過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

国家について考えてみた

「国家」ということが、よくわかっていない。
「国家」という「実体」があるようで、ない。かといって、「幻想」でもない。
「国家」は、みんなのためにある。社会秩序をきちんと維持するためにある。そのために、政府、議会、官僚、軍隊、警察、裁判所、社会保障体制などがある。
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だから、国家には力がある。罰則を伴う強制力をもち、正当な暴力装置がある。
国家の機能のすごいところは、ざっくり2つかなあ。
①「お金を発行できる」……紙幣を発行できる。通貨量を増やしたり減らしたりできる。もしかしたら、お金を刷らなくても、データとして処理するだけなのかもしれないが。
②「ルールを決めることができる」……ルールに従わせる。従わないものを罰することができる。
①と②をうまく使えば、人を支配できる。
言いたいことを言えなくしたり、意に従わせることもできる。戦争を仕掛けたり、国家に命を投げ出させたりできるか。
ある地域をペンペン草も生えない過疎地にしたり、密集地にしたりもできる。ある産業を繁栄させたり、滅亡させたりもできるか。
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ところで、ぼくは経済のことがよくわかっていない。
①のお金のことだけど、いつか財政破綻するとか、国の借金(国債)が膨大とか、いろいろ言われる。
しかし、じゃんじゃん限りなくお金を刷ったとしたら、どういうことになるんだろう。たとえば、ベーシック・インカムとして、国民にお金を均等に配るとか。
たくさんお金を配れば、お金の価値は下がって物の価値が上がる。お米などの生活必需品は、どんどんと高くなっていく。そ第一次世界大戦後のドイツみたいに、紙幣を乳母車に山ほど積んで買い物に行くみたいなことになるのか。
そうして、ハイパーインフレーションになり、新円切替と預金封鎖。国民の財産は、さらに巻き上げられていくのかも。
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②のルールだけど、暴走している国家装置をどうしたら止められるのかわからない。
いまアベさんが勝手なことを次々とやっているように見える。税金を私物化したり、勝手にルールを変えたり、ルール違反しているように見える。
国民がアベ内閣を支持しているわけではないんだけれど、どうしてアベ内閣が居座り続けられるんだろう。議会制民主主義ということなんだけど、それでいいのかどうか。
ぶすぶす愚痴ったり床屋政談はしているけれど、なんら反対表明もしない国民性。テレビばかり見て、頭が洗脳されてしまっているから?
結局は、無力感。そして、長いものには巻かれろの国民性?そして、衰退の坂道を転がるばかりなのか。

十五夜お月さん

明日は十五夜
きょう「ああ、いい歌だなあ」と感じたのは、「花かげ」という歌。さっそく、歌詞を拡大印刷した。
毎日、施設で童謡や唱歌をリードしているが、歌詞を拡大して(A3を5枚分くらいになる)ホワイトボードに貼って、ギターで伴奏して歌う。これまで、拡大してつくった歌詞は、100曲近くになる。
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「花かげ」
作詞:大村主計
作曲:豊田義一
 
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
俥(くるま)にゆられて ゆきました
 
十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました
 
十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしは ひとりになりました
 
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この歌も好き。
 
「雨降りお月さん」
 
野口雨情作詞・中山晋平作曲/大正14年
 
雨降りお月さん 雲の蔭(かげ)
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
一人で傘(からかさ)さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく
 
 
いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
手綱(たづな)の下から チョイと見たりゃ
お袖(そで)でお顔を かくしてる
お袖はぬれても 乾(ほ)しゃかわく
雨降りお月さん 雲の蔭(かげ)
お馬にゆられて ぬれてゆく
 
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そして、気の毒で可愛そうな歌だけど、もうひとつ好きな歌。
 
十五夜お月さん」
 
作詞:野口雨情
作曲:本居長世

 

十五夜お月さん 御機嫌(ごきげん)さん
(ばあ)やは お暇(いとま)とりました
 
十五夜お月さん 妹は
田舎へ 貰(も)られてゆきました
 
十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度 わたしは逢いたいな

 

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ドクダミを摘む

ドクダミ茶づくり。
利用者さんの送迎で山道をはしる時、いつも「ドクダミがないかなあ」と目が行く。
民家の庭先にはあったりするが、なかなか山道にはない。
トキワツユクサが群生しているばかり。
きょうは、ふとヤマユリを見つけて、それを摘んだ。
そのちかくにドクダミの群生があったことに気がついた。
30分ばかりせっせと根っこごと引き抜いた。
いま白い花がついている時期で旬だ。
これを陰干しして、茶色にカラカラになったとき、土鍋で煎じてお茶にする。
これが、甘くてなかなかおいしい。しかも、胃腸にとてもいい。
これから毎日、せっせと採取だ。一年分のお茶にする。
ドクダミの採取がおわると、梅の実とりだ。こちらは、梅肉エキスを作る。
グミも実ってきている。ブルーベリーもそのうち。しかし、山の草刈りは、なにもしていないなぁ。ワラビが繁茂している。蜂がぶんぶん。

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ZOOM楽座 6/7 20時〜「自由法華道場」日蓮思想の中核:三大秘法とは

ZOOM楽座「自由法華道場」日蓮思想の中核:三大秘法とは

日時:6月7日(日)20時〜

参加方法:ZOOMにアクセス
https://note.com/raxza/n/n4747d67ee2b9
https://us02web.zoom.us/j/5409124232

参加ご自由、顔出しもご自由、聞くだけでもオッケー。
ただ、やりとりは音声のみレコードしています。書籍などに発行する際、発言を活用させていただくこともあります。
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ゲスト:犀角独歩(さいかく・どっぽ)。本名 岩立盛郷(いわたちせいごう)

一九五五年、熱烈な創価学会 員を両親に東京に生まれる。三十五歳のとき、創価学会を脱会し大石寺に移る。宗務院教学部・内事部『大日蓮』編集室嘱託。四十歳で棄教。脱会者支援を始め、日本脱カルト研究会入会、元会報編集長、元理事。 日蓮宗現代宗教研究所等で執筆。日蓮の実像を追及。いまは主に『宗教問題』に執筆。
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語り合いの趣旨:

日蓮の教えの中核は「三大秘法」ということになる。本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇である。(報恩抄、三大秘法抄、法華取要抄、義浄房御書など)

「三大秘法」を、概念的に整理してみたい。いわば、13世紀の教学。理屈と概念、神学論争的ではあるが。
それを基軸にして、現代的な意義を語り合いたい。信仰の身体実感、宗教教団の社会的身体性、深層心理など。
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宗教は、「優劣」「勝劣」「正邪」が強い。とくに日蓮主義にはその性質がある。
「こっちのほうが偉いんだ」「これしかない。こちらでなければダメ」という意識になる
しかし、「価値判断」の尺度は、どこにあるのだろうか。

なぜ「仏教」が優れているといえるのか。
なぜ「大乗仏教」が優れているといえるのか。
なぜ「法華経」が優れているといえるのか。
なぜ「法華経の本門」が優れているといえるのか。
なぜ「法華経の本門の文底」が優れているといえるのか。

自分という人格が磨かれていないのに、立脚する宗教がすごいからすごいんだと思いこだりする。自我が肥大化して、他を軽蔑するありようになりがちだ。

信じている宗教が価値がある偉大なものだとしても、その人が優れているといえるのだろうか。
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宗教というものの「権威性」もみてみたい。
ある権威に対して、もっとすごい権威をぶつけて、どうだと言ってみたくなる。
「権威」志向、「権威」主義というフィールドは、変わらない。

偉大である、有名である、価値があると、すでに思われているものを持ち出そうとする。すなわち、「権威」あるものをありがたがる。

そして、自分たちが権威あるものになれば、そうでないものに対して弾圧しようとしたり、封殺しようとすることもある。そのあたりもみてみたい。
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参考:
徒然草』の最後に、兼好が八つになったとき、父に聞いたという話がある。

「仏とは、どんなものなんでしょうか?」
「仏とは、人がなったものだよ」
「では、どのようにして人が仏になったのですか?」
「それは、仏の教えによって、仏になったのだよ」
「じゃあ、その教えた仏には、だれが教えたのですか?」
「それもまた、その先に教えた仏がいたのだよ」
「じゃあ、その先のその先の、教え始めた第一番目の仏は、どんな仏なんですか?」
次々と問いつめられて、父は答えに窮してしまった。
「ううむ……。それは、な。きっと、空から降ってきたか、土から湧いてきたんだろう」
いちばん最初の仏とは、空から降ってきたか土から湧いてきたのか。

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自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道

ZOOM楽座「自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道」
6月7日(日)と21(日)の20時〜23時の予定。
テーマ:日蓮の「三大秘法」。つぎに「戒壇本尊=板曼荼羅の偽作」。「日蓮国家主義」。あくまで、素材としてのテーマ。毎回、テーマを設定して自由な語り合いの場とする。
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信仰を深めるには、かならずしも組織は必要ない。躍動がない信仰はつまらない。人生はつまらない。自由に自分のペースでやればいい。自分で探求していけばいい。なによりブッダがそうであった。日蓮がそうであった。祖師に習えばいい。
すなわち、自己探求の道だ。探求こそが楽しい。躍動がある。ブッダが言った。「犀の角のようにただ独り歩め」。「なにものにも依存しないで、自らを灯明として生きよ」と。
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そこでZOOMである。自由な語り合いの場として、「自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道」をセットしてみた。
それぞれ道は違うかもしれないが、共感する友がいるのはたのしい。躍動もある。探求している人の体験や工夫にふれるのはのはおもしろい。
やはり、日蓮と法華の原形はこうだという基軸はある。それがないと収集がつかないので。だが、これという規制や結論や教義など、なにもない。各人が心身でとらえたところの日蓮・法華思想をわかちあえばいい。
「なるほど、そんなとらえかたがあるのか」。「そんなふうに祈ってもいいのか」。反論してもいい。なんでも許される場だ。選択肢が広がる。探求が楽しくなる。固定観念から ずるっとむける。笑ってしまえるようなフィールドが起きる。
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背景として少し説明する。創価学会員は、公称1200万人。自らが入信したのではなく、親が信仰しているので、流れとしてかかわっているという二世や三世も多い。
信仰というのは、ほんらいは個人的な深みの問題。しかし、教団として布教拡大することによって伸びてきた。布教のエネルギーはすごい。そこには、他を救済しようということで自らが救われることもある。そこに、祈りと教学の深化、人間練磨も起きる。
だが、教団組織となると、いろいろな派閥力学もある。不自由も多い。妥協しなくてならないこともある。ましてや、政権与党の公明党を支えるとなると、その矛盾はある。宗教原理と政治とは、符合しない。
とはいうものの、教団組織を離れるのは怖い。罰(ばち)があるかもしれない。がんじがらめの人間関係もある。そこで、いやいながら創価学会の組織にいるという人も多いと思う。そんなところには躍動がない。
ということで、自由な語り合いの場としての「自由法華道場─インディペンデント日蓮法華信仰の道」だ。
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たとえば、漫荼羅にしても、これが正しいというものはないであろう。こんな漫荼羅がいい。こんなふうにつくってみた。祈り方、唱え方にしても、いろいろな工夫もあるだろう。歌のようにしてメロディーを作ってももいい。新しいリズムをつくってもいい。そんなことを披露しあっていく場になればいい。
参加ご自由。信仰の有無もご自由。ただ、護教的なあまり教条的なドグマを述べる人がいると、語り合いにならないので、そのあたりは注意させていただくこともある。

テーマが「池田大作後の創価学会」

「ZOOM楽座」で、日々、集いを企画している。
毎回、やっているのは、ゲストに来ていただいてインタビューしながらというやり方。いわば公開インタビュー。そして参加者の質疑を受けながら展開していく。
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昨日は、「法華経」がテーマで、ゲストはおらず。池谷が解説するところから始めた。人とのやりとりがあってこそ話ができる。なので、「ただ聞いています」という参加者相手に講座のようにして話すのは、とても難しいと感じた。
「うんうん」「なるほどね」「へぇ」とか、合いの手が入ると話しやすい。だが、顔が見えない、反応と反響がわからない。手応えがないと、闇に向かって話をする感じになる。
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で、Keynoteに入れておいた画像をもとに話を進めていく過程で、いろいろ聞いてくれる人がいたので、そこから、話が展開していった。
ポイントを質問してくれる人、詳しい人、専門の人があらわれて、話はひろがる。ま、そんなこんなで、深夜の3時まで、なんと7時間も語りあったのだった。いわば、「異宗教間対話」ということで、ひとつ方向性が見えてきた感じ。
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きょうは、そこからまた踏み込んでいく。
テーマが「池田大作後の創価学会」。これは、わりと多くの方が関心をもっていると思う。創価学会の活動家や元活動家、日蓮宗の人など参加してくれそうなので、話は盛りあがると思う。
ただ、やはり前提となる話は、池谷がしなくちゃいけない。いま、すすめかたを工夫しているところ。
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一つは、画像と映像。こちらは、Keynoteに入れて「画面共有」で参加者が見られるようにする。戸田城聖池田大作の映像など、かなり伝わりやすいと思う。
そして、もう一つ、「Mindmaster」というマインドマップのツールを使って、樹形図のようにして進めていこうかと思う。クリックしながら、樹形図が伸びていく。
ま、一方的な講義や講座にならず、あくまで語り合いを誘発するための素材として。こうした試行錯誤が創造的でたのしい。

ほーほーほーたるこい

施設のすぐとなりが、ホタル公園。夕方になると、もうホタルがふわあーっと舞って光っている。
 
2年前は、あかりも小さかったので、いつも肩車して、ホタルを見に行ったものだ。
ホタルが数十匹、舞っていた。
「ほーほーほーたるこい」と歌う。
あかりは「もいっかーい」。
また歌う。「もいっかーい。
また歌う。そんにことを繰り返していた。
いまは、もう重たくなって、肩車はたいへんだ。
 
小学生の時、見習い研修の先生が、生徒全員にマッチ箱をくれた。箱を開けたら、ホタルが入っていた。はじめてみたホタルを見た体験だった。その当時、大学生だった若い先生は、もう80代後半になっているんだなあ。

5/31(日)20時「池田大作後の創価学会はどうなる?

アクセス方法:ZOOMにワンクリック

https://us02web.zoom.us/j/5409124232

パスワード不要、クリックすれば参加可能。
顔出しはご自由。ハンドルネームでもオッケー。発言しなくとも、傍聴だけでも可。チャットでの質問や発言もおすすめです。

語り合いの趣旨:

創価学会は、名実ともに日本最大の宗教団体。そして、公明党の母体である。その求心力の源泉は、池田大作氏(第三代会長)のカリスマ性にある。

だが、池田大作氏は、この10年間、すがたをあらわしていない。いくら偉大なカリスマでも、人間である以上、死は免れがたい。ブッダもイエス孔子日蓮も、滅したわけだ。

池田大作氏が滅した後の創価学会は、どうなっていくのか。
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戦後、急速に拡大した創価学会は、公称1200万人の会員数という。海外にもひろく布教している(192か国 )。日刊の聖教新聞の発行部数は公称550万部。いっときの参院選公明党の得票数は、800万票もあった。いまの小選挙区制の選挙にあっては、自民党を支える原動力となっている。

教団組織である以上、いろいろと矛盾を抱えていることは当然と思う。また大石寺と袂を分かったことで、教義や本尊など、矛盾をきたしていると思う。

そのあたりは、会員の信仰の力と池田大作氏のカリスマ的魅力で支えられてきたと思う。その求心力の源泉が姿を消した時、巨大な宗教団体はどこにいくのか。どうなっていくのか。

分裂によって、多様な創価学会があらわる。会員にしてみると、選択肢が増え、切磋琢磨してかえってエネルギーを増すかもしれない。あるいは、求心力が弱まり、大きく衰退していくかもしれない。

そのことで、政権与党にある公明党の動向も変化していかざるを得ない。
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語り合いでは、次の3つを軸にみてみたい。

創価学会の歴史と教義(日蓮本仏論や本尊の変遷)
創価学会のいま活動(活動家の声)
公明党について(会員の選挙活動、公明党のありよう)

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創価学会の教義と信仰の中核である本尊は、日蓮正宗富士大石寺を依拠していた。その大石寺と袂を分かって(破門された)10余年。

教義と本尊は、どのように改変されていったのか。日々拝している漫荼羅本尊や日蓮本仏論日蓮こそが末法の本仏であり、釈迦よりも偉い)を、いまの会員はどのようにとらえているのか。

そして、創価学会の日々の活動はどうなっているのか。信仰活動らは、どういう魅力と限界があるのか。

また、創価学会を母体にした公明党は政権与党にいる。大衆とともにあるという立党の精神は、実現しているのか。弱者に寄り添っていく大衆政党、福祉政党という姿勢はどうなっているのか。

そもそも立党の精神ってなんだったのか。もともとは、国会の議決で国立戒壇を建て、日蓮正宗の信仰を国教にしようということではなかったのか。また、総体革命とは。各分野に輩出した人材は。
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創価学会の活動家、元活動家をゲストに語りあってみたい。
どなたでも参加ご自由。創価学会の方、創価と敵対している日蓮正宗顕正会、あるいは他の宗教の人、まったく問わない。

https://note.com/raxza/n/n102e3a5168b4

人生にもギアチェンジ

ひらめいたら、瞬時に、トップスピードに入る。いきなり集中する。実質に入る。さあやる、ただやる。
 
そういう生き方にシフトしたい。「シフト」というのは、量的な変化ではなくて、いきなり起こること。変換、転換。人生にもギアチェンジ。
 
ということで、「茂木健一郎」「トップスピード」でツイッター検索してみた。
以下、ランダム(文脈はだから。ばらばら)に茂木さんのTwitterから抽出。
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即興は、「集中」にも通じる。あっと思ったら、ぱっと集中して、いきなりトップ・スピードになること。反省や後悔などしている暇はない。「私ダメ」って、落ちていく喜びに浸るくらいなら、「あっ」と思って、そこから改めればいい。瞬きしている間に世界は変わるんだから。
 
筋肉と同じように、回路も使えばそれだけ強くなる。オススメなのは、「一秒集中法」。さあやろう、と思って座ったら、間髪を入れずに始めていきなりトップスピードに入る。そのようなことを繰り返していれば、自然に集中回路の機能が高まる。
 
根回し、段取りの弛緩した日本の講演文化だが、古来の「武道」の精神を取り戻せば再活性化できるはずだ。内田樹さんによれば、前置きなしにいきなりトップスピードに入るのが、武道の本義。敵が来たのに、準備運動するから待ってくれとは言えない。
 
疾走するためにも、東大にも「ハイテーブル」みたいなものを作ったらと思う。分野、専門関係なく、一緒に食事をしたりしながら議論する。それで、会話が始まったら一秒後にはトップスピードに入っている。実質以外の話はしない。
 
日本の悲劇は、指導層の間に、長らく「本気」が見られないことだろう。講演、挨拶でも、「本日はお日柄もよく」などで始まる愚にもつかない話が続き、一向に本題に入らない。一秒目からトップスピードのTEDと、いかにテンションが違うことか。
 
タイガージェットシンの生命哲学。花束贈呈とか、選手紹介とか、そういう手続きや根回しは無視して、一秒目からトップスピードで疾走する。その生きざまに、小学校5年生のぼくは惹かれていたのだ。
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山野草はいま15種類

最近の山野草。きょうからアジサイが仲間入りした。
ユキノシタヒルザキツキミソウ、マンネングサ、ナズナトキワツユクサ、チガヤ、アザミ、ハトムギホウチャクソウ、ホタルブクロ、オオキンケイギク、その他名前の知らない野草たち、ざっと15種類。

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滅びを受け入れて、生きていかざるをえない

となりの集落では、9日間で、葬式が4件もあったという。みなさん、いわゆる大往生で、享年90代〜100代。
80代で、木を伐っていて崖から落ちて亡くなった話だとか、脳梗塞で麻痺が起きて転院するとか、奥さんが重篤で、夫は心臓が悪くてゼイゼイして苦しいとか。
そんな話ばかり聞いた一日。
山里に移住して10年。そのまま自分も集落の人達も、10年も歳をとったわけだ。若い人は移住してこない。もちろん子どもも、いない。10年で25%ほどの人口減。高齢化の速度がすごい。
過疎高齢化は、いまは山里がその先駆を切っている。しかし、やがて都心部にもやってくる。日本全体がそうなっていく。
身体は衰え、気力は落ち、病にかかり、身体は故障して不自由になる。滅びを受け入れて、生きていかざるをえない。もちろん、わが身にも起きてくる現実。
それはそれで、仕方のないこと。ひとつの、理(ことわり)。夕方になり、やがて日は沈み、闇夜となる。そしてまた日が昇る。

先週からは「おしん」を見ることになった

施設では、畳2つ分くらいの大スクリーンで、映像鑑賞している。これまでは、「冬のソナタ」を観てきた。ヨンさま、なかなかよかった。これからは、過去の朝ドラに入る。
先週からは「おしん」。全部で128話もある。3話ずつくらい見ている。いまは、おしんが山形の寒村から筏に乗って子守奉公にいくところ。奉公先でつらい目に遭いながら、耐えて耐えて学んでいく。
つらくて涙が出る。しかし、すこしずつ希望の光をさす人たちが現れてくる。
これを見終わったら、次は「おはなはん」ずいいかな。樫山文枝の主演。いまから50年くらい前の朝ドラだ。その後は、大河ドラマ緒形拳の「太閤記」あたりかなあ。
ま、ともあれ、みんなでハラハラ、ドキドキしながら、ちょっとおしゃべりしながら観ていくのはたのしい。

ZOOM楽座 5/31(日)20時「池田大作後の創価学会はどうなる?」

ZOOM楽座
ZOOM楽座 5/31(日)20時〜
池田大作後の創価学会はどうなる?」
語り合いの趣旨:
創価学会は、名実ともに日本最大の宗教団体。そして、公明党の母体である。その求心力の源泉は、池田大作氏(第三代会長)のカリスマ性にある。
だが池田大作氏は、この10年間、すがたをあらわしていない。いくら偉大なカリスマでも、人間である以上、死は免れがたい。ブッダもイエス孔子日蓮も、滅したわけだ。
池田大作氏が滅した後の創価学会は、どうなっていくのか。
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戦後、急速に拡大した創価学会は、公称1200万人の会員数という。海外にもひろく布教している(192か国 )。日刊の聖教新聞の発行部数は公称550万部。いっときの参院選公明党の得票数は、800万票もあった。いまの小選挙区制の選挙にあっては、自民党を支える原動力となっている。
だが、組織である以上、いろいろなパワーゲームがある。教義や本尊など、大石寺と袂を分かったことで、矛盾をきたしていると思う。そのあたりは、池大作氏のカリスマ性で保たれていると思うのだが、求心力を失えばどうなるだろうか
分裂によって、選択肢が増えて、多様な創価学会があらわれ、切磋琢磨してかえってエネルギーを増すかもしれない。あるいは、大きく衰退していくかもしれない。
そのことで、政権与党にある公明党の動向も変化していかざるを得ないだろう。
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語り合いでは、次の3つを軸にみてみたい。
創価学会の教義と本尊
創価学会のいま活動
公明党について
創価学会の教義と信仰の中核である本尊は、日蓮正宗富士大石寺に依存していた。その大石寺と袂を分かって10余年。教義と本尊は、どのように改変されていったのか。日々拝している漫荼羅本尊や日蓮本仏論日蓮こそが末法の本仏であり、釈迦よりも偉い)を、いまの会員はどのようにとらえているのか。
そして、創価学会の日々の活動はどうなっているのか。どういう魅力、そして限界があるのか。
また、公明党は政権与党にいるが、本来の大衆とともにあるという政治理念は、実現しているのか。弱者に寄り添っていく大衆政党、福祉政党という立党の精神はどうなっているのか。
そもそも立党の精神ってなんだったのか。もともとは、国会の議決で国立戒壇を建て、日蓮正宗の信仰を国教にしようということではなかったのか。また、総体革命とは。各分野に輩出した人材は。
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組織である以上、いろいろと矛盾を抱えていることは当然と思う。そのあたりは、信仰の力と池田大作氏のカリスマ的魅力で支えられてきたのだと思う。その求心力の源泉が姿を消した時、巨大な宗教団体はどこにいくのか。どうなっていくのか。
創価学会の活動家、元活動家をゲストに語りあってみたい。
どなたでも参加ご自由。創価学会の方、創価と敵対している日蓮正宗顕正会、あるいは他の宗教の人、まったく問わない。
 
 

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本日も「ZOOM楽座」。21時から。「異安心を恐れず語る念仏」

日も「ZOOM楽座」開催。21時から。テーマは「異安心を恐れず語る念仏」というところ。以下、すこし、池谷なりに書いてみた。
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比叡山には、「四種三昧」(ししゅざんまい)天台の行法があって、そのなかに常行三昧という行法がある。阿弥陀仏を観相するという行法です。仏のイメージがリアルにあらわれるまで瞑想していく。なかなかたいへんな行法で、一般庶民は、とてもそんなことはできない。
すくわれるべきは庶民である。出家修行者だけではなくて、一般庶民ができる行法こそが必要だ。そこで、法然は「観経疏」という注釈書をヒントに、称名念仏をはじめた。それは全国的にひろがっていった。
観相念仏ではない。「ひたすら念仏を称える」。いわばだれでもできる。男でも女でも、金持ちでも貧乏人でも、仕事はなんでも。寝たきりでも。幼児でも。ただ、称えればいい。それで救われるということだ。
いわば、マントラ瞑想ということもできる。このあたりは、南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でもオーム・ナマ・シヴァーヤでも、大差はないとぼくは感じているが。
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しかし、そうはいっても、なかには称えられない人もいる。また、そもそも信じられない人もいる。
そうした人に救いはないのか、信じられなければ救いはないのか。そこが親鸞のテーマと思っている。
で、親鸞の教えは、ざっくりいえば、「すべての人はもう救われているのだ。どんな人でも、たといどんな悪業を積んだ人でも、救われている」。そういうものすごい教えと思う。ちょっと、キリスト教パウロの教えに似ていなくもない。
じゃあ、なんにもしなくても救われるなら、なんにもしなくていいのか。もそも、その救いとは何なのか。
それは、現世で可能なのか。あるいは、来世で可能なのか。そのあたりがテーマになると思う。
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難しいところで言うと、歎異抄の冒頭の言葉。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」。
念仏を称えようと思い立つこころが起きたその瞬間、救われているという。
じゃあ、「思い立つこころが起きたその瞬間」ってなんなのだ。どうしたらそれが可能のか。
そんなことを、いきなり論じていくように思います。
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ちょっと難しいかなあと思いつつ。あまり雑談的にならず、踏み込んでいければと思っている。
とくに、あびさんは、臨死体験(心肺停止13分間)があり、ある意味では、限りない広がりの世界=いわば、阿弥陀(かぎりないいのちとひかり)の世界を垣間見てきたんじゃないかと思う。
きょうは、いつものように「魂の螺旋ダンス」の著者のあびさん。ゲストには、京都で坊主バーを経営し、真宗の僧侶でありプログラマー、さらにはニューエイジ思想や心理学を探求している羽田高秀さん。あび─羽田─池谷の三者の話を軸に展開していくことになると思う。
大脳生理学、脳の働き、脳の可塑性のあたりも含めて論じていければ面白いと思う。一方的な講座ではなくて、参加者との対話型になる(それでないとおもしろくないので)。ということで、いつものようにどういう方向になるのかは、あらかじめわからないところだけれど。
 

 

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