過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いま「浜松まつり」がはじまっている。初子の家が負担する。その額も100万円を超える

いま「浜松まつり」がはじまっている。まあ、「フェスティバル」かな。参加者は3日間で100万人を超える

初子の長男が生まれると、無事に育つように凧を上げて祝うというのが祭りの起源らしいが、そんなに古いものではない。おそらく戦後かなあ。
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まつりには、神事として神様に向かうものと、フェスティバルのように大騒ぎというのと、まあざっくり2つある。前者は、浅草の三社祭とか阿波踊りとか、賑やかである。あんまり、神様意識はない。とくに浜松祭りは神示性はほんどない「都市まつり」。神社仏閣の祭礼とは関係ない"市民のまつり"。

終日、ラッパを吹き鳴らす。ぼくには、戦争中の進軍ラップとかぶって、うんざりしてしまうのだが、あれが好きで高揚感を覚える人が多い。
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いっぽう山里には、1300年や600年も続いている神事としての祭がある。観客や来客は関係なし。神様の向き合う、神に捧げる祭りだ。担う人たちは、一ヶ月前から精進潔斎。伝承のも一子相伝。たとえば、浜松市天竜区水窪町の「西浦田楽」(にしうれでんがく)などである。夜通し行う仮面劇で、能や狂言の起源である。国指定の重要無形民俗文化財だ。
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さて、きょうの投稿のポイントは、「カネがかかる」ということだ。
ほんらい初子の長男が生まれるのを祝うなら、ご近所がお金と労力を出し合って、手作りで凧を作ってみんなでごちそうを作って祝うところ。

それを現代では、初子の家が負担する。その額も100万円を超えるという。初子のお祝いでは本番当日の夜に親戚、友達、凧揚げ会の人たちや町内の住民を自宅や会所にお招きして初子接待を行。そこで振舞う料理やお酒も事前も初子の家が負担する。

年収が一千万円もあるうちなら、それはいいかもしれないが、年収が100万とか200万円とかいう家なら、出せっこない。出せないと祝ってもらえない。世間体が悪い。てなことになる。
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もひとつ、お盆の時期に、遠州大念仏という無形文化財もある。初盆を迎えた家の庭先で大念仏を演じる・頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進。笛・太鼓・鉦(かね)・歌い手、そのほかもろもろの役を含めると30人を越す

温州大念仏にきてもらう場合には、やはり新盆の家が振る舞うことになる。やはり数十万円から100万円近くかかると聞いたことがある。

ほんらいなら、ご近所が、初盆の家を鎮魂のために供養するのが目的なところを、かえって、新盆の家に高額な負担をさせてしまう。そして、世間体とか近所の手前みたいな村社会では断れないみたいな構図が見えてくる。

ま、一事が万事で、そういう本来の趣旨を逸脱して、みんながそうしているから「むかしからそうだったから」ということで、空気で同調圧力で無理してしまうのが日本のありようとみえてしまう。
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まあ、ぼくはよくインドを旅している。行きときは一ヶ月以上、そして通算13回なる。

そのインドの祭りとか鎮魂のありようを見ていると、形式的な馬鹿騒ぎはしていない(まれにそういう祭りもあるが)。結婚式にも招待された。ふと道歩いていたら結婚式。ちょっとのぞいたら、とうぞどうぞと一番いい席に通されて御馳走された。

結婚式にしろ、神事にしろ、心から神、神性を賛美することが芯にある。そして、施主に負担はかけない。お金持ちが貧しい人にたくさん施す。そういう循環が感じられた。