過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヤモリが夜な夜な現れる

ヤモリが夜な夜な現れる。網戸にペタッと貼りつていている。光に寄せられてやってくる虫を食べるためだろう。

あかりは、ヤモリが好きだ。風呂場で捕まえたヤモリを、ペットボトルに入れて可愛がっていた。
「はまちゃん」と名前をつけていた。
きょうも、大きなヤモリが、網戸の外にぺたっとくっついていた。
「みてごらん、ヤモリがいるよ」。
──あ、きっと「はまちゃん」のおかあさんだ。
「そうかもしれないね」。
──「そらちゃん」と名前をつけるからね。
「そらちゃん」。安心していいよ、もうはまちゃんは干からびて、死んでしまったからね。
お父ちゃん、「そらちゃん」は、どうして首をかしげているか知ってる?。
「わかんない。どうしてなんだろう」。
──あれはね。音を聞こうとしているんだよ。だから、大きん声でわーっと言ったらびっくりするからね。お父ちゃん、気をつけてね。
というようなやりとりをしたのであった。
きょうは幼稚園と小学校の合同運動会だった。あかりを、みんなの調子と合わせられない、ボーッとしている。駆けっこしてもビリ。そんなあかりだが、まあそれだ。かけがえのないたのしい子ども時代を生きているわけだ

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手づくり葬 棺桶を自作する

奥様の余命はあと10日くらいか。医療は、治るために行うもの。治る見込みのない医療というのは、患者に負担を強いるだけ。ということで、ターミナルに入った。

もはや点滴もしない。水も断っている。奥様は60代前半からアルツハイマーにかかり、田中さんはお世話されてきたと思う。

心をこめての「手づくり葬」に向けて、いま棺桶を製作中の田中さん。カヤック手づくりの田中さんならではの腕前。しかし、浮かべて、そのまま川に流し、そして太平洋に漂いながら往生するのにも良さそう。

曲線のカーブがとてもいい。蓋もつくる。周りに般若心経を写経した和紙を貼る。骨壷は大友さんに制作してもらう。土に還るように杉で作った。

葬儀そのものは、お坊さんも呼ばない。親しい身内だけ。奥様の好きだった井上陽水の「少年時代」を流す。そして、カタロニア出身のチェロ奏者、パブロ・カザルスの「鳥の歌」。柩は、田中さんが近くの斎場まではこぶ。

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裁判の相談を受けたので、すこしアドバイスを

裁判の相談を受けたので、すこしアドバイスさせてもらった。

裁判官は法に照らして判決を下す。とはいうものの、「裁判官の心証」というものが大きい。

裁判官の心証を悪くするのは、
①嘘をつくこと、事実を偽ること。
②証拠を捏造すること、あるいは隠すこと。
③裁判所を軽視すること。
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戦略としては、「事実」を否定して押し通すことも可能だ。しかし、嘘をついていくと、必ず辻褄が合わなくなる。まちがいなくボロが出る。そのうち、相手側から強烈な証拠が出てきて覆される。そうなると、覆水盆に返らず。万事休すである。

裁判の結果=判決の怖さは、強制力が伴うこと。国家権力だからね。逃げられない。「いくら支払え」という判決が出たら、有無を言わさず払わされる。払わないときには、強制執行されることもある。財産、資産を差し押さえられ、やがては競売される。
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「この人ってどうか?」という裁判官にあたるときもある。判決を出すのが面倒だから、「すぐに和解しろ」と迫ってくることもある。(たくさん裁判を抱えているので、ラクしたいわけだ)

ぼくの経験したこと。
「こういうケースは、どっちも悪いんだから、五分五分でどうだ」。
──いえ、ちゃんと証拠がありますので、きちんと判決を出してもらいます。
「なにいっているんだ。証拠なんて、そんなもの見やしないよ」
そんな乱暴な裁判官がいた。

そうしたとき、その裁判官とどう折り合うか、というのが一つのポイント。裁判官と喧嘩しても勝てないからね。しかし、このときは、裁判官が「こりゃあ、手間がかかる」と思ったのか、別の裁判官に交代となった。

しかし、その交代した裁判官は、わがやに電話してきて、やはり和解を勧めた。それをまた、断った。結果、完勝したが。
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ちなみに、日本の裁判においてはドラマにあるように、原告と被告ががやりとりするってことは、ほとんどありえない。基本的には「書面主義」だ。

なので、期日までに準備書面を出す。相手は書面で反論する。そしてこちらは、また書面で反論する。そのことで判断をされる。最終的には、裁判官による尋問ということは、すこしあるが。
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そんなことで、かるく一年は経つ。長いときには、5年、10年だ。多大なエネルギーと時間がかかる。集中力が続かず、気分的にも重たい。金もかかる。

これらを弁護士に頼むと、「はい、着手金30万円」「はい、1時間、相談料5千円」「はい、成功報酬15%」「はい、日当2万円」と、小さい裁判でもかるく100万円はかかってしまうわけだ。

千葉の鋸南町(きょなんまち)。台風15号の影響でかなりの被害

千葉の鋸南町(きょなんまち)。台風15号の影響でかなりの被害。 一部では水が断水中、食材やガソリンなどの物資が足ない。 電気は明日流れるよていだとす。屋根が飛ばされ、崩壊している家が多いようだ。マスコミは、ほとんど伝えていないようだが、こういう情報はTwitterが速くて正確だったりする。
 

いろいろと絶望的なこと ランダムに

いろいろと絶望的なこと。ランダムにあげてみた。

①「原発の後処理できず」

福島原発の後処理が全くできていない。放射能は垂れ流し、海にどんどんと捨て続ける。除染のために削った汚染土の行き場がない。

環境省の大臣が、農業の土壌改良に使うと公言している。またベクレル値の基準を緩めたことで、世界の核のゴミが日本に持ち込まれるのではないかと危惧する。フランスがそのビジネスを始めると新聞にあった。

②「原発の依存体質づづく」

原発補助金に依存した市町村は、その体質から脱却できず。廃炉や停止によって、そこの自治体の予算が生き詰まるので、えんえんと原発を続けようとする。

③「地震大国の原発は大丈夫か」

福島原発の爆発の要因は、津波による外部電源の喪失以前に、地震で亀裂が入ったという内部告発もある。各地の原発設計の基準地震動は、一般住宅の耐震強度にも及ばない、とも。

浜岡原発など、南海トラフの上に乗っかり、いざ地震があったりすれば、いまの防潮堤などで防げるだろうか。また、ミサイルやドローンなどで55基もある原発が狙われたら、守れるのだろうか。

④「アメリカへの依存体質」

日米地位協定を変えようという声は上がらない。日本の空をアメリカは自由に飛び、米軍基地もなくならない。そして、日本はきちんとして国防計画もなく、必要もない戦闘機やイージス・システム(イージス・アショア)など莫大な兵器を買い続けている。

⑤「民意を反映しない政治」

自民党の多くの議員が二世、三世の世襲政治家ばかりだ。庶民の生活感覚、苦労は肌で知らない。20〜30代の投票率は30%、全体で50%を切る選挙。政権与党の自民党は30%の得票率で国の政治の舵取りを行う。

⑥「愚民化をすすめるテレビ、マスコミ」

政権に忖度して、事実を伝えず。ゴシップ、食べ物、漫才など、自分の頭で考えようとしない人たちを量産するテレビ。不正の隠蔽や改ざんの体質を、隠そうとするマスコミ。

⑦「多死社会」

生まれる子よりも死ぬ人のほうが多い社会となった。 年に30万人、週に6千人の人口が減っている。教育費など、子育てにお金かかりすぎる。待機児童問題も解消されず。普通に子どもを育てられない社会になっていく。子どもが少なくなければ、国としての活気、成長は止まる。

⑧「スマホとテレビゲーム」

多くの子供たちがテレビゲームに熱中する。読書をしない。自分の頭で考えようとしない人たちを量産するゲーム。

⑨「格差社会、貧困の連鎖」

ろ教育にお金がかかる。貧困家庭から一流大学に行かせるのは難しい。一流企業は、名のある大学から採用する。格差社会は広がるばかり。

⑩「日本は成長が止まり、魅力も落ちる」

アメリカや中国などに、IT、AIは大きく遅れを取っている。 日本の1人当たりGDPは、95年の世界3位からすでに30位近くまで落ちている。 外国人材から見た魅力度ランキングで日本は63カ国中51位(2017年、スイスの国際経営開発研究所調査)

⑪「政官の癒着」

特別会計などにメスを入れようという政治家はいない。

⑫「戦争できる国になりつつあり」

安倍内閣は、閣議決定集団的自衛権を認め、やがては憲法改正自衛隊を軍隊にし、戦争のできる国しようとしている。自衛隊の海外派遣(PKO)も数カ国に渡る実績。もはや歯止めがかけられないのか。

政治家と総理は二世や三世議員ばかりとなった

世は民主主義なので、人々の意思は選挙によって選ばれた議員、そして内閣によって政治は運営されることになる。

問題は、投票率の低さ。なにしろ5割いかない。20台、30台の人の投票率は30%を切るのではないか。そして、自民党は、30%程度の得票率で、政権与党にいるわけだ。
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議院内閣制なので、内閣総理大臣の力、意向は大きい。

その総理大臣は、戦後は、吉田茂のように、外交官出身者が総理だった。国民よりも占領軍のほうをみて仕事をしなくちゃいけなかったわけで。

その後は、大蔵省などの官僚の出身者が総理となる。当時の日本は護送船団方式で、政官がリードして日本を導いていく時代だったからだ。あるいは、ときには派閥の地方の実力者が総理となった。
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そうして時が経ち、「地盤・看板・カバン」がものを言うわけで、政治家と総理は二世や三世議員ばかりとなった。

二世・三世議員というと、やはり庶民の苦労を肌で知るのは難しいと思う。有力政治家が世襲化し特権階層化しているわけだ。

さらには、アメリカの顔色をうかがって、日本の進路を決めているように思われる。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の世界に。
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このままじゃいけない、なんとか風穴を開けたいと思いつつ、難しい。いまは、れいわに大きく期待。戦術的には、共産かな。探求中。

出版方法のいいろな道筋

ある方から出版の打ち合わせ。以下、提案してみた。ま、本を出すときの参考までに。

①「自力で動く」。
自分で企画書作成。原稿をプリント。10〜20社の出版社に送る。しばし、様子を見る。ただ、「ナシのつぶて80%」と思うべし。

②「アクセスがあるのは自費出版の会社系」。
そういう出版社は、読者を見ておらず、著者の自己満足が第一

本の装丁と発行部数によるが、200〜300万円くらいかかかる。友人は、S社に400万円。G社で300万円。B社だと200〜300万円。そして、まったく売れず、在庫を抱えるだけ。さばくのがたいへん。まあそれでも、本が出るのは嬉しいという人が多い。

③「池谷に企画書と出版社とのやりとりを依頼」。こちらに企画書つくりと原稿プリント(それなりにデザイン)と出版社とのやり取りを依頼した場合には、それなりの費用はかかる(編集なし、そのまま)。しかしいまの時代、出版社が出してくれるかどうか、まったくわからない。

「出版社が決まった場合」。そこから出版社と具体的なやりとりとなる。原稿の修正などの作業は、出版社との意向次第。別途費用がかかるかもしれません。

④「出版が決まった場合」印税の割合で配分。かつてよくやったのは、語りおろしでこちらが原稿を作成した時、50─50という配分。それでも、10万部以上、売れた本は3冊ある。

⑤「Amazonのひとり出版社」(POD出版)という道もある。この場合、Amazonで販売可能。在庫をもつ必要なし。印刷製本、発送、代金回収などはAmazon。一冊からでも印刷製本そして発送が可能。

しかし、本のかたちにデザインし編集する必要あり。校正、ISBNコード、Amazonの販社(定価の40%支払い)とのやり取りも含めて、費用はかかる。

⑥「販売のための出版社を使う」。こちらで本を制作し、全国の書店に並べるためには販社(東販、日販、地方小出版流通など)をつかうときには、掛け率60%(定価千円なら600円)程度で展開してくる場合あり。しかし、在庫管理、営業、代金回収などすべてやってくれる。

そのためには、こちらで印刷製本する必要あり。全国の書店展開しようと思うと、せめて3千部、予算があれば8千部からの展開。印刷製本費用もかなりかかる。

⑦小冊子でワークショップごとに販売する方法もある。本の制作費は、想定と部数次第。その工法の仕方は、SNSYoutube、ZOOMなどをつかって展開していく。

「看とりとおくり」の講座の4回目の開催で

もはや肉体が死にゆこうとする時、医療はどういう役に立つのか。
医者としては放置できない。「一分一秒でも生きながらえらせること」が医療の一つの使命である。
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しかし 老衰など治る可能性が全くない場合、無理に生きながらえさせる(胃ろう、点滴、人工呼吸など)することは、かえって死にゆく人に対して負担になる。
何も栄養も与えない、水も与えない方が、 実は楽に平穏に旅立てるということは、よく聞く。
栄養を与え医療処置をするため、かえって地獄の苦しみを与え続けることにもなるかもしれない。
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しかし家族としては放置はできない。 医者としても放置はできず。そのまま医療措置が施され、最後ご臨終ということになる。
そこで「無意味な延命治療はしない」という意図を生前に伝えておくことが大切。 家族とよく話しておく必要がある。
葬儀にしてもこのようにしてもらいたい。墓や散骨などについても同様。
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遺族がいない場合は、そういったネットワークを作って、お互いに協力し合う関係を作っておくことが必要である。
しかしも大切なの司令塔である、プロデューサーの存在である。
医者との調整、親戚との調整、 集落との調整、葬儀会社との調整、 行政との調整など様々な仕事がある。
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そこにいま求つられている、仕事が存在するとも思うのだが、なかなか難しいところではある。
今日は漢方の医療の先生とその辺りの話し合いをした。来年の3月には、 延命治療と尊厳死安楽死、そして看取りと遅れについての語り合いの集いを行うことを企画した。「看とりとおくり」の講座の4回目の開催である。すでにデザインはできている。

初の個展のサポート

天竜区の「くんまの水車の里」の石打さんからから、個展会場に竹山美江さんの「布絵展」を、という依頼があった。

しかし、田山さんは高齢で遠くて行けないということで見送り。その代わりに友人の玉利直江さんの初の個展をお願いした。展示期間は一ヶ月半。初の個展だ。
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段取りをしながら、じつは忙しくて一度も見に行けなかった。たまたまデイービスの開業申請で、消防署の認可を得るために区役所に出かけた折、田中さんちに寄ろうとした。

すると、「きょうが絵の最終の搬入日で、出かける」という。「それは行かなくちゃ」。それで、三人で搬出することになった。絶妙なタイミングで間に合った。
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絵は玉利直江さん、額装は田中康彦さんだ。
今回の初の個展からスタートして、次々と絵の点数も増え、いろいろな場で展示されていく流れができていくと思う。

玉利直江さんの個展は、12月からカフェアポロンで展示。今回の個展が縁で、つながっていった流れだ。
http://www.at-s.com/gourmet/article/cafe/cafe/124619.html
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いま田中さんの奥様がターミナルの末期症状に入っているので、人生の最終セレモニーには、玉利さんの絵を展示して鎮まった空間にできたらいいなというところ。

田中さんとともに考えている。あんまり絵のエネルギーが強すぎると鎮魂になりにくいので、そのあたり配置とデコレーション次第かな。
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ぼくはいろいろな企画をするが、いろいろと縁があったら、点と点を結ぶサポートをさせてもらうというありようだ。最初のきっかけづくりだ。あとは、そのものが自然な流れで自在に展開していけばいい。そしてまた、あらたな企画に入ると。

まあしかし、ぼくもそんなことばかりもしておれない。いまは秋からのデイサービスの新規事業に集中・専念ということになる。収益をちゃんと上げて継続していくことが、まず第一だからね。

 

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こともが遊べて親が交流できる図書館

図書館が好きで、よく通う。気になった本は、ほとんどネットでリクエストして、借りる。春野の図書館には家から車で7分。木質空間で、落ち着いていてありがたい。図書館の前の施設には、広いお風呂にサウナがある。あこれもありがたい。
ところがだ。あかりを連れていくが、はしゃいで走り回ってみなさんの迷惑になる。注意しても、なかなか子どもは難しい。同じ年の子がいたら、これまた大騒ぎになったりする。その度に注意するのもエネルギーがいる。


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子どもが騒げる遊び場兼図書館があるといい。親が本を読めて、こどもがわいわい遊べる空間が一体になった施設があるといい。お母さんたちはおしゃべりができる。そして、絵本やら児童文学がたくさんある。そんな図書館が理想的。駐車場もたくさんほしい。
しかし、まあ地方には無理かと思っていた。
そうしたら、あった。浜松市の隣の磐田市に昨年オープンした、「ひと・ほんの庭 にこっと」だ。


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靴を脱いで、遊べる多目的エリアがひろい。いろいろなおもちゃがある。もちろん授乳室もある。子どもたちは自然と友だちになって、一緒にあそべる。親はその近くでリラックスして読書したりお喋りができる。
図書館司書、保健師、保育士がいるので、本のこと、子育てのことなど相談に乗ってくれる。絵本も児童図書が3万冊はありがたい。


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芝生の広場の庭にも出られて、柵があって子どもが勝手に飛び出していけないようになっている。
ゾウさんの滑り台がある。親は、テーブルの上で子どもたちを見守りながら読書とお喋りができる。
また、自動販売機やポット、電子レンジがあったりと、ゆっくり飲食できる。離乳食や赤ちゃんのミルクを作っても大丈夫。
もちろん、大人が静かに本が読める場もある。自習室も、講座の和室もある。天文体もあるようだ。となりの施設では合気道杖道、ヨーガなども教えてくれる。なんとまあ、ありがたい場だ。


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図書館というのは、たくさんの蔵書があり、本を貸し出して、読むのが本義。が、いまもとめらているのは、情報発信の拠点だ。人と人との出会いの空間。とくに、小さい子がいる場合、子供同士が自由に遊べて騒げて本が読める、多目的な自由な空間が、全国にできていくといいと思う。そこで軽トラの朝市やイベントがあってもいいと思う。
※「ひと・ほんの庭 にこっと」磐田市磐田市上新屋304 TEL 0538-36-1711 オープン:9時30分~18時00分、休館日毎週月曜日・第4木曜日。

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可睡斎に参拝 「三尺坊権現」は本来は、春野の秋葉寺にあったもの

帰りに立ち寄った「可睡斎」(かすいさい)。友人の個展を見たいと思ったのだが、残念なことに、8月末で終わっていた。ちょうど俳優の滝田栄が講演していて、ちらと顔だけ見てきた。

ここに安置されているの「三尺坊権現」(さんじゃくぼうごんげん)は、烏(からす)天狗。じつはそれは、春野町にある秋葉寺(しゅうようじ)の本尊(信仰の対象)である。

明治の神仏分離の時に、秋葉寺は叩き壊されて、本尊の「三尺坊権現」や宝物の数々は、こちらの寺に移されたのであった。その他、秋葉寺の仁王像やら石仏は、谷底に投げ捨てられ、山門や伽藍は潰された。

また改めて、神仏分離における廃仏毀釈(しいぶつきしゃく)については書くことにする。

ま、それはともあれ、ここでいつもすごいと思うのは、トイレだ。こんなに立派なトイレは、ちょっと他のお寺では見られない。

ちなみに、「三尺坊権現」の烏天狗は、本来は、インドのガルーダである。インドネシアは、ガルーダ航空というのを持っているが、そのガルーダだ。

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野草病院まで、出かけた

ちょっとアレルギーの検査に、袋井市の野草病院まで、出かけた。病院の入り口には、ぼくが尊敬している山尾三省の直筆の詩が掲げてあった。

山尾三省さんは、屋久島に住んでおられたすごい詩人。ぼくがかつて国立市に暮らしていた時、近所の八百屋さんの二階で山尾三省さんが自身の詩を読むという集いがあった。その時、二言三言、お話をさせてもらったが、当時の僕は三省さんの偉大さを知らなかった。出会いを逃したのであった。

病院の向かいには、野草社という出版社。ティク・ナット・ハーンや山尾三省ラマナ・マハリシなどの本を出している。あかりは、そこでキッズキッチンで遊んでいた。

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ランはこうしていつも泳いでいる

こう暑いと、ワンコはたいへん。朝の散歩では、ランはこうしていつも泳いでいる。ぼくは、あかりと水風呂に。一日三度くらい入る。

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おばさまたちの意識は、伝統とか慣習のわずらわしさから脱却してきている

デイサービスの事業継続のために、引き継ぎに入っている。この数日は、見習いとして送迎からケアマネ挨拶など、行動している。そして、利用者さんとは、いろいろ雑談をしている。みなさん80台だ。
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こんな話で盛り上がる。友人の奥さんが亡くなりそう。それで、夫は妻の目に自家製の棺桶を制作するという話をすると、「そんなステキなご主人がいて、幸せなこと」と4人の方が言っていた。そして話は、葬儀のあり方にも。

葬儀はひっそりがいい、とも言う。
集落に案内がいきわたると、いわば義理で組と班とか地域の人がいろいろ弔問に来られる、手伝いにきてくれる。しかしそれが、遺族には気持ちの負担になる。香典返しやら、手伝ってくれ人たちに対しての気遣いとかお礼とか。
そのためにも、地元で葬儀をしたくない。まちなかで、密葬でいきたい。
「あら、○○さん、そういえば見なくなったわね。どうしたのかしら……。あら、もう亡くなっていた」と。……そんな死に方が理想だ、という人もいた。
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お坊さんのお経とか戒名とか、どうでもいい。お墓もいらない。散骨でも海洋葬でも何でもいい。そのように子どもたちに言っている。
死んでしまったらもうおしまい。もうこの世とは関係ない。供養とか法要とか先祖供養と言うけれど、それはほとんどが遺族の安心感、自己満足じゃないかしら。
おばさまたちは、そう語っていた。
こんな山里にあっても、おばさまたちの意識は、伝統とか慣習のわずらわしさから脱却してきている。
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多少、池谷的なドライブが効いていたのかもしれないが。「こういう話は大切なことだから、つねに語り合っていきたいわね」とみなさん言われていた。
また、昨年のように、看とりと送りを考える集いをそのうち企画しよう。デイサービスの場でそれをやると、ちとリアリティがありすぎかな。いやしかし、だからこそ、おもしろいともいえるが。
自らの死を語ることは、いまの生を語り、生き方を確認すことにつながるのだから。そして、人はいつか必ず死ぬ、自分がまちがいなく死ぬわけだから。時間の差でしかないわけで。

治る見込みのない医療というのは、患者に負担を強いるだけか

末期医療に入った友人の奥さん。もはや治る見込みはない。
医療というものは、治るために行うものだ。治る見込みのない医療というのは、患者に負担を強いるだけかもしれない。
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延命治療というと、鼻から管を入れたり、胃ろう(胃に穴を開けて栄養補給する)もする。脱水なら点滴注射、血圧が下がれば昇圧剤など、さまざまな医療措置がある。
「延命治療しない」ということは、なにもしないということ。医療処置なし。そうすると、肉体としてこの世にいるのは2週間以内か。
友人は医者から「どうしますか」と聞かれてたという。その判断をしなくてはいけない。
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もはや治る見込みがない場合、かつては、食事をしなれば半月以内。この世を去る。水も飲まなくなれば、10日以内か。
さて、死に旅立つその過程は、苦しいものなのか、安らかなものなのか。そけは。脳内モルヒネが出て穏やかで安らかという説もある。
ぼくの祖母の場合、脳こうそくで倒れて家で亡くなったが、倒れて半月ほどだった。穏やかに逝ったと思っている。母も延命措置はしなかった。その過程は、うとうとして、苦しんだとは思われない。
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医療が深く関わることによって、かえって安らかになりにくい。死にゆく人は、治せないのだ。にもかわらず、医療措置を行うことで、かえって死ゆく人を苦しめることになるのかもしれない。
いのちの火が消えかかっているときは、お腹は減らない、のども渇かないとも言われる。
「脱水」になっても、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がり、ぼんやりとして夢うつつの安らぎに至るとも言われる。
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ともあれ、点滴でつなぎなから、あと2週間。そのように友人はきめたようだ。
その間に、妻のために丁寧に自作の棺桶を作る。木製の骨壷をつくってもらう、ぼくのほうは写真など探して加工してフレームに収める。またいろいろな友人がサポートさせてもらうことになる。