【儀式について】2025.6.15
⑮スマナサーラ長老のエピソードから
スマナサーラ長老の取材の際、数名の友人に同席してもらった。ゼミ形式だ。さまざまな人の質問があると、長老の話に広がりと深みが出る。
しかし、いざ長老に質問するのは、なかなか緊張する。
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Mさんがおそるおそる尋ねた。
「仏様を拝んだり、お香を焚いたり、お経を読んだりするのは、どういう意味がありますか?」
「いえ、ほとんど意味はありません。」
それで、おしまい。
儀式に深い意義があるとはあえて説かなかった。形にとらわれるな、という意味もあったのだろう。
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またあるとき、「慈悲の瞑想」(メッタ・バーヴァナー)について尋ねたことがある。「生きとし生けるものに対する慈しみの心は、すごい力になるんです」と言われた。そして、「なるべく儀式的にやるとよいですよ」とも。
なるほど、「儀式的にやるとよい」。納得して、私はおリンをよく鳴らして慈悲の瞑想を行うようにしている。
車にもおリンをつねに置いておき、出発時、赤信号のとき、到着時にゴーンと鳴らす。リンの響きに集中すると、慈しみの心が凝縮するように感じる。
慈悲の瞑想は、生きとし生けるものへの心を育てることだが、そのことで自分自身が守られるのだと実感するようになった。
まさに、「自分で検証せよ」(エーヒパッシカ)ということ。盲目的な信仰ではなく、実践して自分の身体実感で得ていくことで深まっていく。
