【つらさのトレース】2026.09.23
寝たきりだけなら、そんなに辛くないかもしれない。
少しでも動ければいいのだが、動けないと、体も心も崩れてくる。
動けないのは、あらゆる場面で「息苦しさ」が辛いからだ。絶対安静状態でも、息苦しさは続いている。
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肺が線維化しているので、いつでも息苦しい。そこがベースになっている。ロックされている。
息が入らない。息が入っても、肺にプールされない。常にまったく酸素の余裕がない状態だ。
だから少しでも動くと、もう本当に臓器に影響を与えるくらいの酸欠になってしまう。
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一日のすべてはベッドの上。
食事のときには、ちょっと体を電動ベッドで起こすだけ。
1回はトイレに立つのだが、もう本当に大きなプロジェクトだよ。
電動ベッドの高さを10センチ下げ、体を少し起こして、左に反転させ、ベッドのガードを両手でしっかり握って立ち上がる。
よろよろしながら1歩2歩あるいて、ポータブルトイレに。
便意があったとしても、簡単に出るわけでもない。座ったら「いきむ」わけだ。
そうすると筋肉を使う。細胞が酸素を使うので、とたんに苦しくなる。
トイレが終わって、後始末をして、さあ、立ち上がるとき、少しよろけて危ない。
そして、なんとかベッドにたどり着いて倒れ込む。
ベッドに横たわって、しばし、ハアハアゼーゼーと悶えている。その時点で酸素供給量は8リットル。
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少しでも体を動かそうとする時には、必ず頭の中でシミュレーションする。
足をこう伸ばして、こう曲げて、こうして、こう曲げて。
そして「よしやろう」と意を定めて実際に行うわけだ。そしてそれは本当にゆっくりとやる。
これが肺が元気なら瞑想的で、心身の修行になるようなワークになることだろう。
ところが、肺が元気ではないので、苦しみのワークとなる。苦しみの中で喘ぎながら行うことになっている。
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暇なので、今の自分の苦しい状態を言葉にするということに挑戦している。
やることがないとき、こうして文章にするのは、「暇つぶし」というのか。今の私の楽しみではある。
言葉にする、文章にするのはなんのため。
この苦しさを何と表現したらいいのか。自分の苦しみがどんなものなのかを確認したい、掴みたいということでもある。
そしてそれは苦しみと共にある、苦しみと一緒にいるということを確認することでもある。
苦しみは消えるわけでもない。
もしかしたら消えるかもしれないけれど、苦しみと同居せざるを得ない生き方を確認しているわけだ。