過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

死についての詰み将棋

「おとうちゃん、将棋やろうよ」
あかりが言うので、毎日将棋をさしている。

いまはまだ、ほとんど数分で勝ってしまうレベルなんだけど、これから詰将棋を一緒にやっていこうというところ。

さいわいYouTubeにたくさん教材があるので、それを見ながら、ひとつひとつ解いていく。

ロジカルシンキングというのか、こうしたらこうなる、次にこうしたらこうなる、次に----—という思考が鍛えられてくるんじゃなかろうか。
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で、死についての詰将棋、ひとつやってみようということで書き出している。テーマは「死」だ。

人は必ず死ぬ。自分も必ず死ぬ。
いつ死ぬのか、それはわからない。
死んだ後、どうなるのか、まったくわからない。

死ぬとはどういうことか。
生存力がなくなること。そう定義してみる。

生存力とは、肉体を維持する働きともいえる。
それは、病気、ケガ、事故、老衰などによって失われる。
生存力がなくなれば、死ぬということになる。

死ねばそこでゲームセット。おしまい。無。
------そうなるのかどうか。そこがわからない。体験したことがないからね。
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そこで、いちおう、つぎのような流れを考えてみた。

①即座に「あの世」のような世界に行く。天国とか浄土とかこの三次元世界とは違う世界だ。

②あるいはしばらく、霊体あるいは幽体となって、この世界に浮遊しつづける。自分は存在しているのだが、肉体はない。肉体はないので、物質的な制限は受けない。どこにでも行けてしまう。仏教でいえば「中陰」というような時期。

③その期間が過ぎると、次の生命に移行する。人間として生まれてくるのかどうかはわからない。

④あの世とか、浄土とか天国。あるいは、餓鬼界とか地獄界とか天界とか、この三次元とは違う世界にいくこともある。

⑤そうした世界に移行して、しばらくすると、この世界に再び生を受ける。

⑥生命として誕生した時点で、過去の記憶はなくなっている。

⑦生まれては死に、生まれては死にを繰り返しつづける。これからも、繰り返しつづける。すなわち「輪廻」する。「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」(空海『秘蔵宝鑰』)

これは仮設である。事実かどうかは、死んでみなければわからない。

臨死体験をしたという人がいるが、それは死の世界から戻ってきたわけではないと思う。死の世界から戻ってきた人は一人もいないと思う。
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さて「輪廻がある」と仮定する。

しかし自分自身でいうと、過去世のことは全く覚えていない。すると、自分にとって過去世はあったとしても、「ない」といえる。来世があるとしても、今世のことを覚えているとは思えないので、来世があったとしても「ない」といえる。ともあれ、わからない。

その上で、もしも「輪廻」が実在するとしたら、どうしてそうなるのかを考えてみた。
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先に、生存力が尽きれば死ぬということを書いた。

しかし、肉体としての生存力がなくなっても、心はどうなるか。心は肉体が滅ぶとともになくなるのか。

心とは、「自分」という生を続けてきたものといえようか。エネルギー不滅の法則のように、そエネルギーはなくならないかもしれない。

そのエネルギーは、いわば生存欲といえるかもしれない。
もっと続けたい、もっとほしい、もっと実現したい、というような欲求。

「自分」というものをまとめるエネルギーともいえようか。
そのエネルギーが「自分」というものを形成しているのかもしれない。
その「自分」が、輪廻していく主体となる。

そのようにも考えてみた。
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そして、輪廻するとしよう。どこにどのように生まれるのかというのは、今世の生き方に関わる。

あるいは、死の瞬間の心が決定するのかもしれない。

苦しい心で死ねば、苦しいという心が続いていくのかもしれない。

いや、なにかを信じていようがいまいが、なにかをしてもしなくても、どんな状態で死んだとしても、みんな等しくものすごい平安な、安穏な世界にいくのかもしれない。

浄土教でいう阿弥陀仏とは、amita(アミタ、アミターヴァ、アミターユス)というサンスクリット語の音写だ。はかることのできない、さえぎられることのない無限の時間と光という意味である。限りなき安心の世界。

みなにかそのような、安楽な限りなき安心の世界にいくのかもしれない。
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しかしだ。お腹が減るからご飯が美味しいように、苦しみと制限があるからこそ楽があるともいえる。その楽の世界に安住していると、退屈で退屈で仕方がなくなるのかもしれない。

そうすると、あの制限の多い、苦難の多い世界が懐かしいというのか、また体験してみよう、チャレンジしてみようと思うかもしれない。

かくして、煩悩の多い、悩み苦しみに満ちたこの世界に望んで生まれてくるのかもしれない。
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あるいは、この人生は、なんらかの夢の世界であり、死んだ瞬間にはっと目が覚める。
「なんだ夢だったのか」と気がつく。
そしてまた、生きて死ぬ。そしてまた、死んだ瞬間にはっと目が覚めるなんてことを繰り返すのかもしれない。

ということで、「詰み」にはならず。