過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「滅びを受け入れる」ということは知恵である

①ウィルスの感染はどんどん拡大していくだろう。パチンコ屋はそのまま営業しているし、相変わらず通勤ラッシュは続いている。保健所は検査を避けている。
検査を抑えて「感染者数」を増やさない方向できている。 ウィルスに感染して亡くなった人は、肺炎として処理される。
②これは、あまりに政府が無策で愚かなのか。 「やってる感」を出しているだけで本当に国民のこと日本の将来を考えてはない。心が伝わらない。
たとえば、アベさんと、メルケルの言葉を比べると、一目瞭然。かたや、官僚の作文を読むだけ。自分の思い、心、ハートを伝えられない。かなしいすがたである。かれを指導者として選んできた私たちの象徴である。
政治家たちは、自分たちの既得権益を守ろうという人たちばかり。 官僚たちも同様である。我がごとしか考えていない。
③一方、国民は、自らの生活防衛に追われている。マスコミの偏向の報道によって、洗脳されてしっかりした情報を知らされない。 そうして、そもそも「自分の頭」で考えない。
ある意味では、楽観的。「なんとかなるだろう」「そのうち収まるだろう」と考えている。ぼくもそうだ。しかし、大変なことになるのかもしれない。
その時ではもう遅い。いわば大東亜戦争で、日本は負けるなんてちっとも考えず、結果、無条件降伏したような事態になるのかも。
③いま政府は大いなる無策と映る。けれども背後にはちゃんとした「はからい」があるのかもしれない。
高齢者と基礎疾患のあるもの、弱いものが死んでくれればいい。 国家の健全経営的は、これから増加する老人社会に際して、膨大な医療費を削減したい。そして、健全な財政にしたいと考えているのかもしれない。そのためのチャンスと捉えているのかも。
⑤生物史からいうと、「適者生存」の道に入っているのかも。外敵と環境の変化に対応するものしか、生き残れない。そのようにして、生物は生き延びてきた。
いわば「間引き」である。強いもの、環境に適応した者が生き残る、弱いもの環境に適応しない者は滅びていくことになる。
⑥滅びるのは悪いことかというと、決してそうではない。滅びるということは、滅びるということ。「滅びを受け入れる」ということは知恵である。
そして死の世界は暗黒の無の世界なのかどうか。それはわからない。疲れて故障した肉体を捨てて、 新しい肉体として新たな生命を得るのかもしれない。次の生のための死であり、蘇りである。そうとも考えられる。
⑦その辺りは分からない。 けれども、そう考えるとどういう人生がいいか。死の瞬間まで心を浄めていくこと、そこに尽きる。心を浄めるとはどういうことか。貪る心、怒りの心、執着の心。それを穏やかに収めて、できるだけ平穏に暮らしていけること。心がな波立たないこと。そして周囲にくつろぎと元気さを与えながら、日々充実して生きること。
⑧心の浄化のためには、いろんな方法がある。呼吸法、ヨーガ、健康法、たくさん。そして、宗教もそうだ。宗教によって、安心と安穏と元気を頂く場合も多い。
ただ、気をつけるべきは、宗教というのは、「この宗教しかだめだ」「この宗こそ正しい」という選民意識、他を蔑視する意識に行くことにある。 他を攻撃することで自分が正しいという思いに至るところがある。
そうするとせっかくの心を磨く道が、心を汚す道になってしまう。諍いと憎しみと自己執着の道に入ってしまう。