過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

薪ストーブを康ちゃんが設置してくれた。せっかく過疎の山里にいるのだから薪ストーブにしないともったいない。しかし、どんな製品がいいか、工事はどうしよう、場所はどこにしようかなど、迷っているうちに、後回し。やっと田舎暮らし12年目にして、念願がかなった。
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みなさんに聞くと、北欧のがいいとか二重煙突とか、100万円、200万円かかるとか言われた。しかしだ総額4千円で済んだ。このブリキ型のもの(新品でも5千円)は中古でもらった。ステンレスの煙突だけ新品で4千円。これでも十分温まるのだ。

なんといっても、燃料代がタダというのがいい。山里に薪はふんだんにある。長保ちする広葉樹がいいのだが、杉や檜でも十分。また、河原にたくさん流れて溜まっている流木もいい。

ご飯も炊ける、ピザも焼ける、パンも焼ける。今朝は大根を昆布とともにじわじわと煮ている。

あったかいねと火のまわりには人が集まる。ストーブは玄関に設置したのだが、夕食もここでとろうと、玄関の周りに畳を敷いて、食事をとった。玄関がそのまま憩の場になってしまったよ。そのうち、応接も事務もここになりそう。しまいには寝泊まりするようになるかもしれない(笑 
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今朝はみんなが寝ている5時台に起きて、薪ストーブに火を点ける。ひとり炎を見てくつろいでいる。炎を見ているだけで、何もしなくて満ち足りてくる。遠赤効果でからだの芯から温まるというのがすばらしい。

炎とのつきあいは原始時代以来のありようだ。暖をとる、食事、身を守る、語らい、儀式。
瞑想的だ。見ているだけで、些事をしばし忘れる。空っぽになっていく。火はまた、すべてを焼き尽くす。浄化の力がある。炎には、高次のエネルギーがやってくるというのか、つながりやすい。心の静寂に通じる。ややこしいことを、宇宙に帰してしまうような気もする。

炎を見てしばし人生を見つめる。朝日が昇る時によしやるぞと言う気になる。太陽沈む時、夕日を見て感謝する。夜になって月や星を眺めて、宇宙から自分を俯瞰する。そんな人生でありたい。

7つのあかりにとっても、学びになる。何か勉強しようとかいうのではなく、身体感覚で伝わるものがあるだろう。
燃えるって一体どういうことなんだろう。火はどうして熱いんだろう。あったかくなるとはどういうこと。どうして赤色をしている。大人でもその仕組はよくわからない。
空気は上の方が熱くて、下は寒い。風呂もおんなじだ。広葉樹の日が長保ちするのはどうして。なぜ煙突が必要なんだろうか。
燃えると、二酸化炭素が出て草木が吸収して、酸素として吐き出す。それを人間たちは命の源にしている。互いに循環がある。そんな科学的な探求につながっていけばいいな。
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薪ストーブのもうひとつのメリット。書類を燃やせること。必要な書類、いらない書類の仕分けがいつも難し。どんどんたまる。そこで、バッファーとしてゴミ箱(パソコンのゴミ箱みたいなもの)に入れている。ひとまずそこに放り込む。

そこから、たまってくる一つ一つ書類を取り出しては確認して、捨てる。これが、なかなかできなかった。それが薪ストーブのおかげで、処分できる。申請書、報告書、決算書、あれやこれや。あ、これはもう必要ないね。あ、これはとっておこう。事務処理の最終段階としても、薪ストーブはたいへん価値がある。

電気は冷蔵庫とパソコン以外はほとんどLEDにした。田んぼと畑は来年から、ニワトリも。食料危機、エネルギー危機に備えて新しい暮らしぶりにしていかねば。