過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【わがごととしてのヴィパッサナー】2025.6.13

【わがごととしてのヴィパッサナー】2025.6.13

長老とは、30年、40年を超えるお付き合いになる。これまで、本も作らせていただき、たくさんの説法やお話をいただいた。ヴィパッサナーのワークショップなど、おそらく最初に主催したのだと思う。
ヴィパッサナーの実践法や、暮らしの中での活かし方など、長老の説法を聞いて頭の中で整理できていると思っていた。

しかし、「わがごと」としてではなかった。

  ▽

私は長老の来日当初から日本テーラワーダ仏教協会の設立に至る経緯を知る数少ない一人になるだろう。そんな経緯で「適役」と思われたのか、長老の自叙伝のためにインタビューする機会をいただいた。

インタビューの数か月前から、空咳が続いていた。初めはコロナの後遺症が長引いているだけと思っていた。しかし、いつまでたっても咳は止まらない。

ゴータミー精舎で、2泊3日のインタビューの際にも、咳をしながらであった。
その日は、台風が近づいていた。帰りの新幹線は途中の新富士駅で停車してしまった。いつ動き出すかわからない。このまま新幹線の中で待ち続けるのがいいのか、ホテルに宿泊するのがいいのか。さあどうしよう。不安な旅だった。

  ▽
やっとの思いで帰宅したものの、やがて次第に調子が悪くなっていった。雑巾がけをするだけで息が〝はあはあ・ゼイゼイ〟する。

病院で診てもらうと、肺は真っ白。専門医の診断では「特発性間質性肺炎」。指定難病で身体障害者3級とされた。階段の昇り下りすら大仕事になりつつある。人と話すときは寝転んで話すような状態だ。

まさに「見よ、この飾られた姿を、傷つきやすく、壊れやすい瓶のようだ。多くの病に悩まされ、常に変化するこの身体を。」(ダンマパダ)を味わう。「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」の芭蕉の句がよくわかる。

そして、30、40年も長老の法話を聞きながら、ヴィパッサナーをいかに「わがごと」として実践してこなかったか。それがよくわかった。

そんな折、長老が「東海ダンマサークル」でヴィパッサナー指導に来られると聞き、浜松の山奥から愛知県刈谷市まで出かけた。

長老も体調が優れず、かつてのようにサッサとカッコよく歩けるお体ではない。立ち上がったり坐るのも、とても大変そうだった。そんなお体にもかかわせず、渾身の指導を頂いた。
  ▽
それ以来、日々の暮らしの中でヴィパッサナーと慈悲の瞑想を実践するようになった。というより、呼吸が苦しいので、いやおうなく呼吸に意識を向けざるを得ない。いわば強制ヴィパッサナーの日々だ。

私は森の中の一軒家に住んでいる。朝4時半からウグイスが鳴き、5時にシジュウカラ、5時半にカラス、6時にヤマバトが鳴く。夜にはフクロウが鳴く。広大な敷地には、シカ、ヘビ、トカゲ、さまざまな虫たちがいる。

そんな暮らしの中で、ヴィパッサナーと慈悲の瞑想をしながら仕事をしている。

慈悲の瞑想を実践すると、いろいろな生き物の息遣いが感じられてくる。生き物への親しみと共感が生まれてくる。部屋にやってくる虫たち。さらには、目には見えない生命体にも親和性を感じるようになってくる。
  ▽
これまで私は仏教というものを、「他人事」として概念的に理解していたことがよくわかる。今回、難病にかかり、ヴィパッサナーを「わがごと」として実践しつつ生きるようになった。

人はいつか必ず死ぬ日が来る。それもそう遠くないかもしれない。そう思うと、物事がリアリティをもって立ち現れる。無駄なことはどうでもよくなり、執着も消えていくように感じる。とはいえ、悟りの光はまったく現れていないのだが。

 ▽
人生は縁のつながりだ。巡り巡って縁がやってくる。あるいは「数珠つなぎの人生」みたいなものだ。

40年近く前の長老との出会いが、こうして長老の自叙伝のお手伝いにつながった。そして病を得て、ヴィパッサナーと慈悲の瞑想を「わがごと」として実践する道を歩むことになってきたのだ。ありがたいことだ。