過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダ

まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう スッタ・ニパータ

「事実ってなあに?」「曖昧ってなあに?」とあかりが聞いてくる。「辞書をひくといいよ」と教えている。 辞書は枕元、食堂テーブル、居間とあちこちに5冊置いてある。ほとんど図書館のリサイクル本。 でも、あかりは面倒がってなかなか引かない。「おとう…

気づきを持ってしっかり、ちゃんと怒ってもいいのだ

気安く声をかけたら、突然に猛烈に怒りだした。「おまえなんか、だっきらいだ」という。なんのことだか、さっぱりわからない。その人の家で何かわるいことをした? 記憶がない。その人に家に行ったのは10年も前のことだし。 で、そこで受け流してしまえば、…

オウムと統一教会 そして石井紘基の著作

「オウムの進出前には、ロシアには統一教会が布教していた。いつの間にかそれがオウム信者とすり替わってしまった」 そのように石井紘基は書いている。-------------------ソ連崩壊後の1992年3月、麻原は「ロシア救済ツアー」としてロシアを訪問、9月にはモ…

年表と言葉の定義の事典づくり

むかしは、ひとつの言葉がわからないと、人に聞いたり分厚くて重たい「広辞苑」引いたり、百科事典を知らべたり、図書館にでかけたりした。結局、よくわからなくて探求はそこでおしまい。ちなみに、学者の主な仕事のひとつは、所有な文献(とくに海外のもの…

法然、親鸞、日蓮 それぞれの師に対しての言葉

先日、御前崎市にある浜岡原発を見学した帰りに、近くの桜ヶ池に寄った。ここは、法然の師匠である皇円が龍の身になって入定(深く瞑想)している。法然はこの地を訪ねたと伝えられている。 法然は師匠の皇円に対してどう思っていたのだろうか。そして、同時…

方丈記と立正安国論

日蓮と鴨長明というテーマが浮かんで書いている。 ことの発端は、あかりといつも歌っているインドの歌:「ハヌマンチャリサ」(ハヌマンという神様をたたえる歌)をカナを振ったテキストを投稿したら、インドの方からコメントがあった。 あれ、どんな方かな…

「破壊はいつかは起きる。いつかは必ず死は訪れる」ということを、しかと念じて。

地震、水害、風害、土砂崩れ。ますます年々ひどくなっていく。私の暮らす浜松市天竜区も川の氾濫や土砂崩れで、あちこち破壊された。ここから30キロくらいの二俣地区では、橋が落ちたり、床上浸水。高さが160センチ以上も水に浸かったようだ。--------------…

ヒーナヤーナは小さな智慧、マハーヤーナは大きな智慧

お経(仏典)は、ブッダが直接著したものではない。長い年月に渡って、弟子がまとめたものである。そのあたり、イエス・キリスト、ソクラテスや孔子、老子も同様だ。-------------------ブッダが滅すると、弟子たちによって、教えがまとめられ、韻を踏んで口…

日蓮正宗の宗旨は、なにをどういわれように日蓮の図顕したとされる板曼荼羅(弘安二年作)を信ずるところにあると

まだ咳は治まらない。熱は引いている。喉の痛みもなし。発熱してから9日間になる。そのうち5日間くらいは食欲がなくて絶食だった。 コロナの感染した友人に聞くと、まったく症状が一緒なので、おそらく自分もコロナ感染していたんだと思う。もう10日目になる…

仏教のめざすものは、解脱(げだつ)といわれる。

仏教のめざすものは、解脱(げだつ)といわれる。解脱とは、悩み、苦しみからまったく脱すること。 人は「生きて」「老いて」「病を得て」「死ぬ」。そしてまた、次の「生」があって「死」があって、それをえんえんと繰り返す。これが輪廻。その輪廻の轍(わ…

ひろさちやさんが亡くなった

宗教評論家のひろさちやさんが亡くなった。親しくさせていただいて、10冊以上の本も担当した。 「いつも家族で食事をする」を大切にされていた。それをつねに実践しておられた。気象大学で哲学や論理学を教えていたときも、家が近くで昼ごはんも家族で一緒に…

「信仰とか宗教の呪縛をどう超えるか」をテーマに語り合い

また、本日(3月7日)ZOOM楽座を開催します。21時〜23時。「信仰とか宗教の呪縛をどう超えるか」をテーマに語り合います。下記をクリックしてください。参加ご自由。途中の入退室オッケー。https://zoom.us/j/4568526263バチと功徳で縛られる。神仏の怒り。…

「無常」 それこそがブッダの教えのキーポイント

仏教とは仏(ブッダ=ゴータマ・シッダールタ)の教えだ。 しかし、八万法蔵というほどの経典がある。それぞれ内容の食い違いもあり、しかも哲学的、空想的、難渋なものも多い。 このあたり、キリスト教の「共感福音書」やイスラムの『コーラン』と比較すると…

ざっくり仏教の教えとは

①仏教は仏の教えなので、ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)からはじまる。②ゴータマがいたことは歴史的な事実。③ゴータマが「悟っていたのかどうか」はわからず。④ブッダの教えをもとにした教団=サンガのあったことは、歴史的な事実。⑤国王(アショカ王やカ…

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ、学ぼうとしている。ともに、文字はなくて口承であるから、もともとの正確は発音はわからない。たとえば、サンスクリット語の「智慧」という言葉。ほとんどの本で智慧のことは、ジュニヤーナと記さ…

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ

古代インド語のサンスクリットと仏典のパーリ語を少しずつ、学ぼうとしている。ともに、文字はなくて口承であるから、もともとの正確は発音はわからない。たとえば、サンスクリット語の「智慧」という言葉。ほとんどの本で智慧のことは、ジュニヤーナと記さ…

「一夜賢者の偈」

お経(ブッダの教え)はこれがひとつのエッセンスと思う。ここに尽きる。 このパーリ語の響きは、とっても落ち着く。 「一夜賢者の偈」 過去を追いもとめるな。未来を願いもとめるな。 過去はすでに過ぎ去ったもの。未来は未だ来ないもの。 いまここにまさに…

ブッダの教え 、実践というところを基軸にして探求していこう

仏教とは「ブッダの教え」のことだ。ブッダとは「目覚めた人」を意味する。わたしたちは、眠っている。そうして、目覚めた人がブッダだ。真理に目覚めたともいえる。ブッダが実在していたかどうか。すなわちゴータマ・シッダールタが歴史的にいたのかどうか…

次から次へと上に加えて複雑になっていく

あかりのブロック遊びをみていると、次から次へと上に加えていく。 それをまたおとうちゃんは、さらに複雑に積み重ねていく。「どうだー!」という異体かつ不可思議がものがつくられていく。それはやがて壊されて、また新しいものが作られ、また、上へ上へと…

Bhaddekaratta gathā バッデーカラッタ・ガータ

Bhaddekaratta gathā バッデーカラッタ・ガータ よく「一夜賢者の教え」と訳されている。このお経が、仏教の究極、生き方の究極と思っている。たくさんのお経があるが、これ一本で十分。そう思っている。 要約すれば、人生とは、いまこの瞬間にあり。いまこ…

いまやることをちゃんとやる

マインドフルネスとか、気づきとか、いまこことか、言葉化されすぎていてどうもぴんとこなかったが。自分なりに腑に落ちたのは、「いまやることをちゃんとやる」ということ。--------------------ああ、疲れたとタメ息つくときは、ちゃんとしっかりタメ息を…

法華経と権威主義

「法華経ってすごいお経と思われているけど、すごい権威主義なお経じゃない?」そのことで、友人と語り合った。---------------------法華経の権威主義的なところは、数々ある。そのひとつに例えば「授記」というものがある。直弟子たち(声聞)に、釈迦が「…

あかりと長老との出会いがどうなるか。そこが楽しみ。

テーラワーダ仏教のお坊さんの本作りを企画している。ベストセラーを連発しているスマナサーラ長老。もう40年近く、長いおつきあいの歴史がある。 ヴィパッサナー瞑想のワークショップを主催したのが、26年前。当時は、小乗仏教でしょ? ヴィパッサナーって…

無明のシステムに投げ込まれた状態から、いかに脱することができるのか

ブッダは、人間のありようを洞察しているのだと思う。人間は存在自体が自動反応のシステムに投げ込まれた存在である、と。 煩悩の源である「貪瞋痴」(とん・じん・ち)という三毒を通して考えてみた。-----------------瞋(いかり)は、いかにして起きるの…

無我について

仏教とはブッダの教えである。ブッダの教えは何か、というとき、それは「三法印」に示される。「三法印」とは「苦」「無常」「無我」をいう。 この3つのポイントが、仏教が他の哲学や宗教と大きく異なるところだと思う。-----------------ちとややこしいが…

瞬間瞬間の現実に直面してダンスするしかない

「無常」はとっても創造的なありかた。「諸行無常」などと仏教で説かれると、なんだか諦観、あきらめ、ネガティブなイメージがともなう。 しかし、「すべてのものは、移ろいゆく。すべてのことが変化していく」ととらえると、ダイナミックで創造的なものの見…

人生というのは、瞬間瞬間気づいているということ

あかりを夕方、幼稚園の迎えに行く。もう暗い。幼稚園の石の階段をのぼりながら、「生きるというのは、今やるべきことをちゃんとやることなんだなぁ」とあらためて感じた。 石段を登るときは、ちゃんとのぼる。歩いていたらちゃんと歩く。ご飯を食べるときは…

ニコッと微笑んで静かに、怒りの心を伝えるようにしたい

こわれた鐘のように、声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。(ダンマパダ134) 222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人――かれをわれは〈御者〉とよぶ。他の人はただ手綱を手にして…

まったくのリアリティーに立脚している。それがブッダの教え

まったくのリアリティーに立脚している。それがブッダの教え、ととらえてみる。 ブッタの教えは、「なにかを信じろ」という道ではない。仏ですら信じろというのではない。 ましてや、永遠の仏だとか、守護霊とか先祖霊とか神とか。そういうものを信じて歩め…

ブッダの教えで禅語を読み解く

「ブッダの教えで禅語を読み解く」(スマナサーラ著 イースト・プレス発刊)を読んだ。とてもおもしろい。ブッダの教えというものが、すこしわかってきた。 テーラワーダ仏教の僧侶の立場から、大乗仏教(まあ、とくに法華経)については批判的だ。大乗仏教…