②【スマナサーラ長老とのエピソード】2025.6.1
「もうすぐ死にそうだという人を見舞う際、どんな気持ちで行けばいいか」と尋ねると、長老はこう答えた。
「何も恐縮する必要はありません。恐る恐るかしこまって見舞う必要はないんです。いつも通りに普通に行けばいい。『この前、こんなことがあってね、笑っちゃったんだよ』みたいな感じで話をするのがいいんです。病人にはそのことがちゃんと伝わりますから」。
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ミャンマーなどで数年修行し、日本でもその暮らしを続けようとする人がいた。日本には布施の文化が根付いていない。戒律では、お金を持つことも受け取ることもできず、その日調理された食事しか受けられない。自分で料理することも許されない。そのため、戒律を守ろうとすると何もできず、餓死してしまう可能性すらある。
だから、付き添いの人が必要だ。付き添いがいなければ暮らせない。付き添いの人が切符を買ったり、料理をしたり、身の回りの世話をしたりする。
そんな暮らしの中で、「戒律を保って生きるってどういうことですか?」と尋ねたことがある。
長老はこう語った。「戒律の最も大切なところは何だと思いますか? それは人に迷惑をかけないことです。人に迷惑をかけて自分の戒律を守ろうとするのは、根本的に間違っています」。
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信州の山奥でマクロビオティックの暮らしを教える集いを主催している方から聞いた話だ。その方は、マクロビオティックとヴィパッサナー瞑想(いまここに気づくこと)に通じるものを感じていた。
その方がヴィパッサナー瞑想会に参加したとき、長老はまだ全く無名で、参加者はその方一人だった。それでも、長老は実に丁寧に指導してくれた。
そのときの長老はまだ40代で若く、ちょうど光が差すと金色に輝いて見えたという。「本当に金色で、驚いた」とその方は語っていた。
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長老からたびたび揶揄されたこともある。
「池谷さんは、本は書けません。なぜなら引き出しが多すぎるからです。ひとつに絞り込めません」。また、いろいろ質問すると、「あなたの固定概念に対してどう答えたらいいか、今考えています」と言われた。
こんな言葉もあった。
「人はこれまで崇めていた神さまでも、もっと優れた神が現れると、今までの神さまをいとも簡単にゴミ箱に捨ててしまうものです。けれども、次の神様を崇めても、主人と奴隷という関係性はいつもある。主人と奴隷ということを超えて、自分として生きるのがブッダの教えなんです」。
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著名な宗教評論家のひろさちやさんと対談を企画したことがあった。インドのカルカッタ空港でばったりひろさんに出会ったことがきっかけで、ひらめいた突飛な企画だった。それが、私の編集者としての人生のスタートだった。
対談は帝国ホテルを会場に行われ、私が司会を務めた。しかし、対談はほとんど噛み合わなかった。ひろさんの「仏教は信仰だ」という主張と、長老の「仏教は信仰ではない」という考え方の間に、かなりの隔たりがあった。
ひろさんからは「司会がダメなんだ」とも言われ、私としては歯がゆい思いだった。
対談後、長老はこう語っていた。
「私はスリランカ人という立場と、小乗仏教のお坊さんという立場を両方演じなければなりません」。
ひろさんにとって、長老は「南方の途上国スリランカ出身の人」や「大乗仏教から見れば低い教えに縛られた小乗仏教の僧侶」として映っていたのだろう。長老は、相手が投影するイメージに応じて答える役割を果たさなければならなかったのだ。
この対談は書籍化寸前まで進んだが、ひろさんの事情により出版には至らなかった。まあしかし、それが縁で、ひろさんの本の編集を長く担当することになった。そこから、わたしの編集人生が軌道に乗り始めた。
人生は次に何が起きるかわからない、数珠つなぎのようなものだ。