過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【先祖供養について】2025.6.30

【先祖供養】2025.6.30

朝のひらめき。先祖供養について。

① 生命として生まれた以上、必ず先祖は存在する。先祖は親のまた親と、無限に連なるものだ。

②さらには、わたしたちが食する動植物のいのちにも、無限に先祖がある。ということは、すべてが先祖で成り立っているのが私たちの肉体だ。

③ その先祖が「いまどこにいるのか」。霊界なのか、浄土なのか、転生しているのか、あるいは無なのか。それはわからない。

④ それを完全に理解できる人はいないだろう。霊的に感じる人はまれにいるが、それはほんの一部の感覚でしかないだろう。

⑤ 先祖に対して「供養」することの意味や、どのような行為が供養になるのか、その方法ははっきりしない。わからない。お坊さんにお経を読んでもらったり墓参りすることだけが先祖供養ではないだろう。

⑥ 本質は、儀式や行為ではなく、先祖に対する感謝の心、偲ぶ心こそが大切と考える。(その心を生じさせるために儀式がある)

⑦先祖がいたとして、その供養の行為や思いというものが、そこに届くのかどうか。届いたとしても、それを受け取ってもらえるのかどうか。そこはからない。

⑧それでも、先祖への思いを馳せ、感謝を捧げることは、供養になると考える人は多い。

⑨もし先祖が多様な霊界に存在していた場合、その行為によって、供養を受け取るかもしれない。そのことで、その境遇やいのちの次元が向上し、苦しみが軽減されるのかもしれない。そこはわからない。

⑩確実に言えるのは、供養しようとする人の心は、その行為によって平和で安らかな気持ちになり、心が清まり、心は安定すると感じることだ。

※先祖供養も大切だが、今生きている人を大切にすることがとても大切。身近な人、家族も、友人、ご近所、同僚、そしていま暮らしている敷地にいるいちたち、あるいは目に見えない生命たち。神々や霊的な存在も含めて。