過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

その終末の時まで、いまを遊ぶ、味わうということしかないか

①彼岸過ぎまで川で泳いでいた。9月の末まで。しかし、もうきっぱりと冬だ。

②薪ストーブ、毛皮とシュラフと湯たんぽで寒さをしのいでいる。

③昨日、コンビニで木曽に移住するという親子に出会ったが、この地域と段違いに寒かろう。零下の気温と雪と氷。

④やってもやっても、事務処理のがたくさんある。こういう文章を書くのは、どんなに忙しくても書けるのだが、事務処理は後回し。とくに土地の名義変更とか法人の総会議事録とか、とってもおもしろくない。しかし、やらねば。

⑤あかりは、iPadでおとうちゃんと友人たちとチャットを楽しんでいる。友人たちは、あかりの相手をしてくれる。

⑥あかりは、映像の撮影、そして画像の編集をはじめた。描くこと、作ること、映像を編集すること、そういう道がよいようだ。好きなことをしていれば、そこがどんどん深くなる。写真は、「つらぬき学園」のチョコレートづくりの体験教室の作品。

⑦藤の実のさやを段ボール箱いっぱいとってきた。これの鞘をとって種をとると、なかに面白い図柄を描ける。「これいいね。あかり、こんど「あかりマルシェ」で売ってみようよ。千円くらい稼げるかもしれないよ」と伝えた。

⑧あかりは、最終学歴幼稚園でいい。将来、いい学校に行くとかいい会社に行くとか、その世界はない。自分の好きなことを見つけて、それを深めてワザを磨く。それを仕事にしていければいい。

⑨お父ちゃんの言うことは聞かないけれど、やることは真似る。なので、文章も書くようになってきた。ただ「褒めて伸ばす」という方針はない。おとうちゃんが、「いいなね。びっくりしたよ」ということは伝えるけど、褒めてコントロールはしない。

⑩まあ、あかりがいるので、自分のフィールド以外の分野で行動することになる。ひとり暮らしの人生であったら、狭い自己完結型の人生で窮してしていたかもしれない。あかりのおかげで、次に何が起きるのはちっともわからない。

⑪日本も大凋落の道、そのうち爆弾も降ってくるかもしれないし、大津波も大地震も、原発の爆発だってあるかもしれない。まあ、その終末の時まで、いまを遊ぶ、味わうということしかないか。どうなるかわからない、先がわからない、というところで生きている。