「ねえおとうちゃん、もしもだよ、おとうちゃんが死んだら、あかりの背後霊になってくれる?」
──うん、そうだね。背後霊というか守護霊として、見守り続けると思うよ。あ、あぶないというとき、いろいろ助けたりね。ときには、あれこれ文句言うかもしれない。
「それだと、いまとかわんないね」
──ほんとだ(笑 . たぶん、死ぬとその世界はとても自由だと思う。おとうちゃんはあちこち遊びにでかけてると思うよ。でも、時間と空間の壁はないので、あかりが念じたらすぐにさっとやってくる。
「それは便利だね。たぶん、ご飯も食べなくていいし仕事しなくてもいいし」
──そうなんだ。ラクラクで自在。とてもいいんだ。でもね、おとうちゃんのことだから、たぶん、自由すぎてすぐに飽きてしまう。またいろいろ壁とか悩みとか、このつらい世界が懐かしくなって戻ってくるような気がする。
「ふうん」
──まあ、人間というのは、そんなふうにして、なんども生まれては死に、生まれては死にってことを繰り替えてきたし、これからもそう思うよ。
「そうなんだ」
──あかりもそんな自由な世界にいて、こんどこういう体験をしてみたいと思って、いまのおとうちゃんとおかあちゃんを選んで生まれきた。そう思っているんだよね。
「そうかあ、あかりは選んだのは覚えてないけどね。
──まあおとうちゃんにしてみたら、神さまのはからい。神さまの恵みってとこかなあ。ともあれ、テコの原理(支点、力点、作用点)てのがあってね、いまはあかりが支点にあたる。おとうちゃんもおかあちゃんも力点で力を入れてる。あかりが支点になって、いろいろ現実が動く(作用点)ってわけだ。
寝る前にそんな話しをしたのであった。
きょうは、社会体験と説得力のためもあって、あかりを行政のヒアリングの会議に連れていった。廃校の利活用のやりとりだ。なにしろあかりが「支点」だからね。市民部長やら各部署の部課長の委員が10名、こちらはプレゼンと質疑応答。
帰りは、サイゼリヤ。やはり安くて美味しくて、サイゼリヤが一押し。