フランスのシラク大統領が亡くなった。
日本の文化を深く愛した方であった。そのシラク氏と日本の仏像のいきさつについて、紹介する。
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30年近く前のことになるが、目黒にある蟠龍寺(ばんりゅうじ)の吉田住職から、直接聞いた話である。吉田住職は、浄土宗の布教師会会長を務められた方だ。
明治政府の「神仏分離令」によって廃仏毀釈が起きた。全国で破壊された寺院や堂の数は、おびただしい。鹿児島、水戸や長州では、何千という寺が破壊された。
貴重な仏像や経巻、宝物も破壊され、燃やされ、川に流された。いまは国宝の興福寺の五重塔も売りに出された。
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おびただしい仏像も海外に流出した。
この蟠龍寺の本尊も、海外に売り飛ばされていたのだった。
この本尊は、大きな阿弥陀如来で、「目黒大仏」と呼ばれた。「江戸名所図絵」にも載っている。その像が、どこかに流出したことは、残念でならない。
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吉田住職は、本尊の行方を調べていた。
まず、「横浜港の明治の出航記録」。それらしい記述が見つかった。どうもフランスに運ばれたらしい。
つぎに「南方熊楠の日記」だ。そこに阿弥陀像の話が書かれていた。熊楠は当時、パリに滞在していたのだった。
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「その像こそ、わが寺の阿弥陀さまじゃないか」。吉田住職は、フランスとやりとりをはじめた。
やがて阿弥陀像の居場所をつきとめた。パリ郊外のセルニュスキ美術館(Musee Cernuschi)で、展示されているということだ。
その当時のパリ市長が、シラク氏(後に大統領)であった。
フランスとのやり取りの過程で、シラク氏は吉田住職を、美術館のセレモニーに招待することになる。
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吉田住職はパリに招待される。美術館について見ると、入り口から赤い絨毯が敷かれ、その上を歩いていくと、たいへんな歓迎ぶりだ。阿弥陀像の前には、漢の時代の香炉がセットされていた。
住職は、自分のお寺の本尊と対面する。フランスに流出してから、100年以上もたっているわけだ。
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大仏の前で、お経をよみ、念仏を称えた。涙が滂沱としてこぼれした。
日本からよく来てくれましたなあ。なあに、心配いらんよ。ここで大切にされておるから。──そう、阿弥陀さんがつぶやいたような気がしたのだった。
大仏を買った人物も判明した。フランス革命の後のパリコミューンのとき、政治思想犯として追及されていた人物で、フランスから上海に逃げ、さらに日本にたどり着いたという。
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明治の廃仏毀釈、パリ・コミューン、南方熊楠、シラク大統領と、いろいろなすごい人物につながる物語である。シラク元大統領の死から、その話を思い出した。