過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カミとホトケ そして天皇霊 

天皇はほんらいは日本国の「大神主」という意味あいがあると思う。
肉体は人間であるが、いわば「天皇霊」ともいうべきのを代々の受け継いている器と考えられる。
それが行われる儀式が大嘗祭(だいじょうさい)である。

靖国神社は、天皇のために亡くなった人たちの魂がおわすのだから、天皇が祭主となって、さまざまな儀式がいとなまれるべきである。
天皇が大神主として参拝されたほうがいい。そういう考えがある。

しかるに、昭和天皇A級戦犯靖国神社に合祀されて以来、参拝しなくなった。平成天皇も参拝されていない。このままでは、天皇が参拝されない神社ということになってしまう。それでは、靖国神社の意義がない。そういう考えがある。

※この投稿は、「天皇が参拝すべきである」ということ主張しているのではない。問題を整理するために、書いているに過ぎない。
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死んだら、人間を超えたなにか偉大な存在になる。すなわち「カミ」とか「ホトケ」になるというのが、日本の宗教のひとつの特徴か。

秀吉も家康も、死んだ後に、カミになって祀られた。
家康は東照大権現として日光に祀られた。権現(ごんげん)とは、本地はホトケであり、この世にカミとして現れたということだ。いわばホトケでありカミでもある。

遠州国学者であり、本居宣長の師である賀茂真淵(かものまぶち)もカミとなって、縣居(あがたい)神社に祀られている。私はその近くで生まれた。学校も県居(あがたい)小学校である。
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また、「怨霊封じ」のために、神として祀られることもある。

天神さんと親しまれている菅原道真神田明神平将門などもそうだ。
特異な才能や生まれ、力があったが、無念の思いを残して死んだ場合、タタリを恐れて、カミとして祀るわけだ。
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軍人もカミになって、「軍神」となる。日露戦争の乃木将軍も東郷元帥もカミになり、乃木神社東郷神社となっている。

太平洋戦争においては、カミは乱発された。国民の戦意高揚のためだろう。どんな死に方をしても(餓死や病死でも)、お国のために戦った人は、死んだらみな英霊であり、即カミとした。‥‥成仏しているとはとても思えないのだが。

そして、カミとして靖国神社に祀られた。靖国には、戦犯となった人たち(A級・B級・C級)もカミとして祀られている。ただし、戦災に遭った民間人は、カミにはならない。
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また「日本仏教」においては、死んだらホトケと呼ばれる。「成仏した」とも言われる。ホトケの定義がややこしいのだが、死んだら悟りを得たというわけではなく、この世に「未練や執着、恨み」を残さずにあの世に逝ったという意味で使われる。

そのために、坊さんの出番がある。死者に戒名を授け、お経を読む。それは死者があの世に行くために「出家の儀式」をしているのだ。それで、あの世におくる。引導を渡す。
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ちなみに浄土真宗は、「即得往生」の教えだから、すでに極楽往生している。ゆえに出家の儀式はしない。しかし、お坊さんがきて死者に名を授け、お経をよんでおくるという儀式は、教えの中身に多少の差はあっても、まぁほとんど同じようなスタイルと。