過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

⑨【スマナサーラ長老のエピソード】2025.6.7

⑨【スマナサーラ長老のエピソード】2025.6.7

スマナサーラ長老とひろさちや氏との出会いから編集者へ
スマナサーラ長老のエピソードを連載しているが、今回はひろさちや氏との対談を通じて私が編集者の仕事に携わるようになった経緯を少し書いておきたい。

●幻の対談と本作りのはじまり
スマナサーラ長老とひろさちや氏の対談は実現し、原稿になったものの、ひろ氏の意向で出版には至らず、幻の原稿となった。現在は私のパソコンの中に抄録として残っているだけだ。

ひろ氏からは「対談本ではなく、私の本を作ってほしい」と言われ、ありがたい仕事だと思い、挑戦させていただくことにした。当時、仕事といえば、大学の新聞を年に2回作るだけで、インドを旅していただけだったから。

こうして初めての本『私の南無妙法蓮華経』が生まれた。その後も、日本の祖師たちについて語る企画として、空海法然親鸞道元についてひろ氏に語ってもらい、本作りを進めていった。また、ひろ氏の紹介で講談社から「宗教入門の本を出したい」という仕事も入り、そのお手伝いもした。

●編集の進め方
では、どのように編集を進めたのか。

作業の流れとしては、まずホテルを予約し、そこで夕食を共にしながら語り合う。翌朝9時から夕方まで、ひろ氏の講座を拝聴する形でインタビューを進めた。私が適宜突っ込みを入れる。そうしないと、面白い本にならないからだ。「いや、そうじゃなくて、こういう意味だ」と叱られながら、話を深めていく。こうした語り合いを都合13時間ほど行い、テープ起こしをしてから編集作業に入るという流れだった。

「オール・オア・ナッシングだよ。私は原稿にいちいち朱を入れるようなことはしない。OKか、そのままダメかのどちらかだ。だから、ひろさちやになりきって書いてほしい」

ひろ氏からはそう言われた。オール・オア・ナッシングでは努力が水の泡になりかねないので、必死になって書いた。その過程で、編集力や文章力を磨くことができたのだと思う。

●編集未経験からの挑戦
そもそも私は編集のド素人で、それまで編集の経験など皆無だった。それまでの人生は、普通の会社員としてドイツやイギリスへの輸出業務、株式業務、生産手配、海外物流のコストダウン企画などに携わるサラリーマン生活だった。編集プロダクションに勤めたのはわずか1年。その間に企画の立て方、雑誌の取材や本作り、映画作りの入り口を体験しただけだった。

ともあれ、会社を辞めて「さて、何をしようか」と思ったとき、まずはインドを放浪しようと決めた。その旅の過程で、カルカッタ空港でひろ氏と出会ったのだ。

インドを旅してばかりで仕事はしていなかった。やがて貯金が底をつき、家賃も払えなくなってきた。「ちゃんと働かなくちゃ」と思ったとき、ひろさちや氏とスマナサーラ長老の対談企画を思いつき、出版社に提案した。それが編集者としての道を歩み始めるきっかけとなった。