死んだら、人間を超えたなにか偉大な存在になる。すなわち「カミ」とか「ホトケ」になるというのが、日本の宗教のひとつの特徴だろうか。
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秀吉も家康も、死んだ後に、カミになって祀られた。
家康は東照大権現として日光に祀られた。権現(ごんげん)とは、本地はホトケであり、この世にカミとして現れたということだ。ホトケでありカミでもある。
この遠州の国学者であり、本居宣長の師である賀茂真淵(かものまぶち)もカミとなって、縣居(あがたい)神社に祀られている。
また、怨霊封じのために、神として祀られることもある。
天神さんと親しまれている菅原道真、神田明神の平将門などもそうだ。特異な才能や生まれ、力があったが、無念の思いを残して死んだ場合、タタリを恐れて、カミとして祀ってしまうわけだ。
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軍人もカミになって、軍神となる。日露戦争の乃木将軍も東郷元帥もカミになり、乃木神社や東郷神社となっている。
太平洋戦争においては、カミは乱発された。国民の戦意高揚のためだろう。どんな死に方をしても(餓死や病死でも)、お国のために戦った人は、死んだらみな英霊であり、即カミとした。
そして、カミとして靖国神社に祀られた。靖国には、戦犯となった人たち(A級・B級・C級)もカミとして祀られている。ただし、戦災に遭った民間人は、カミにはならない。
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また「日本仏教」においては、死んだらホトケと呼ばれる。「成仏した」とも言われる。ホトケの定義がややこしいのだが、死んだら悟りを得たというわけではなく、この世に未練を残さずにあの世に逝ったという意味で使われる。
そのために、坊さんの出番がある。死者に戒名を授け、お経を読み、出家の儀式をして、あの世におくるというふうになっている。
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ちなみに浄土真宗は、即得往生だから、すでに極楽往生しているので、出家の儀式はしない。しかし、お坊さんがきて死者に名を授け、お経をよんでおくるという儀式は、中身に多少の差はあっても、まぁほとんど同じようなスタイルとおもう。