親友の押方左近さんが亡くなった。8月27日と聞いた。
偲ぶ会と言うと湿っぽいけど、「左近さんを語る会」を催したい。
日時:9月21日(土)の13時〜15時
場所は、二俣ふれあいセンターの和室。浜松市天竜区二俣町二俣184−32
左近さんが暮らしていた近くだ。二俣協働センター、図書館がある。茶室もある。
▽
とくに儀式をするでもなく、リンを打って響かせて「左近さん、ありがとう。次の世界でも楽しくやってね」と念じる。あとは、左近さんの思い出話し、自分たちの話に花が咲けばいいかなあと思っている。
ちょうどお彼岸のお中日。彼岸花とススキでも飾ろうか。コスモスもある。
陶芸家の鈴木青宵さんが、深遠な陶器でしつらえてくれそう。石仏師の土屋誠一さん石地蔵を飾ってくれそう。
歌ってくれる人とか舞ってくれる人がいればありがたい。あとは流れで。
▽
あとは、晴れていれば外で炎を眺めて語りあいたい。
それで、15時以降は、天竜川沿いの大園の河川敷。そこで、寛いでそれぞれのペースでゆったりしたい。
各自、食事は用意。ぼくはおっきな20人くらい入れる大きなテントをもってゆく。さらには、七輪と焚き火の用意(炉と薪)かな。キャンプもできる。
子連れもオッケーで大騒ぎもできる。花火もできる。演奏もできる。
参加費とか香典とか何もなし。左近さんを知らない人でもオッケー。各自飲み物、食べ物持参。まったくの友人たちによる勝手なカタリバのご案内。
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いきなりこの巨大な光の絵がどーん
画伯の家を訪ねると、いきなりこの巨大な光の絵がどーんと。
目を近づけてみると、さらに微細な輝きと広がり。ミクロもマクロも、無限な波動をかもしだす。光は粒子であり波動でもある。
無限の彼方から細やかな波状として放射されてくる。
光の粒子が滝のようにあふれてくる。
まあ『華厳経』でいうところの「一即多 多即一」みたいなものかなあ。宇宙の膨張と収縮というのか、光の現出というのか。
▽
年末から来年にかけて、パリとメキシコで個展を開くという中上画伯。
その新しい移転先を訪ねた。千葉のいすみ市。二泊させていただいた。
個展のための作品作りに、なにかお手伝いできるかもしれないと思いつつ。結果的には、とってもおいしい食事を頂いて、たくさん文学や芸術の話をした滞在であった。ぼく自身は、そもそもだいたい役に立たないからね。
▽
ものすごい伊勢海老やら新鮮な魚やら天ぷらやら、奥様の彩子さんのつくってくださる料理のありがたいこと。美しいこと。
こうして他人の家に泊まらせてもらうと、いろいろに自分の生き方、暮らし方を別の視点から見出すことになる。
──ああ、こういうところに移住していたら、どうなったろうか。
でも、そうだとしたら、いまの家庭はないわけで、あかりとも出会わないよ。結局は縁に従って生きてきたわけだ。カルマの回収というのか。それでいいんだと思ったり。
▽
──こうした作品って、自分の深いところからのからの表現ってことになりますか?
「いいや、自分からの表現なんてことは、まったくないんだ」
──なるほど、いわば天から下りてくるって感じでしょうか。
「ううむ、まあそうともいえるし‥‥。自然に作りあげてくれるということもあるし」
▽
技術的なところをお聞きすると、キラキラするのは雲母を混ぜてあったり、膠(にかわ)のような素材が自然と広がっていく、流れてゆく、膨らんでゆくということは、なんとなく理解できた。
そういう目で、この自然界のあらゆるものを見てみると、雨音であれ、朝日の輝きであれ、月の満ち欠けであれ、雑草であれ、葉っぱであれ、浜辺の風紋であれ、見事な芸術作品そのものだなあ。
山里暮らしは13年目。自然の光景があまりにあたりまえすぎて、そういう視点からは遠ざかっていたよ。
▽
この絵に機縁に探求してみたところ、『ユング自伝』が適当かなあと思ったり。以下『ユング自伝』より抜粋。
人間は小さく空虚なるものである。お前たちはそれをすでに後にしている。そして、再び果てしない空間、より小さいあるいはより奥深い無限の中にいる。
測り難い遠いかなた、天頂に唯一つの星がある。これが一人の人のひとつの神である。これはその人の世界、そのプレロマ、その神性である。
この世では人がアプラクサスであり、その世界を産み出し、呑みこむ。この星は人間の神であり、目標である。これは彼の導きの神であり、その中に人は憩いを求めてゆく。
それを目ざして、死後の魂は長い旅をゆく、その中に、人間がより大なる世界からもち帰ったすべてのものが、光として輝く。この唯一のものに人は祈る。祈りは星の輝きを増し、それは死に到る橋を架け、より小なる世界での生命を準備しより大なる世界の絶望的な願いを和らげる。
▽
われわれの基礎は自我意識にあり、われわれの世界、光の視野は自我の焦点に中心づけられている。
このような観点から、われわれは不明確で謎に満ちた世界を見ており、そのように影の多い形態が、どの程度までわれわれの無意識を源としており、それ自身の現実を言っているかを、決して知ることがない。
無意識的存在が本当のもので、われわれの意識の世界は一種の幻想であり、夢の中では夢が現実であるように、特殊な目的に従って作りあげられた見せかけの現実なのではないかと、示唆している。(ユング自伝)
かくして、仏教探求の世界に引き込まれていった。
「大乗起信論は読んだのか?」
──いいえ。読んだことはありません。
「秘密曼荼羅十住心論はどうだ」
──まったく読んでいません。わたしは『法華経』と天台教学をベースに学んできただけです。
「ここでは、土曜日は『法華経』をテキストに法話をしている。日曜日は、仏教の入門書して『秘密曼荼羅十住心論』を読み進めている。学びに来ないか」
──はい。ぜひ、学ばせてください。
そんなやりとりがあった。
▽
浅草で「仏教を学ぶ集い」があるというので、出かけたのだった。
講師は見たところ、僧侶である。ちと太り気味。足が悪いので、杖を付いて歩く。座るときも立ち上がるときもしんどそう。60代前半と見た。
すごいのは、何を聞いても即座に、ホワイトボードに図示して漫荼羅のように描いて、説明する。それが、瞬時に曼荼羅になり、あらゆる経典が口からついて出てくる。
▽
これが、わたしと「仏法学舎」の金田道迹(かねだどうしゃく)師との出会いであった。
以来、毎週通いだした。五時間も六時間も講義してくれた。わたしの観念的な質問にも、喜んで楽しそうに説明してくれた。論文の指導もしてくれた。
学習会の後は、食事がでる。これがまた、たいそうおいしい料理なのだ。さらには、お弁当まで頂いた。こちらは、干大根のおかずであったが、その美味しい味はまだ覚えている。
そうして、いっさいお金は取らなかった。学習会のメンバーは進んでお布施をしていたようだが。
▽
30歳のときであった。朝日新聞のサークル募集覧に「仏教を一緒に学びませんか」とあった。電話をしたら、鈴木一生(すずきいっせい)という方が応対してくれた。その人が、会の幹事らしい。
私は創価に関わっていたので、日蓮と天台教学には詳しいと思っていた。
しかし、いかに『法華経』がすごいのか。それは、いろいろな経典を学ばないとわからない。そして、どんな経典をどう読んだらいいのか、まったく整理ができていなかった。
観念的に天台学をコツコツ学ぶしかなかった。天台学は緻密な体系だが私には躍動感が感じられなかった。文字による解析が主での、その実践法もまったくわからない。かといって、出家するほどの気概もない。
▽
仏教を学びたい。どこに行けばいいか。学者の本を読んでもちんぷんかんぷん。それに何しろ、仕事が忙しい。残業は深夜まで毎日。
しかし、こうした縁があって仏教の学びが楽しくて仕方がなかった。『倶舎論』やら『大智度論』、様々な経典を読み始めた。
そうすると、『法華経』の位置づけが見えてきた。さらには、日蓮の教えの偏頗なとろ、我田引水なところもみえてきた。かくして、仏教探求の世界に引き込まれていった。
左近さんが亡くなった
階段を降りてくるなり、いきなりこう言った。
「おおひさしぶり。それで、いつ窯(すま)を作る?」
──それがね。周囲の苦情のこともあるので、まずはいまある窯でやってみて、クレームが出なかったら本格的に作ります。その時はご指導をお願いします。
「つくろう。教えるよ。最近、都田に2つ作ったんだよ」
──そうですか。こんど見せてくださいね。
「ああ、いいよ」
「ところで8月に手術をすることになったんだ。カテーテルは7ヶ所をもやっているんで、いよいよバイパス手術だよ。」
冠動脈バイパス手術とは、心臓に酸素や栄養を運ぶ冠動脈が詰まって血流が低下した状態を改善するために、胸を開いて新しい血管(グラフト)をつなぐ手術だ。
──それは危ないなあ。いちばん高度な手術で、医者はそれをやりたがるんですよね。実績になるし、研究の成果になる。でも、左近さん、それ死ぬかもしれませんよ。
「死ぬかもしれないなんて、そんなことを直接、目の前で言うやつなんでいないよ。」
──それはそうですね。ぼくは、相手のことは忖度(そんたく)しませんからね。
その時は、そんな話をして笑いあったのだった。
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その友人が亡くなったことを、昨日知った。8月27日という。享年、75歳くらいなあ。
ふとひらめいて訪ねたのだった。わたしは、ひらめきで訪ねる。相手の都合はお構いなし。だって、お互いいつ死ぬのかわからない。自分も相手も。それで、会うときには、「これがもう最後かも」という気持ちがあるのだ。まさに「一期一会」。
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日記を検索したらでてきた。訪ねたのは6月27日だった。あれから二ヶ月後か。
二俣の県営住宅の三階に住んでいた。ひとり暮らしだ。観葉植物が見事に元気で、清々しい。じつに居心地がいい空間であった。
もともとは、カメラマン。人工透析は10年間。カテーテルは7ヶ所と、満身創痍ではあった。おしゃれで静かで穏やかな人であった。
うちの施設にもよく来てくれてた。
「ここはいいなあ、自然の中で石仏が掘れるんだもの」と喜んでくれていた。
週一に軽トラで来ては、コツコツと石を掘っていた。亡き息子さんの供養にために彫っているという。わたしも勧められて道具を揃えて彫ってはみた。が、わたしには無理な真似事で長続きはしない。
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炭焼き窯制作の名手であった。確実に安定した炭の焼ける窯を作る。独特な秘伝のワザがあった。わたしは「左近窯」と名付けていた。
左近さんに指導してもらいながら、うちの施設の敷地にも設置するつもりであった。だが、いろいろと近隣との調整や資材の調達で間に合わなかった。
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ちかいうちに、左近さんのことを語り合う集いを企画したい。火を炊きながら、こんなことあったよね。こんな人だったよね、と。陶芸家やカメラマン、石仏師など多彩な人が集まってくれると思う。
どこがいいかなあ。うちの敷地がいいけど、みんなには遠すぎるか。思い切り焚き火ができる。天竜川の河川敷でもいいか。語り合って、歌を歌ったり、踊ったり。
スマナサーラ長老の語学力には舌を巻く
その語学力には舌を巻く。難しい仏教用語はもとより、大阪弁も取り混ぜたり、コンビニの前にたむろしている少年たちの喋り方も取り入れたりする。
スリランカ出身なので母国語はシンハラ語。当然、パーリ語は読める。その流れでサンスクリット語もできる。英語は日本語よりも堪能かも。さらには、ドイツ語フランス語も、そこそこできる。
「どうしてそんなに日本語が達者なんですか」と聞いてみたが、「相手の言葉の背景にあるエネルギーを読む。あとは、その上に言葉を乗っけていくだけ」と。
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スリランカにいたときには、日本語を学んだことはなかった。日本に国費留学生としてきたとき、半年間、大阪外大で学んだだけという。半年で日本語をマスターしたわけだ。
わたしが初めて出会ったのが、35年くらい前。その当時から、日本語は堪能であった。
わたしが主催するアートエナジーというワークショップに、ヴィパッサナーの指導に来てくれた。冬の寒い日に、一緒に歩いていると「池谷さん、どうして日陰を歩くんですか。日向を歩いてください。私は、南国出身でしかも老人なんですよ」と叱られたりした。
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また、いろいろと本作りのために質問するのだが、「あなたの固定概念に沿ってどう答えたらいいかと考えている」とも言われる。
また、あらかじめつくった原稿を読み合わせたりするとき「池谷さんの文章はよくできています。でも、これでは背広を着た人がスカートを履いているようなものです。背広は背広でちゃんとしています、スカートはスカートでちゃんとしていますけど」と。
「じゃあ、この文章はやめておきますか」と言うと「まあ、そこはなんとかしてみましょう。背広はズボンに、スカートはブラウスに」と、文を読んでは文脈を揃えてくれる。「ここは〝斟酌〟という言葉を入れましょう」と。その語彙力がすごい。
まあそんなことで、いま長老の本作りは3冊かかえている。きょうはZOOMで追加取材ということになる。どんな質問に対しても、深遠な仏教の論理で答えてくれるので、ありがたい学びの機会ではある。ちょっとおっかないところはあるけどね。
エホヴァとの宗教談義
エホヴァの方が訪ねてくれる。いつも聖書談義。石打の刑の話、イエスを磔の刑に処したピラトの裁判の話など、多岐にわたる。
奥さんと二人でこの山里で布教に来る。奥さんのほうは、開墾の集落のおばあさんと聖書の学習会。ダンナのほうはつねうちに来て聖書談義。いつも清潔な服装で、礼儀正しい。相手の話もよく聞く。まあ、わたしの話が8割ってとこだけど。
▽
「こないだはイザヤ書でしたが、今日はマタイ伝とパウロの手紙を」
ということで、いかに人と人が敵対し、国と国が敵対し、飢饉になり、災害が起きるのかという言葉。しかし、イエスの言葉は不滅であると。ふむふむと読んでは語り合う。
「そういえば、こないだ日蓮さんが本仏だという方がいて、話をしましたよ」
──そういう人とは、まったく話にならないでしょう。
「はい」
──おもしろいことに、宗教は近いほどに争うよね。国もそうだけど。まず、カトリックとプロテスタントの殺し合いは長く続いた。プロテスタント同士、教義が近いものほど争う。
たとえば、日本の最大宗教団体である創価学会は、草創の頃は、邪宗教として日蓮宗を攻撃していた。その次に、新興宗教の立正佼成会。おなじ日蓮正宗内の妙信講(顕正会)。そしていまは、最大の仏敵は日蓮正宗になっている。
そして創価学会は、反逆者に対しては特に厳しい。聖教新聞の一面に「反逆の輩は、野垂れ死にするまで追い込め」という大作さんのメッセージが書かれてあった。まあ、やがて創価学会の分派ができて、熾烈な闘いになるかもしれない。
これ、人間の心の法則だからね。親しいものほど、違いをあらわにして争い出す。エゴが噴出するんですね。特に、宗教はそれが強くなる。そして、国同士もそうだと思う。
▽
「ううむ。かなしいことですね。わたしもクリスチャンの家、牧師の家を訪ねたら追い返されました。暖かく話を聞いてくれるのは、池谷さんぐらいかも」
──ぼくは宗教の探求が最大の楽しみですからね。こうして聖書を学べるのはありがたいことと思います。
それにしてもいまの時代、各家を訪ねて布教しているのは、エホヴァくらいでしょう。顕正会は駅前で「日蓮聖人を信じなければ国が滅ぶ」というような新聞を配るだけ。創価学会は、「友好活動」として近隣と親しくして、それは選挙の時に公明党に入れてもらうためで、布教はしていない。その力もなくなってきた。
▽
「そうですね。創価学会の人は折伏をしなくなりましたね」
──他人の家に行って宗教の勧誘をするには、自分の言葉で語れる力が必要ですね。あるいは、『法華経』であれ日蓮の遺文であれ、きちんと読んでいなければならない。布教する時、そこが問われる。もちろん人間性も。
日蓮のどこが正しいの?と訊かれたら、根拠を示さなくちゃいけない。『法華経』ってどこがどう正しいの?と訊かれたら、それを示さなくちゃいけない。
いろいろと根拠を問い続けていくと、ついには「正しいから正しいんだ!」と怒りだしてしまう。
まあ他流試合すると、自分の実力が顕わになる。それで鍛えられ続けてきたのが、キリスト教であったわけですね。ぼくは、西洋文明の基礎はキリスト教であり聖書だと思うので、聖書は必ず読みます。そこにも歴史の厚み、イエスの説得力のある言葉が響きます。
‥‥と話していると、彼のケータイがポーンと鳴って、奥さんから「いま学習会が終わりました。」ということで、帰っていった。
あかりとのプロレス
あかりが体当たりで攻撃してくるので、プロレスになる。
9つの娘に対して、おとうちゃんの体力では、ついていけないよ。
あかりはキックボクシングをならっているので、蹴りやパンチもすごくなってきた。
まあ、あと二、三年もしたらこういうこともできなくなると思うけど。
▽
脳天唐竹割り! 腕ひしぎ逆十字! ウェスタン・ラリアート!と叫びながら、戦うのが父と娘のプロレスの型だ。
そのうち、ワザの名前を超えてゆく。
神武天皇! 万世一系! 憲法改正! 緊急事態法案! コロナワクチン! レプリコン! 超過死亡!
時勢を織り込んだ単語で、闘いあうことになる。
▽
千葉への旅は家族でいった。私は運転免許が失効している(更新を忘れて三ヶ月)ので、後部座席にあかりと並ぶ。
片道7時間くらいだから、あかりもヒマでヒマで仕方がない。
歌をうたおうっていうので、おとうちゃんはカリンバで伴奏しながら、卓郎や陽水、中島みゆきやユーミンの歌を歌う。あかりは唱歌みたいなのは、好きじゃないみたい。
▽
話題は跳ぶけど、オリンピックなどどっちみちショーなんだから、次からはプロレスを入れると最高に盛り上がると思うな。
その土地の図書館を訪ねる楽しみ
その土地の図書館を訪ねる楽しみは、郷土史と接することだ。
鴨川図書館を訪ねた。
こうして、ずらっと郷土の資料が展示されているのは、さすがだ。
地元の人は当たり前に暮らしているので、郷土史にはさほど関心がないかもしれない。外から訪ねた人は、この地域の歴史はどうなっているのか、史跡はなにがあって、仕事はどうなって、どんな人が暮らしているのか、など興味がある。
ガリ版で刷られた戦争の体験(レイテ沖の海戦に従事した人のもの)、海人(あま)の写真集(パンツ一つで海に潜ってサザエやウニなどをとる)、房総で活躍した波の伊八(いはち)という宮彫師の作品。躍動感ある波を表した欄間が見事。葛飾北斎の代表作の一つ「神奈川沖浪裏」などの画風にも強く影響を与えた。そして、この海の漁師の息子として生まれたのが日蓮である。日蓮関係の書籍もいくつか揃っていた。
あとは地元の新聞をぱらぱらとめくる。介護や看護師の求人欄とか解体屋の広告とか、その地域ならではの記事から、暮らしぶりが垣間見えるのがおもしろい。
まあそういう視点から、わが山里の図書館を見ると、このように地元の歴史とか史跡などをみてもらおうという工夫はほとんどないなぁ。どんな田舎でも、歴史の資料をもとに人々の暮らしをみていると、おもしろいものなんだけど。
その土地の図書館を訪ねる楽しみは、郷土史と接することだ。 鴨川図書館を訪ねた。 こうして、ずらっと郷土の資料が展示されているのは、さすがだ。 地元の人は当たり前に暮らしているので、郷土史にはさほど関心がないかもしれない。外から訪ねた人は、この地域の歴史はどうなっているのか、史跡はなにがあって、仕事はどうなって、どんな人が暮らしているのか、など興味がある。 ガリ版で刷られた戦争の体験(レイテ沖の海戦に従事した人のもの)、海人(あま)の写真集(パンツ一つで海に潜ってサザエやウニなどをとる)、房総で活躍した波の
その土地の図書館を訪ねる楽しみは、郷土史と接することだ。
鴨川図書館を訪ねた。
こうして、ずらっと郷土の資料が展示されているのは、さすがだ。
地元の人は当たり前に暮らしているので、郷土史にはさほど関心がないかもしれない。外から訪ねた人は、この地域の歴史はどうなっているのか、史跡はなにがあって、仕事はどうなって、どんな人が暮らしているのか、など興味がある。
ガリ版で刷られた戦争の体験(レイテ沖の海戦に従事した人のもの)、海人(あま)の写真集(パンツ一つで海に潜ってサザエやウニなどをとる)、房総で活躍した波の伊八(いはち)という宮彫師の作品。躍動感ある波を表した欄間が見事。葛飾北斎の代表作の一つ「神奈川沖浪裏」などの画風にも強く影響を与えた。そして、この海の漁師の息子として生まれたのが日蓮である。日蓮関係の書籍もいくつか揃っていた。
あとは地元の新聞をぱらぱらとめくる。介護や看護師の求人欄とか解体屋の広告とか、その地域ならではの記事から、暮らしぶりが垣間見えるのがおもしろい。
まあそういう視点から、この山里の図書館を見ると、こうして地元の歴史とか史跡などをみてもらおうという工夫はほとんどないなぁ。どんな田舎でも、歴史の資料をもとに人々の暮らしをみていると、おもしろいものなんだけど。
スマナサーラ長老の本作り 「傘寿」の記念出版
千葉に旅をしてきた 昨夜帰宅
「Facebookの更新がないけど、大丈夫か?」
──「投稿してないのは、千葉に旅をしているからだよ。心配してくれてありがとう」
旅をしている時、友人から電話があった。
毎日、私のFacebookの投稿を読んでくれている。
健康のことを気にかけてくれている。
桃や柿をいつも送ってくれる。
こちらは、なんにもお返しするものがない。
「ええんや。あんたが元気ならそれでええ。Facebookでいつも活動を読ませてもろうて、それがたのしみでなあ」
そう言ってくれる。
▽
学生時代からの付き合いは、いまやほとんどかれ一人だ。
そもそも授業に出なかったし、難しいゼミの合宿で、ちょっと10分くらいの話をした
だけ。でも、年賀状のやり取りはしていた。やがて、こちらから出さなくなっても、むこうからはいつも手紙をくれた。
私は、いろいろな友と交流してよく性格なんだけど、縁を切ってしまうところがある。こまめに年賀状も出さないし返事も書かない。ハッピーコールというのをしないからね。
サラリーマンやめたり、フリーになったり、インドを放浪したり、やがては田舎に移住したり、田んぼづくりをしたり、子どもが生まれたり、デイサービスを始めたり、次々と打ち寄せる波に飛び込んでゆくような人生。
▽
ともあれ学生時代やサラリーマン時代の友達は、ほとんど交流をなくしてしまった。いまさら、「やあ、ひさしぶり」というやりとりもヘンだし。「あれ、だれだっけ?」ということになる。
まあ、この年になると、身近な人がなくなっていくし、めっきり衰弱したりと、人生の晩年に入っているわけだ。そうしてありがたいのは、自由闊達に語り合える友だ。それが財産。
▽
昨夜、千葉の旅から戻った。
これから、いろいろ片付けしつつ、仕事に復帰中。
ちょっとした旅でも、いろいろな人の暮らしぶりに出会うことで、人生を見直すきっかけになる。旅っていいもんだなあ。
「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」(松尾芭蕉の『おくのほそ道』)もともとは、李白の「夫れ天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり」(春夜宴桃李園序)に由来。
梅肉エキス
梅肉エキスを水に溶かし氷を入れたポットで飲んでいる。
湯や水で溶かしていただくと、酸っぱくてなかなか美味しいのだ。効果はたくさんありすぎるほどだが、過剰な摂取は流石に控えている。
この数ヶ月、ヨモギ茶、桑茶、どくだみ茶などいろいろ試したが、私には今のところ、梅肉エキスがいい感じ。
▽
これすごくいいのたが、なにしろつくるのはとても大変。
梅の実をとって、それをジューサーにかけて、ゆっくりとかき混ぜながら煮詰めていく。梅の実100個に対して、やっとこさ1個分くらいのペースト状のエキスになる。
しかしこうなったら、もう何年たっても腐りっこない。ずっと保存できる。結構な万能薬と感じる。
▽
いま酒を断っている。この10年、一滴も飲まない暮らしをしていたが、昨年からつい呑みだしてしまった。そしたら、ぐうたらな生活になっていった。これではいかんと言うので、断酒に戻ったのだ。
それでも、ときどきビールやワインや吟醸酒がほしくなる。そんなときは、この梅エキスで飲んで酒への依存を断つ。
来年の梅の収穫は、この梅肉エキス作りに徹してみようと思っている。
風雨強かるべし さあどうしよう
新幹線が止まった。8月28日の21時40分頃。ますます台風は接近する。豪雨が動くなってくる。
うわっ。どうしよう。このまま待つのがいいか。しかし、ずっと新幹線の中で缶詰では困る。だいたい寒い。
そのうち動き出すのだろうか。停まったままなのか。さあ、どうする。ど゜うしよう。賭けである駅員に聞いてもわかるはずがない。
よし、ホテルに泊まろう。幸い、駅前に東横インがある。妻が予約を入れておいてくれた。
もしかして、3日も4日も、このホテル暮らしになるかもしれない。
新富士だし、駅の周りには、ほとんどなんにもない。うわっ、どうしよう。
▽
今回の上京は、新幹線で出かけた。3日間の取材の仕事を終えて先輩の家に泊めて頂く予定であったが、キャンセルした。
泊まれば、台風がやってきて足止めになるかもしれない。それよりも、たとい夜になっても、いま帰ったほうがいいのではないか。それで新幹線に乗ったのであった。
その新幹線が、新富士でストップ。焼津あたりが豪雨のために、しばらく「運転、見合わせ」という。乗客は動かない。あと3駅なのに。
▽
さあどうする。こういうことはよくある。
ひとつのカルマが完了すると捉えるようにしている。
こういうカルマがあるのだ。それが精算されるのだ。それをそのまま受け取ればいい。
もしもホテルに缶詰になっても、音声入力で文章を作っていけばいい。ベッドの上で瞑想、ヨーガ、ストレッチを愉しめばいい。
まあ、そんな気持ちになったのであった。
▽
そして、朝。妻から電話「新幹線、動いているよ。早く行かないととまた止まるかもしれない」
それで、大急ぎで新幹線に乗った。幸い無事に掛川駅にまで着いた。
台風はとっくに過ぎたはずの9月3日だが、またこちらは大雨が降ってきた。雷も鳴っている。
『風雨強かるべし』という広津和郎の小説のタイトルが浮かんできた。
ベトナム寺院のお盆の集い
ベトナム寺院のお盆の集い。
あかりも参加。前列二番目の左端にいる。
言葉はわからないけれど、信仰の篤さ、みんなで揃った調和性、おいしい食事など、体験としての財産になっていく。
このお寺(天恩寺)の宗教法人化に向けて、サポートさせてもらうことにしよう。
https://www.facebook.com/.../pcb.../1691411078302379
「雑巾がけ瞑想」ってのは、ありだなあ
集中力のいる仕事中。それで疲れる。気分を一気に変えたいところ。こうして、投稿するのも気分転換のために書いている。
リンを叩いて念じるのがいい。そして、雑巾がけって、とてもいい。
机の下あたりにホコリが溜まってきたので、雑巾がけを始めたら、一気にすっきりとした。
雑巾がけって、床はきれいになるし、気分転換になるし、ほんの少しだけど聖なる空間づくりにつながる。「雑巾がけ瞑想」ってのは、ありだなあ。
▽
13時間くらいのロングインタビューの文字起こし。iPhoneで倍速にして聞いて、GoogleDocumentをひらいて音声入力変換している。これがもっとも効率がいい。
でも、集中力がいる。途中でワンコの散歩にふらりと出てみたり、雑巾がけしたり。鶴橋で草の根っこを掘ったりしている。