⑭【スマナサーラ長老のエピソード】2025.6.9
立正佼成会の機関誌「ダーナ」のトップ記事で、夢と希望についての特集を取材したことがある。「願い」のテーマだ。
「願いを持つことはどれほど大切か。願いがいかに人生を引き上げてくれるか」という内容を予定していた。
ところが、取材を始めると、長老はこう語った。
「希望や願いは、目の前の現実を否定的に見るところから生まれる。夢や希望を持つことは、今この瞬間の現実から逃げることだ。大切なのは今この現実だ。現実、リアリティに立つことが重要だ。」
夢や願いを特集の中心に据えようとしていたのに、トップ記事で「夢や希望は意味がない」と断言されては困る。そこで、「夢や希望は人生を豊かにするが、一方でそれにとらわれると現実から逃げることにもなる」と、なんとか折衷的な表現にしたこともあった。
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長老の「不殺生」についての話も印象的だ。
「人は生命を殺すときに快感を感じるものだ。たとえば、蚊やハエがいたとする。ハエ叩きでやっつけたり、蚊をぴしゃっと潰すとき、『やった!』と喜ぶものだ。」
まさに私がそうだった。各部屋にハエ叩きを用意し、バシッと叩いて「やったぞた!」と満足していた。「さあ来い、たたきつぶしてやるぞ!」と殺気を出すと、ハエが寄ってこなくなることもわかった。
長老はこうも言った。「『不殺生戒を守ろう』とすると、そういう虫たちが寄ってこなくなる。」
そくんなものかなあ。しかし、『不殺生戒』のOSを自分の中にインストールしてみた。実際に、「慈悲の瞑想」とセットで、不殺生を実践してみた。試してもう1年になる。
たしかに不思議なことに、虫たちが寄ってこなくなった。いや、来ているのだろうが、気にならなくなったということかも。
たとえば、カメムシが来ても、追い払ったりしない。その色や形、光の反射による変化、動きをじっくり観察して楽しむようになった。ハエも、その色彩や動きを観察するようになった。ゴキブリでさえ、その俊敏さに感心する。昆虫たちは、それ自体で見事に完成されているのだなと。
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生物学者の福岡伸一さんの話が参考になる。
「彼らは刺したり噛みついたりしない。食卓を攻撃してくることもない。家にカナブンが迷い込んできたら逃がしてあげるのに、ゴキブリを見つけたら問答無用で殺すのはあまりに一方的だ。ゴキブリが飛びぬけて害虫扱いされる理由はない。ゴキブリが他の生物に比べ極端に汚染されていたり、特別な病原菌を媒介するといった科学的証拠もない。
生物多様性が注目されているが、生命の問題はまず時間軸を考えなければならない。ゴキブリが地球上に現れたのは3億年前。ヒトの祖先が出てきたのはせいぜい数百万年前で、ゴキブリの歴史の100分の1だ。
彼らは地球の先住民だ。森に棲み、朽ち木や菌類、他の生物の死骸などあらゆるものを食べ、特殊な腸内細菌との共生を獲得してきた。ゴキブリは世界中に数千種類以上いるが、その大半は今も熱帯雨林にいる。そしてずっと地球の生態系に寄与してきた。分解者として環境を浄化し、他の生物の餌となって地球の動的平衡を支えている。もしゴキブリがいなくなったら、地球の動的平衡はたちまち崩れ、人間を含むすべての生物の生存が危うくなるだろう。
おそらく私たちは、ゴキブリのたくましさ、しぶとさがうとましいのだ。でもそれは勝手な感情だ。私たちは圧倒的に新参者にすぎない。
一度、虚心坦懐に彼らを眺めてみよう。流線形の姿態、黒光りする翅、機敏な動き。それは3億年前から変わっていない。
ここにあるのは実は美しさだ。彼らは地磁気を感知でき、密林でも真っ暗な台所でも正確無比に走り回れる。彼らは氷河期を耐え、恐竜の消長を目撃してきた。きっとヒトも同じ運命をたどると思っているかもしれない。私たちに必要なのは、謙虚さと時間の流れへのリスペクトだ。」(『遺伝子はダメなあなたを愛してる』福岡伸一著、朝日新聞出版)
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「生き物を殺さないようにしよう」という意識を持つと、どうなるか。
「生き物を殺さない」では人は生きていけないものだとわかる。植物も微生物も生き物だからだ。自分中心主義、人間中心主義ということが理解できるようになる。
それでも「殺さないようにしよう」と実践すると、生き物をよく観察するようになる。どんな生き物にも共感が生まれる。
これは「信仰」とか「神仏との約束」ではない。一つの実証実験だ。実践してみて、どのような変化がおきるのか、それを観察しているわけだ。