過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

子育てはいわば先祖供養とも思っている

毎週木曜日はキックボクシングだ。その送り迎えのときの、あかり会話。

「ねえ、おとうちゃん。おとうちゃんが7つか8つの頃、あかりみたいにキックボクシングとか、川下りのカヤックとか、将棋とかやりたかった?」

──うん。やりたかったなあ。でも、その頃は、キックボクシングもなかったし、泳げる川もなかった。おとうちゃんのおとうちゃんは一緒に将棋なんか指してくれなかったんだよ。

「おとうちゃんも、おじいちゃんになってから、いろいろあかりのおかげで、新らしいこといっぱいできていいね」

──そうだね。あかりのおかげで、いろんなことができるようになった。これからも、もっといっぱいありそうだなあ。

「あかりは、おとうちゃんが死ぬまでには、将棋も強くなって、いろんなことができるようになるよ」

──あと10年くらいかなあ、一緒に遊べるのは。
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あかりが生まれたとき、「子どもは、自分が小さい頃、親にしてもらいたかったことを求めてくる」と、Aさんが言っていたのを思い出す。

Aさんは子どもが生まれたとき、妻が発狂してしまい離婚。それで子どもを父子家庭で育てたのだった。会社員をやめて個人タクシーの運転手になった。子育ては、たいへんなことだったろうな。いまその子は、有能な技術者として海外で仕事をしているという。

というわけで、昨日はドラム缶風呂もつくったし、水風呂とお風呂に、二度も三度も入ったのだ。きょうも朝から焚き火しながら、ドラム缶風呂を沸かしているのだった。
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子育てはいわば先祖供養とも思っている。墓参りしたり法事するのもよいが、自分の子どもを育てる。それに過ぎた先祖供養はないのではなかろうか。

自分が死ねば、あかりに続く先祖になるのかもしれない。
あかりの子孫として自分も生まれてくるかもしれない。そう思う時、あかりを育てて楽しく遊ぶことが、そのまま先祖供養にも通じるのかなと。

まあ、先祖供養なんて思いよりも、楽しいから、子どもが喜ぶから一緒に遊んでいるということでしかないけど。

この投稿も、あかりが膝に乗っているときに書いたものだ。音声で読み聞かせ、それをあかりがチェックしたのだった。