【マインドフルネス 一鉢三声鐘②】2025.5.17
一昨年、ベトナム僧のタン師を招いてマインドフルネスのリトリートを開催した。平和で柔らかな波動に満ちた一日だった。
タン師は日本語を流暢に話すわけではないが、その明るく穏やかな微笑みはしっかりと伝わってくる。出家に至った経緯を伺うと、さまざまな人生の背景が浮かび上がる。
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タン師は28歳で出家し、13年が経過した現在、41歳である。16歳のときに日本に来た。両親はベトナム戦争(1955年11月〜1975年4月、20年にわたる戦争)の難民だった。
難民は「ボートピープル」と呼ばれた。紛争や圧政から逃れるため、漁船やヨットなどの小さな船に乗り、外国へ脱出した人々だ。ボートピープルの多くはタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、香港などの東南アジア諸国に到着したが、外国船に救助されて日本に上陸した人もいた。
ボートピープルの総数は約144万人。日本は1979年から2005年にかけて約1万人のベトナム人を受け入れた。タン師の両親もその一人として日本に来た。
しかし、言葉の壁や仕事の乏しさから、肉体労働に従事しながらの厳しい暮らしだった。父親はアルコール依存症になり、家庭では暴力や諍いが絶えなかった。タン師はそのような父親を受け入れることができなかったという。
そんなとき、ティク・ナット・ハン師に出会い、「あのような人になりたい」と出家を決意した。
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タン師が日本に来た16歳の頃、昼間は旋盤工やNC工作機械の仕事に従事し、夜間高校に通った。機械を相手にする仕事だったため、「日本語を十分に学べなかったことが今でも心残りだ」と語る。
天恩寺とベトナム人コミュニティ
ホアさん夫妻を中心に、ベトナム人たちが力を合わせて天恩寺を建立した。ホアさんは現在51歳。子どもの頃はベトナム戦争のさなかにあり、まともな教育を受けられず、きちんとしたベトナム語を話せないという。
※ベトナムは100年余に渡って戦争が続いていた。まともな教育が受けれる訳がない。1858年から1975年まで、フランスの占領、日本の侵略、インドシナ戦争、ベトナム戦争という4つの主要な戦争・占領の歴史を経験した。フランス占領:82年 日本の侵略:5年 インドシナ戦争:8年 ベトナム戦争:20年 合計:約115年間(重複を最小限に考慮)
ベトナム戦争中、南ベトナム政権による仏教徒弾圧に抗議し、ガソリンをかぶって端座合掌しながら焼身自殺した僧侶(ティック・クアン・ドック)がいた。彼は「自らの体をたいまつとして政権の闇を打ち破り、非暴力の精神で宗教の平等と自由のために身を捧げた」言われる。
そのような時代に、師であるティク・ナット・ハンはフランスに亡命し、マインドフルネスや平和に関する力強い教えと著作で、世界的スピリチュアルリーダー、詩人、平和活動家となった。
彼の拠点である南フランスのプラムビレッジは、元々ベトナム人の難民キャンプだったが、今では200名以上の僧侶が暮らし、リトリートには千人以上が集まるムーブメントとなっている。
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日本の歴史とベトナムとの関わり
日本はかつて朝鮮を征服し、中国侵略を企てて満州国を建国したが、欧米の経済封鎖を受け、ついにはアメリカと戦争を行った。しかし、アメリカ軍に徹底的に破壊され、2度の原爆投下とソ連の侵攻を経て無条件降伏した。
敗戦後は食糧危機や経済停滞が続き、餓死者が続出した。そんな中、**経済を回復させたのは他国の戦争による特需だった。まず朝鮮戦争(1950年〜1953年、3年にわたり朝鮮半島全域を戦場化した戦争)、そしてベトナム戦争(1955年〜1975年)が起きた。
これらの戦争による特需で日本経済は回復し、高度経済成長を遂げた。ある意味、他国の戦争という犠牲の上に成り立った繁栄と言えるかもしれない。
ベトナムとの交流を通じて、そんな歴史を振り返る機会となった。
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「禅僧の来歴」(五言絶句)
戦火逃僧舎(せんか にげの そうしゃ)
難民十六秋(なんみん じゅうろくしゅう)
父怒旋盤響(ち いかり せんばんひびく)
仏道一灯求(ぶつどう いっとうもとむ)
〈書き下し文〉
戦火(せんか)逃(のが)れて僧舎(そうしゃ)
難民(なんみん)十六秋(じゅうろくしゅう)
父(ち)の怒(いか)り旋盤(せんばん)響(ひび)く
仏道(ぶつどう)一灯(いっとう)を求(もと)む
〈現代語訳〉
戦火を逃れて寺に身を寄せ
難民として十六年の歳月
父の怒りと工作機械の音響く中
仏道という一筋の光を求め
「解説」
起句:ベトナム戦争→日本寺院への逃避行
承句:ボートピープルとしての16歳までの軌跡
転句:父のアルコール依存症と工場労働の記憶
結句:ティク・ナット・ハン師との出会いで出家決意
「旋盤響く」で夜間高校と工場労働を同時暗示
「一灯」にプラムビレッジの灯火と仏道の光明を重ね
16歳の年齢を「十六秋」と詩語化して歳月の重みを表現
戦争/家庭の暴力を「戦火」「父怒」で対比的に配置
第四句の「求」字に、日本が戦争特需で「求めた」経済復興と、僧が「求めた」精神的救済の二重性を込め、両国の歴史的因果を暗示。