過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【スマナサーラ長老との出会いとその歩み】2025.6.13

スマナサーラ長老との出会いとその歩み】2025.6.13
スマナサーラ長老の生い立ちから出家、来日、そして現在に至る活躍をお聞きする役目をいただいた。
長老は自身のことを語りたがらない。「自分の人生を語るのは、『遺体を発掘してどうですか、臭うでしょう?』みたいなもので、そんなくだらない本は出したくない」とおっしゃっていた。
それよりも、「皆の役に立つものを提供したい」という意向をお持ちだった。
「いえ、長老の人生を語っていただくことで、ブッダの教えがどのようなものか、読者にわかりやすく伝わります」とお願いし、インタビューをさせていただいた。
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私がスマナサーラ長老と初めて出会ったのは、40年前、長老が40歳のときだった。
出会う前、私は「スリランカ小乗仏教? 戒律に厳しく縛られた、不自由なお坊さんではないか」といった偏見を持っていた。
それまで日本には、テーラワーダ仏教が本格的に伝わっていなかった。学術的にはパーリ語の翻訳を通じて仏教として伝わっていたが、実践として暮らしに生きるものとしては根付いていなかった。


「そもそもブッダのおおもとの教えとは何か」「何をどのように実践すればいいのか」ということが、ほとんど知られていなかった。伝わっていなかった。
南方仏教に比べ、日本に伝わった大乗仏教は哲学的で柔軟性があり、ダイナミックだと感じていた。特に『法華経』や密教は特別すごいなものに思えた。チベット密教も次第に広まりつつあった時代だ。


日本に仏教が請来されてから『中論』や唯識、『華厳経』、『法華経』などが中心で、『阿含経』のブッダの教えは「低い教え」とされ、ほとんど学ばれることがなかった。ましてやその実践法も知られていなかった。


私は創価学会を脱会し、ひろく大乗仏教や天台教学を学び始めていた。また、自己啓発セミナーが盛んな時代で、「存在とは何か」「人間であるとは何か」といったテーマについて問われ続け、探求していた頃であった。


そんな折、スマナサーラ長老と出会ったわけだ。
私は、頭でっかちな質問を数多く投げかけた。
その時、最初に受けた衝撃は、「念ずるの『念』とは、強く思うことではなく、いまここに気づくこと」という長老の言葉だった。この言葉は、自己啓発セミナーやクリシュナムルティの教えと通じるものを感じさせた。
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そして、42歳の厄年のとき、「厄だから何か役に立つことをしよう」と決意し、「アートエナジー」というワークショップを立ち上げた。


これはダンス、瞑想、アートを融合させた集いで、国立市の福祉センターで開催していた。アフリカンドラム、気功もカバラ瞑想、OSHOの瞑想、シタールのコンサート、いろいろと企画していた。もう30年近く前のことである。


その企画の一つとして、長老に毎月ヴィパッサナー瞑想を指導していただいた。呼吸への気づき、膨らむ・縮むの気づき、歩く瞑想、食事の瞑想、暮らしの中での気づき、ラベリングなど、多くの実践を学んだ。


その後、「テーラワーダ協会」が設立され、数々の出版物が世に出るようになった。長老も「こころの時代」などテレビに出演し、知名度が上がっていった。既存の仏教寺院からも講演を依頼され、その鋭い生き方の役に立つ説法が広く伝わっていった。
これまで『一日一話』など、長老の本を何冊か制作させていただいた。宗教評論家のひろさちやさんとの対談も企画し、書籍化寸前まで進んだこともあった(ひろさんの事情により、出版には至らなかった)。


今回は、長老ご自身の体験に基づくお話を伺う機会である。来日して現在に至る草創期のことは、その情景をよく覚えている。長老を取り巻く日本の風景や、長老を通じてブッダの教えを学び実践する人が増えていった過程を目の当たりにしてきた。
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伝えたい逸話やエピソードはたくさんある。面白く、驚くような話も多いが、今回はそうした話題をかなり削ぎ落とすことになった。


長老とのインタビューを通じて、私自身が多くのことを学ばせていただいた。そして、病を得て余命も残り少ない身となった今、ブッダの教えを日々の実践として、まさに生きる教えとして体験している。スマナサーラ長老との出会いがなければ、このようなことは決してわからなかっただろう。
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昨年11月、長老が愛知県刈谷市で講演とヴィパッサナー瞑想の指導をされた際、浜松から出かけて参加させていただいた。


長老も私も健康とはいえない状態だったが、長老の懇切丁寧で深遠な指導に深く感銘を受けた。ヴィパッサナー瞑想の基本が、改めてよくわかった。実に微細で緻密な指導であり、身体の細胞の動きから宇宙論にまで話が及んだ。


これまで、長老の話は書籍や雑誌のインタビューをするなかで、たくさん質問し、聞いてきた。ヴィパッサナーの実践会も幾度も企画していいる。
しかし、実際のヴィパッサナー瞑想を、「わがごと」としてきちんと受けていなかったことを痛感した。


何ごとも実際に自分で実践し、身をもって体得することに尽きる。
身体で掴んでいなければ、砂上の楼閣にすぎない。
病を得て初めて、ブッダの教えやヴィパッサナー瞑想、慈悲の瞑想を「わがごと」として学ぶ機会を得た。そして、人生の終盤で、スマナサーラ長老の本作りの仕事に関われたことは幸いだった。


ブッダの教えは、ただひたすら自己洞察・自己観察にある。
今、ブッダを学ぶ流れが着実に広がっていると感じる。