過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

すべてのことがスローモーションになった

東名高速でクルマが横転して、真っ逆さま。屋根が道路についた状態になった。一瞬眠ってしまい、高速道路の防護柵にぶつかり、そのままクルマがひっくり返ってしまった。
その時、すべてのことがスローモーションになった。

きょう訪ねてくれたOさんの体験だ。クルマはダメになったが、幸いケガはしなかったという。

私は17歳のときに車にはねられた時がある。自転車横断中にはねられて、その勢いで頭でフロントガラスを破って室内に入ってしまった。

なにがなんだかわからない。突然、稲妻のように光の世界が飛び込んできた。その瞬間の鮮やかな世界はよく覚えている。

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思考が停止するからそういうことが起きるのだろうか。

思考というものがあるために、瞬間瞬間の体験が鮮明ではない。リアリティがない。

生きていると、いつもたえずたいへんな速度で思考している。呼吸を一つするたびに、いろいろな思考が入り込む。たった一つの呼吸の間でさえ、思考を停止するのは難しい。

その思考が止まると、どうなるのか。

「いま・ここ」体験が起きるのか。ほんとうのリアリティが訪れるのか。

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これは八ヶ岳の登山のときのことだ。権現岳からの岩稜歩きで、垂直の鉄ハシゴ(源治郎梯子)に出くわした。ハシゴはほぼ垂直の岩肌に打ち付けられている。足を滑らせたら奈落の底。

しかも、鉄ハシゴは小雨で濡れている。背負っているリュックは重たくて大きい。バランスも取りにくい。しかし、引き返せない。だれも助けてくれない。進むしかない。

ひとつひとつハシゴに手をかけて登る。そろり・そろり。まさに必死だった。

恐ろしいという気持ちと一緒にいながら、登った。62段、30メートルほどか。たったの5分くらいの体験だと思うが、ものすごくリアリティのある瞬間瞬間であった。

五感が冴え渡っている。手と足、身体の動きに意識が研ぎ澄まされていた。

まさにいま・ここ体験、瞬間瞬間のリアリティを感じていたんだと思う。

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深い瞑想に入るのはなかなか難しいが、たまにそういうとき、ものごとのスピードがとてもゆっくりしたもののようにみえることがある。コップが倒れようとするときの動き、倒れようとする瞬間、倒れて水が流れていくさまをゆっくりと感じられるように思う。

「時間」というものを考察してみた。