過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

生きていればこそ、こうして、さまざまな現実を体験させてもらえる

山登りを終えた人たちが、下山して茶店などでのんびりくつろいでいる。「ああ、いい山だったねー、楽しかったねー」と。その人たちを尻目に「これから登ります」と、登っていくようなわたし。
 
「ええ!こんな遅くから登るの?もう日も暮れてきたし。それに頂上は吹雪だよ。なんて無謀な」と言われながら、「いや、登ります。もう戻れないし」というような生き方しているのかもしれない。
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マゼランは、長い航海のなか、南アフリカの最南端の暗くて寒くて長い海峡をわたっていく。沈黙した黒い海だ。その先には、広大な太平洋が広がることなど、彼らにはわかるはずもない。海図などない。あてもない航路だ。地球が丸いということも証明されていない時代だ・。
 
「この先は、はたしてあるのだろうか。そこは地獄の入り口かもしれない。舟は奈落に落ちてしまうかもしれない。でも、引き返せない。行くしかない」。そんな気持ちで、進んでいったことだろう。あたかも幽霊船、難破船のごとく。
 
まあ、そんなマゼランの航海のような人生を生きてきたようなん気がする。これからの人生もそうなるんじゃないかと。まあ、それはそれで、自分が選択した道なので仕方ない。自分の学びのために、自分が用意した現実である、と。
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深夜に、ヴィヴァルディの「四季」を聴きながら、これを書いて思い出した。
 
17歳のとき、交通事故で二度ほど死にかけたことを。
 
一回目は、自転車ごと車にはねられた。クルマの勢いでフロントガラスに頭をぶつけて、室内に飛び込んだ。突然、ガラスの砕ける光り輝く異次元の世界に入ってしまった。そして、半年後、坂道を自転車で急ブレーキ、後は覚えていない。頭から落ちて意識不明となった。救急車で運ばれた。人だかりの声がして、担架で運ばれたことは、かすかに覚えている。
 
そうだ、あの時、死んでいたか、半身不随の身体になっていたかもしれない。
 
でも、こうして生かされてきたんだなあ。生きていればこそ、こうして、さまざまな現実を体験させてもらえるんだ。生かされているだけで、ありがたいこと。すばらしいこと。まずはそこから。