過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

余韻が残るような文章を書きたいものだけどね

いきなり殺人の現場からはじまる。うううーと刺されて倒れる。ドラマの「刑事コロンボ」の出だしだ。

そして次の画面は、コロンボの日常の暮らし。うちのかみさんがね〜。あっ、ところでこんなことありましたか……と。

文章を書く時に、それを参考にしている。出だしの文は、いわば客引き。なんだ、なんだ? と読んでくれる。それがないと、膨大な情報の波に飲み込まれてしまう。

いわば竜頭蛇尾型ということになる。でも、いちばんポイントは、最後の締めくくり。ここでよく、イタリア映画、ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」(1948年)を思い出す。

お父ちゃんが、自分の自転車を盗まれてしまう。もう仕事ができなくなる。さがしてもみつからない。そうして、おもわず他人の自転車を盗んでしまう。それが見つかって、みんなに袋叩きになる。

息子が見ている。泣きながら父にしがみつく。お父ちゃんは、みんなの軽蔑と非難を一身に受けてとぼとほど立ち去る。

おとうちゃんは、泣く。小さな息子がお父ちゃんを気づかって一緒に歩く。お父ちゃんの手を握る。街の雑踏の中に消えていく。

それで、Finとなる。映画が終わる。あんなふうに余韻が残るような文章を書きたいものだけどね。