過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「空援隊」から、本作りの依頼を受けた 英霊について考える

「遺骨を、一体でも多く、一刻でも早く遺骨を埋葬・供養する」。「宗教宗派・主義主張などを超えて活動する」。「できることから始める」。それが「空援隊」の活動理念だ。

遺骨収集の活動を地道に行っているNPO法人「空援隊」の倉田さんから、本作りの依頼を受けた。
そのこともあって、英霊について考えてみた。
 ▽
これまで靖国神社を参拝したことは、幾度かある。伊勢神宮のように静寂感のある場所とは感じられない。ざわざわしている。
隣接されているいわば戦争博物館遊就館」にも寄った。半日かけて見て回る。

巡回コースの最後の部屋にくると、戦死者の御影(みえい)が飾られてある。
その前に、白無垢の花嫁人形がずらりと置かれてあった。うっと息を呑んだ。
かれら若者たちが、どんな気持ちで出征し、亡くなったかと思うと、やるせない。

戦死者の多くは、飢えと病気と言われる。
そして、遺骨が遺族に返されてもその箱を開けてみると石ころであったとも聞いた。
最前線では、自分が死ぬかもしれない。遺体を荼毘に付して骨にするような余裕などあるはずがない。
 ▽
靖国の御影の下には、みな「◯◯命(みこと)」と書かれてあった。かれら戦死者は、命(みこと)、すなわち神、英霊ということだ。

かれら戦死者は、戦死した瞬間に英霊=神となる。神として英霊として靖国神社に祀られる。英霊たちは、集合霊、祖霊、大和魂として、国を護ってゆく。これが、「国家神道」の理論だ。

それは、明治に作られたいわば新興宗教である。御神体は、天皇だ。天皇を現人神としている。
  ▽
もともとの神道では、三十三年間の鎮魂期間を経なければ神にはなれない。
死んだばかりの人間は「荒御霊」(あらみたま)であり、たましいは鎮まってはいない。
三十三年間、あるいは五十年の鎮魂期間があってようやく「和御霊」(にぎみたま)となる。やがて、祖霊となって集合霊となって子孫たちを護る。ムラを守る、祖国を守るということになる。

その意味からすると靖国神社の祭り方は、従来の神道の考えとは異なる。
  ▽
明治新政府は、西洋列強に伍すために、絶対主義国家をつくらなくてはならない。そのために、天皇を現人神とする天皇教ともいうべき国家神道をつくりあげた。

お国のために亡くなったのに、天皇の命令によって戦争に行かされ、命を落とした。それは、「荒御霊」(あらみたま)である。しかし、それでは具合が悪い。
だから、戦死した瞬間に、神となるという教義にした。
戦死しても、神になるのだから、遺族もよろこび安心する。
そうして、みんな喜んで戦地に赴いてくれるだろうという思惑があったのだろう。
  ▽
ちなみに、靖国神社の鳥居のそばに巨大な像があるが、大村益次郎である。西洋兵法を研究し、日本の軍制を改革して近代陸軍を創設した功労者だ。

維新の戦いにおいて亡くなった志士たち、官軍の兵士たちをまつるために作られたのが、「東京招魂社」。それが靖国神社である。その東京招魂社の祭祀に遠州報国隊(遠州の神主を中心とした隊)が深く関わっている。

靖国は戦犯となった人たち(A級・B級・C級)もカミとして祀られている。しかし、西南戦争として国に刃向かった西郷隆盛会津の兵士たちは祀られていない。そして、空襲などで亡くなった民間人も祀られていない。(続く)