過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

時間と空間、死後の世界、どこまでいったも不思議

「炎って不思議だよ。こうして炎が見えるだろ。これは一瞬として同じものじゃない。瞬間瞬間、ガス状態のものが発火して火となって天空に消えていく。で、ものごとはすべてこうして、瞬間瞬間、変化しているんだよ」

そんな話を、焚き火しながらあかりと話してた。

夜空には月が輝いている。東の空からはオリオン座が見えてく。

星を眺めてドラム缶風呂に入る。

あかりは星に興味を持ち出して、ふたりでいろいろ考える。

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いまみえている星は、太陽みたいに自分で光り輝いていること。恒星という。

この地球は惑星といって、太陽の光をもらって生きている。光を発する星の周りを巡っている。

そして、太陽みたいに自分で光り輝いている恒星が、いまみえている星だ。

天の川というのは、恒星がたくさん集まって川のように見えるからなんだ。

宇宙は、そうした星が無限にある。ほんとに無限。わからない。

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地球から近い星では500光年
太陽以外で地球に一番近い恒星は「ケンタウルス座」のアルファ星で4.3光年
おおいぬ座」のシリウスは地球から8.7光年
おりひめのベガまで26光年
ひこぼしのアルタイルまでは16光年
銀河系の中心までの距離は約28000光年
また、宇宙は膨張しているため、最大470億光年先まで「見る」ことができる。観測史上最遠では、129億光年離れた単独の星からの光が検出されている。

(どのようにして、何光年の距離があるのかということが、わかるんだろうのか。宇宙は膨張しているため、最大470億光年先まで「見る」ことができるってどういう意味だろうか)

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ものごとは、時間と空間の二つの軸で捉えることができる。空間の軸からすると、宇宙は無限、はかりしれない世界。

さらには、時間の軸からすると、これまた無限。始まると終わりもないような。

生まれて成長し年をとって、やがて死んでいく。それはリアルに分かるのだが、客観的な時間と生きて感じる時間にはずいぶんと差がある。死の瞬間はこれまでの人生が走馬灯のように巡るとよく聞く。死にそうな瞬間、時間が全くスローモーションになる体験もあった。

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そして、死んだ後どうなるのか、これがまったくわからない。あるのかないのか。

死んで「無」のままなのか、転生するのか、あるいは霊界みたいなところにいるのか。わからない。

どこまでいってもわからない、ということはわかる。

そして、自分は今ここに生きている、感じているということはわかる。

しかし、その自分というものが、はたしてちゃんとした存在なのかどうか、それも疑わしい。

すなわち、炎のように瞬間瞬間変化していって、その都度その都度、現れてくる存在なのかもしれない。

で、仏教では、燃えるには燃えるための材質が必要で、燃え尽きてしまったら火が消える。それがニルヴァーナ(涅槃)という。永遠の安らぎだ。

しかし、ひとはもっともっと燃えるための材質をほしがって、火は尽きないようにして生きている。死んだとしても「もっともっと」という渇望は残って、それが次の転生につながるのかもしれない。