過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

役立たずがシェアリングして死んでゆく

グリム童話の物語。ブレーメンの音楽隊。

役立たずで追い出されたり、食べられたりしそうになった者たちが、行き場もなく放浪する。同じような境遇の年老いたロバ、イヌ、ネコ、ニワトリが出会う。彼らは意気投合して、ブレーメンで音楽隊に入ろうと思い立つ。

しかし、ブレーメンまでは遠い。宿代もない。森の中で泊まる。
すると、遠くに灯りのともった家が見える。窓からそおっと中を覗くと、泥棒たちが御馳走を食べているではないか。

かれらはみんなで協力して、泥棒を追い出してしまう。そこを占拠して御馳走を食べ放題。そうして、音楽を奏でながら、楽しく暮らすという物語。
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①人は必ず年をとる。力もなくなり、できたこともなくなり、まさに役立たずとなる。

②施設で不自由な中、死んでいくのは嫌だ。シェアハウスのようにして、それぞれの特性を生かして暮らしていくのがいい。

③どうせ死ぬんだから、死ぬまで毎日、歌って演奏しておしゃべりして過ごせばいい。

そんなことが可能にならないだろうか。
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インドに行くとベナレス(ヴァラナシ)ガンガー(ガンジス河)のほとりに、「死を待つ人の家」がある。死期を悟った人たちは、衣にお金を縫い付けてそこを目指してゆく。そうして、その家で暮らす。

衰えて死んだ時、衣に縫いつけたお金が薪代となって、ガンガーの辺りのガート(火葬場)で燃やしてもらい、灰となって川に流される。ぼくは、毎日のように、遺体が燃やされるのを眺めていたことがあった。

インドにはドネーションダーナ:布施)という意識がある。お金持ちは、修行者や貧しい人のために、毎日、食事を布施している光景をよく接した。「死を待つ人の家」では、死ぬまでの間は、金持ちが食事の布施をしてくれるようだ。
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毎日、ガンガーの辺りでは、祈りの儀式が朝から晩まである。晩にはアラティ(ガンガー プージャー)があって、バラモンの青年たちが、火を燭台にともして回転させながら、祈りの儀式を行う。毎日やっているのだ。

参加している人たちは、何十万人というほどのインド人だ。眼を見張るほどのものすごい儀式、それが毎日あるのだ。
そうした祈りの日々で暮らして、そうして死んでゆく。そんなのも悪くないな。
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毎日の儀式で歌われる章句である。ぼくはこの歌が好きで日々唱えたりする。

Tvameva Mata- cha Pita- tvameva
Tvameva Bandhuh cha sakha tvameva
Tvameva- Viddhya- Dravinam- tvameva
Tvameva- Sarvan- Mamadeva- deva

意訳する。

おお神よ。
あなたは、母であり父です。
親戚であり、友です。
知識・智慧であり、豊かさ・成功です。
あなたは、すべてです。
わたしもあなたも、親戚も、知識も、成功も、神々もすべてが友である。
宇宙が全て友です。そして、すべてが自分自身です。