかし、いま思うと歴史の深い山陰地方で日本海を眺めて、温泉に入って、宝の山にいたのであった。ヤマハには、ほとんど役に立たないこんな私を、よく我慢して使ってくれたものだと感謝しかない。
やがて大きな事故が遭ったり(つま恋で、爆破して多くの死者)とか、社長の解任とか、社内はゴタゴタしていた。それもあって、たったの二年半で転職してしまった。
  ▽
朝、中島みゆきの歌を朝、熱唱していたら、サラリーマン時代のことを思い出したよ。
しかし、中島みゆきって、すごいなあ。
ヤマハの同期のSくんは、中島みゆき著作権を管理する会社の社長になった。年に一回、中島みゆきが来社して、彼女に報告するってのが仕事だったという。うらやましいことよ。
中島みゆきを世に出したのはヤマハである。川上源一であった。だが、川上源一の亡くなった時、通夜の時、中島みゆきがはるばる弔問に来たのだが、密葬のためと線香もあげさせなかったとも聞いた。
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朝、昭和の名曲、中島みゆき吉田拓郎井上陽水長渕剛松山千春かぐやひめ、を聴いた。一緒に大声で歌った。元気になったよ。

心の深層に対する関心というか、微細な心の動きをあかりは理解するようになってきたのかな

あかりは、怖い話が好きでよく読んでいる。
よく怖い物語の創作話をする。
───はおとうちゃん。「 」はあかり。

「自分の子供が死んでしまい、その代わりに人形をかわいがっていたお母さん。ところが、ある日、人形がふと動きだした、やがて歩きだした。そして‥‥」みたいな話をしていた。

──ところで、人形って、男の子よりも女の子のほうがなんだか怖いよね。
「そうだね。怖いね。どうしてだろうね」

──たぶんね。女の人のほうが「念」が強いからじゃないかと想うんだ。
「念って?」

──心の底にためている思いというか。それが念といえるかなあ。
ほら、おとうちゃんなんか、言いたいことバンバン言ってしまうだろう。そのときに爆発しておしまい。そのかわり相手から「だっきらいだー」と言われたりもするけど。
「うん。そうだね。そんなことあったね。」

──あかりもそれ(その気質)を受け継いでいるかな。
「たしかにそうかも」
  ▽
───ところが、言いたいことを言わずに我慢してしまう人っているんだ。顔で笑っているけど、心は違うとか。
「うん。そういう人っているね」

──それでね。外には言わないけれど、その人は心の中で思ってる。それは、隠そうとしても、じつは顔とか表情とエネルギーに出てしまっているんだね。
「うん」

──本心を隠そうと抑え込んでいる。その抑え込むことが重なると、念みたいなものが強くなる。それって、男よりも女の人に多い。
「たしかにそうかも」

──それが、「念」というやつだ。その「念」が、自分を離れて、相手になにかエネルギーとして影響を与える。そんなことがあるんだ。おさえこまれて出口のないエネルギーが噴出することがある。おとうちゃんは、いろいろわかることがあるんだけど、無視している。
「そうなんだ」

───そういうわけで、「念」の強い人が女の人に多い。それで、人形って女の子のほうがなんだか怖い、と。
「うん」
  ▽
まあ、この話の趣旨は、女の人が「念」が強いかどうかじゃない。
そういう心の深層に対する関心というか、微細な心の動きを、あかりは理解するようになってきた。そんな話を親子でするようになってきたというところ。

「死後の世界」についての本の企画中

「死後の世界」についての本の企画中。
タイトル的には、「死に方を学ぶ」「いかに死んでゆくか」「Peace in Die」とか。

コンテンツとしては、これを初期仏教からみて、どうとらえるかと。

ざっくり考えてみた。
①死後の世界はあるのか、ないのか。
②あるとしたら、どうなるのか。ないとしたら、どうなるのか。ブッダはどのように説いているのか。
③生存欲と生存力。生きている力がなくなれば死に至る。しかし、「もっと生きたい」という欲があれば、転生するということか。
④人は必ず死ぬ。しかし、どうやって死んでいくのがいいのか。
「大往生したけりゃ医療とかかわるな 」(中村 仁一著) :という本もある。
⑤カルマ(業)と転生について。生前のカルマが、どのように死後の世界に影響を与えるのか。

みなさんのアイデア、感想をいただければ。

子どもは日々成長していく。あかりが言った「それはいいけど、ちゃんと本題に戻ってね」と横から口に出した

仕事と遊びと探究の境界がはっきりしないけど、仕事はしているんだ。
私の仕事は編集と執筆なんで、売れれば収益はあるけれど、売れなければショボンである。
著者や出版社とケンカしてそのままおしまいってのも、これまで10冊くらいある。
  ▽
ド素人のなんにも知らないひらめきのチャレンジ(盲蛇に怖じず)から、もう25年以上。
なにしろ「著者校」とか「ノンブル」とか「版面」とか、そんな言葉すら知らずにやってきたんだ。

最初は仏教書から、それからなんと医学書(京大の教科書までなったのもあるよ)、そして自費出版から、老人の健康の本から。尺八虚無僧の譜面とかライブの演奏録音のセットまでやった。東京都の労働新聞、国士舘大学の新聞もやったし、いまは真言宗の総本山の新聞もやっている。頼まれればなんでもやるんだ。
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やっと、テーラワーダ仏教スマナサーラ長老の道元禅師の本のゲラまで作成して、今朝、出版社に送った。なんとか春には出版できそう。

「布絵」の作品集の最終打ち合わせは本日。
16万部も売れた『死んだらおしまい、ではなかった』(PHP研究所 大島祥明著)は、出版社から続編の依頼を受けて10年余。ついに、著者が亡くなってしまったのでもう無理だ。勝手に執筆できないことはないけど、やはりそれはあかんやろなあ。
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村上光照老師の本作りも、まだ出版社は決まらないし、なにより自分の精神世界史をまとなくちゃ。『ザンネンな田舎暮らし』とかもあるし。
まあ、幕の内弁当みたいにたくさんジャンルがあるので、絞りきれないのが弱点だ。あちこちにじゃんじゃんと戦線を拡大して、泥沼になり、撤退的できない帝国日本軍みたいだ。
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古家の解体とリフォーム、熱海のジオパーク、田んぼ作り、不登校児の居場所づくり、廃校の活用とか、まあいろいろある。そうだ、医大な画伯の絵の広報と画商もあった。縁があるところから、ぐっと進めていくのが私のやり方だ。脈絡はない。
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まだ、子育てには時間がかかるなあ。幸い、あかりが自分のことを書いたFacebookの文章を楽しみに読んでくれるようになった。

「お父ちゃんの文章は読みやすいよ」と楽しみにして、音読してくれている。いまも隣でのぞきこんで「あ、そこ字が間違っているよ」とチェックしてくれている。まあこうして、子どもは日々成長していくわけだ。あかりが言った「それはいいけど、ちゃんと本題に戻ってね」と横から口に出した。