過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ミャンマーのお坊さんと歩いた時

ミャンマーのお坊さん(ウ・ウィジャーナンダ師)と増上寺の境内を歩いていたときのことだ。
しばらく散策していると、突然、二人の男が走ってくる。なにか必死の形相だ。
「な、なにごと……」
突然のことで驚いた。
すると、かれらはお坊さんの前にひざまづく。もう、嬉しくて嬉しくて仕方がないという感極まった表情だ。
お坊さんになにか語っているが、ぼくは言葉はわからない。かれらはひざまづいたまま、合掌した手を解かない。
お坊さんは、「ふむふむそうか、そうか」と威厳のある風情で彼らの話を聞いていた。そして祝福し励ましていた。
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聞けば、彼らは、増上寺の食堂で働いているミャンマーの方だった。異国の地で働いていて、自国のお坊さんに巡り会えるなど、夢にも思わなかったようだ。
その時だった。その横を、日本の坊さんが、悠然と歩いていった。くわえタバコの煙をくゆらせながら……。この対比がなんとも、印象的であった。
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これは20年くらい前の話であるが。
山口県の下関に、ミャンマーの「世界平和パゴダ」があって、数人のミャンマーのお坊さんがおられる。当時、友人の僧侶(井上ウィマラさん)から、「東京で儀式をやりたいので、会場を探してほしい」と頼まれた。
ミャンマーから東京に多くの人が出稼ぎに来ている。その人たちが「安居あけ」に、お坊さんに新しい衣を差し上げる儀式を行いたいという。
「安居」(あんご)というのは、ほんらいは、インドにおける雨季 (3か月くらい) に洞窟や寺院にとどまって外出しないで修行する。ブッダの修行がそのまま継承されている。その安居の期間があけた時に、儀式が行われるのだ。
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都内で、400~500人が集まれるところ。畳のスペース。食事もできるところがいい、という。
それで、ミャンマーのエラいお坊さん(ウ・ウィジャーナンダ師)と一緒に、会場探しをしたのだった。
大きな畳の会場となると、三田の曹洞宗の会館か芝の浄土宗の増上寺の会館がいいかなと思って、出かけたときのことだった。
結局、あちこち会場探しをして、三田の仏教伝道会館にきめた。数日後、そこで儀式が行なわれた。ミャンマーのお坊さんが、数名が来られた。ウ・ウェップラ長老もおられた記憶がある。
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後に、ミャンマーのマハーシ瞑想道場からウ・ジャナカ長老(チャンミセヤドー)を招いて、ヴィパッサナーの合宿も企画したことがあった。
それらの体験から、ミャンマーの人たちのお坊さんに対する尊敬度がすごいことを感じた。そしてお坊さんも、彼らの信頼に応えようと毅然と説法し、相談を受けている姿が印象的であった。
聞けば、まず人々がお寺に行くのは、葬儀や先祖供養のためではない。誕生日だから、結婚したので、就職した、卒業したので、子供が生まれた……など、めでたいときにも、節々においてお寺に行く。
そして、お坊さんに食べ物など不施(布施)をする(ミャンマーでは、金銭などは決して受け取らない)。
布施を受けるときは堂々としている。お坊さんは、お礼など言わない。人々は合掌しながら、お坊さんに報告する。聖なる人に不施することで、功徳が積まれると思っているようだ。
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異国の地で働く外国人にとって、宗教のありよう、集いあって儀式の行えるネットワーク、そしてその象徴となる教えを説く僧侶や聖職者。そういうものの存在が、とっても貴重なんだなあだと感じた。
初詣と七五三は神道、結婚式はキリスト教、死んだら仏教というような、まぁなんでもオッケーという日本人の宗教のありようとは、ずいぶんとちがうわけだ。
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テーラワーダ(いわゆる南伝仏教、あるいは小乗仏教)のお坊さんのいる国は、スリランカ、タイ、ミャンマー。インドのベンガル地方バングラデシュ、ネパールやベトナムラオスカンボジアにも少なからずいる。
インド、スリランカ、タイに旅をして多くの仏教の僧侶に出会った。いくつかのお寺にも泊めていただいた。チベット仏教ミャンマーのお坊さんに、とくに修行の真面目さと威厳を感じたのだった。