過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

挑戦しつづける姿勢、出会った人と渾身の力でやりとりする姿勢は、死の瞬間まで

S大の大学院生が2名来てくれた。研究と学びのためだ。 N君は、理学療法士の資格あり。機能訓練のプログラム作りに参画してもらうことになる。こちらはフィールドを提供し、ともに「転倒予防教室」のような講座を開催していく。ひとり暮らしのお年寄りの見…

ものづくりも見守りも日常 その終点が看とりと送り 日常で終わる

静岡県の健康長寿財団の「生きがい特派員」をやっている。友人の田中康彦さんのことを原稿にしてみた。 ------------------- ものづくりも見守りも日常 その終点が看とりと送り 日常で終わる 田中康彦さん(浜松市天竜区在住、78歳 「アムール川(中国北東部…

「手づくり葬」について

「手づくり葬」について。(ちょっと過激バージョンです) いま日本の葬儀の平均費用は200万円余である。立派な戒名やら、たくさんお坊さんにきてもらうとか、そういうことにお金をかければ、限りなく費用はかかる。 戒名とは、戒律を保って仏弟子になるとき…

死ぬまでに大変化なこと。死んだあと、遺族はいろいろな困難・課題に立ち向かう

田中さんのような心尽くしのいい葬儀を体験させてもらったので、世の「看とりとおくり」について、いろいろ考えさせられた。 死んでしまった人は、安らかにあの世に旅立つ。もうこの世とは関係ないわけだ。しかし、死ぬまでが大変ってことが多い。そして、死…

いよいよ荼毘に付された

ひとつの静寂な送りの事例と思う。世の中の慣習とか権威とかしきたりとか、こだわらず。自分らしく、なによりも故人のよろこぶように、と。家族が集う中、一昨日、田中さんの奥様は静かに息を引きとられた。延命治療などしなかった。栄養補給の点滴も水も絶…

完成しつつある棺桶

奥様の葬儀に向けて、棺桶に「般若心経」が貼られた(山口と鶴田さんの作品)。さらには棺桶の窓をつくる。外から写経用紙を通して光が指すようにしてある。死者に光が見えるように。 仏具に、香爐(セージを焚く)とチベタンベルをお貸しする。葬儀で流す井…

手づくり葬 棺桶を自作する

奥様の余命はあと10日くらいか。医療は、治るために行うもの。治る見込みのない医療というのは、患者に負担を強いるだけ。ということで、ターミナルに入った。 もはや点滴もしない。水も断っている。奥様は60代前半からアルツハイマーにかかり、田中さんはお…

「看とりとおくり」の講座の4回目の開催で

もはや肉体が死にゆこうとする時、医療はどういう役に立つのか。 医者としては放置できない。「一分一秒でも生きながらえらせること」が医療の一つの使命である。--------------------しかし 老衰など治る可能性が全くない場合、無理に生きながらえさせる(…

おばさまたちの意識は、伝統とか慣習のわずらわしさから脱却してきている

デイサービスの事業継続のために、引き継ぎに入っている。この数日は、見習いとして送迎からケアマネ挨拶など、行動している。そして、利用者さんとは、いろいろ雑談をしている。みなさん80台だ。-------------------こんな話で盛り上がる。友人の奥さんが亡…

妻がいよいよ末期医療に入ったと相談受ける

「妻がいよいよターミナルに入った」と、友人が相談に来られた。60代からのアルツハイマーで、いまは施設におられる。2年前には、心筋梗塞になり危ぶまれた。今回こそ、「いよいよだ」という。もはや食事はできなくなり、栄養は点滴でつないでいる。 点滴注…

身よりもなく、ひとり暮らしで死んだ場合のマインドマップ。

身よりもなく、ひとり暮らしで死んだ場合のマインドマップ。

人に会うのは「一期一会」だなあ

ほんとに、人に会うのは「一期一会」だなあ。もう二度と会う機会はない。これが最期かも。そう思って接したいものだ。 相手は死んでしまっているかもしれない。なによりも、自分が死んでしまうかもしれない。豊かな生き方、見事な生き方、際立った生き方をし…

天国に近い「南の島であの世へ旅立とう」という、新しい「看取りビジネス」

天国に近い「南の島であの世へ旅立とう」という、新しい「看取りビジネス」……なるほど。 引用箇所は、この本の趣旨とはちがうところにあるけれど。ちょっと面白いので、一部を紹介。 上野千鶴子著「情報生産者になる」(ちくま新書)から。読みやすいように…

「おくる」「しまう」「たたむ

「おくる」「しまう」「たたむ」。人をおくる、家をおくる、村をおくる。会社をたたむ。ものごとをしまう。そういう点から、宗教をながめてみた。「おくる」「しまう」「たたむ」をちゃんとすることで、新しいことが起こる。はじまる。そこをちゃんとしない…

「墓などいらない」という人が増えてきているのはたしかだ

「寺離れ」「墓離れ」が進んできているという実感。60代はもちろん。そして70代も、さらには80代も。 ぼくたちの世代は、まだ自分の死について、リアルに感じてないために、墓はいらないというのかもしれない、しかし、リアルに死が近づきつつある70代、80代…

靖国神社を参拝した さながら戦争博物館のようだった

先日、靖国神社を参拝した。神社とはいうものの、さながら戦争博物館のようだった。戦争を賛美し、戦いを鼓舞するようなものが多かった。大鳥居をくぐると、その先にまた鳥居が。その鳥居の左右の柱には、向かって右に、日本海海戦に勝利した東郷元帥のレリ…

納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉を考えよう 企画書

タイトル:納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉を考えよう〈背景と目的〉人生において、親しいひとの〈看とり〉と〈おくり〉はかなり重要なことである。けれども、納得のいくことが、むつかしい。必要以上の延命治療などで、心からの〈看とり〉ができにくいこと…

禅宗のお坊さんたちの前で講演

禅宗のお坊さんたち50名余。その前で講演させていただくことになった。クラウンパレスというホテルの会場。高い壇上からの話で聴衆と距離があるので、ちとやりにくい。話の素材は整理していたけど、主催者の一番えらい老師との打ち合わせが必要だ。老師から…

〈看取り〉と〈おくり〉をテーマに探求していく

来年からは、〈看取り〉と〈おくり〉をテーマに探求していく。その実現の構造作りのメモ。まずは、〈看取り〉と〈おくり〉に特化したホームページを立ち上げる。ほぼ毎日、投稿を続けていく。いわば考えの貯蔵庫。発信のペースメーカーとしてつかう。その過…

『死んだらおしまい、ではなかった』を読みたい、と

『死んだらおしまい、ではなかった』(大島祥明著 PHP研究所)という本をもう一度読みたい。あの本の内容が印象的で、そのとおりだと思った。いまおやじがなくなって、もういちど読みたてくなった──先日、亡くなった天野さんの息子さんから電話があった。天…

仏教とキリスト教の葬儀のあり方

葬儀がおわった。あとは、手伝いの下働きの組の連中との精進落としで、酒と食事(ぼくは酒を絶ったので飲まないけど)。となりのMさんがクリスチャンだったので、仏教とキリスト教の葬儀について語りあった。キリスト教からしてみると、仏教の葬儀は不可解だ…

ご近所の方が亡くなって

向かいの家の天野政孝さんが昨日、亡くなった。86歳。山の原木を買い付けて、販売する仕事をしていた。間質性肺炎を患って、入院。そんなに重症とは思っていなかったので、驚いた。ランをよく山に連れて行ってくれた。昨年、うちの敷地で炭焼窯を作るとき、…

「納得のいく看とりとおくり」。それが、来年の企画になりそう

「納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉」。それが、来年の企画になりそう。医者は、1分1秒を長らえることにがんばる。それって、いわば物理的な生命の維持。安らかに逝くことのサポートは医者の役目ではない▲死にゆく人は、すでに逝くことをきめている。安らか…

「矢先」症候群

やっと時間ができて、さあこれから、というときに倒れた。定年になって、さあこれから妻と二人で温泉にでも行こうかと思っていた矢先にガンで倒れた。「矢先」症候群だ。患者と接していて、そういう人が多い▲みんな生の延長線上に死があると思っているけれど…

ついに12万部を越えた

4年前に企画してつくらせてもらった本が、2000部、3000部と増刷を続けていった。昨日、出版社から連絡があり、ついに、36刷で12万部を越えたという。『死んだらおしまい、ではなかった』(大島祥明著/PHP発行)という本である。亡くなった人が、はたして…

わたしたちの暮らしには縁遠いお経

お経というと、わたしたちの暮らしには縁遠い。暮らしの中でお経をよむのは、お坊さんとか創価など新興宗教の人くらいだろうか。それは、坊さんによって葬式や法事のときによまれるもの。それは、「死者の供養のためのもの」であって、「自分の生き方や暮ら…

崖から落ちて亡くなったところを

その方は、90歳近くだが、いたって元気な方で、ここいらの山里の実力者で大地主ということだった。仏教に関心があるようで、死んだらどうなるのか、死んだあとの供養のことなど、いろいろと聞かれた。初対面であったが、いろいろなお話をさせてもらった。話…

死ぬってことは、ぐっすり眠れるようなもの?

どんなところでもたちまち眠れる人がいる。すとんと寝入って、ぐっすり。爽やかに目覚められる。うらやましい限りだ。そんな友人が言う。──ベッドが心地いいと悪いとか、関係ない。すとんと、眠ってしまえば、もうぐっすり。その日のこと、それまでのことは…

遺骨は灰にして、川に流してもらえばいいと思うけど

無駄な延命処置はいらない。胃ろうなんかとんでもない。死んだら、戒名もいらない、葬式は親しい人だけ、坊さんも要らない。お墓も要らない。遺骨は灰にして、川に流してもらえばいい。そのためには、近隣の友人たちの間で、「死んだらこうしてほしいネット…

恐山を訪ねる

恐山の風景。宇曽利湖(うそりこ)のほとり。ここは極楽浜と呼ばれるが、静寂すぎて不気味だった。酸性が強いためか魚は一匹もいない。カラスがたくさん舞っていた。火山岩に覆われ硫黄臭のする「賽の河原」という荒涼とした岩場を歩いて行くとたどり着く。…