過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マザー・テレサとの出会い

「アーク」(モーゼが神と契約した十戒が刻まれた石板を収めた箱)が、じつは日本に来ている。そして、奈良の玉置(たまき)神社の敷地に埋められている。それを掘り起こしたい。

巫女さんに霊が下りてきて「十分に注意しなさい。その前にインドに行きなさい。そして、マザー・テレサに会ってきなさい」と言われました。それで、インドに連れていってほしいのですが。

けれども、インドなど行ったことはありません。どうやって、マザーにあったらいいのか、わからない。それなら、池谷さんに聞けば詳しい、と言われました。

……突然、そんな電話があった。奈良の天河弁財天の近くで暮らしていた友人の山田龍宝さん(ぶっ飛んだ元禅僧でサンフランシスコ禅センターで教えていた)から紹介されたという。電話主は食品会社の社長であった。

ずいぶんと、奇妙な話だ。が、まあそういうお話は、当時のぼくまわりにはたくさんあった。それはそれで、おもしろい。インドへの旅費だけ負担してくれれば、一緒にお連れしてもいいですよ、と伝えた。

そう言ってみたものの、マザーにツテなどあるはずない。会ってくださるのかどうか、それはわかない。けれども、まあ行けば、なんとかなるんじゃないか。そんな気楽さで旅に出ることになった。

マザーが、カルカッタにおられるのは知っていた。かつて「死を待つ人の家」も訪ねたことがある。ということで、カルカッタの安宿を拠点に、インドに着いた翌日から、マザーの居場所をさがす。「死を待つ人の家」、そして隣接している教会も訪ねた。しかし、マザーはおられない。

聞けば別の教会で毎日、お祈りをされる。そのミサに参列すれば、お会いできそうだ、ということはわかった。そこは、ミッショナリーズ・オブ・チャリティという教会であった。

すえた汗と牛のウンチとカレーの匂いのするカルカッタの喧噪な通りに、その教会があった。そこは、孤児院も経営したり、人々に毎日、食事を布施したりしていた。たくさんのシスターたちが、働いていた。

私たちのようなものでも、ミサ(典礼儀式)に、参列させてもらえることになった。時間が来て会場に入る。祭壇には十字架とイエスの像。向かって左は、シスターたち50名くらい。そして右には、世界の若者たちが、30人くらい。かれらは「死を待つ人の家」でボランティア活動をしているようであった。

ミサが始まるとと、祭壇に現れたのは、マザーではなかった。男性の神父(司祭)であった。「ああ、ざんねん。きょうはマザーに会えないんだな」と思った。しかし、ミサにはずっと参加し、賛美歌を歌ったり、お話を聞いたりしていたのだった。

30分もたったろうか。ふと後ろを振り向くと、入り口の下駄箱のそばで、ひたすら祈っている老婆の姿があった。着ている服装は、他のシスターたちとおんなじ白いサリーだ。小さな体をさらに小さく丸く曲げ、額は絨毯につかんばかりにひたすら祈りを捧げている。微動だにしない。

年老いたシスターなんだ。でもどうして、シスターの場にいないんだろう。まだ正式のシスターじゃないから、そういう扱いなんだろうか。

そうしてまた、時間が経つ。すこし気になってまた振り返って、その老婆を見た。ふたたびよく見た。

はっと電撃が走った。

も、もしや……。

この老婆こそ、マザーじゃなかろうか。

よくよく観察すると、まさしくそうだ。マザーだ、マザーテレサその人だ。

ぼくは愚かにも、マザーは、祭壇の中央にいて、みんなの前に立ち、そして説教を垂れるとばかり思っていたのだった。

マザーは、ぼくたちの後ろにおられたわけだ。しかも、出入り口の下駄箱のそばという、もっとも下座にいた。じつは、そこがマザーのおられる定位置だったのだ。

ミサが終わる。すると、マザーはすっくと立ち上がり、一人ひとりにマリア像のメダイ(アルミでできた小さなマリア像のレリーフ)を、手渡してくれた。

その際に、声をかけさせてもらった。日本からマザーに会いに来ましたというと、「アッチャー」とこたえた。インドの人がよく言う、あれまぁそうなの? という感じの言葉だ。深く刻まれたシワの奥から、とくに笑顔も見せない。

まあ、かなしいかなそこから話の展開は大してできなかった。モーゼの十戒を刻んだアークが日本に眠っていて、それを掘り返すとというような荒唐無稽な話をマザーにしても仕方がない。それを説明する英語力がない。

しかし、このお姿を通して、なるほどマザーとはこういう人かということが、感じられた。

みんなとおんなじ服を着ている。特別なものは着ていない。きっとすれちがっても、わからない。

けっして上座にいない。もっとも下座にいる。

徹底して祈り続けている。

そのことを、そのお姿を通して、見せていただいた。

こういう方は、特別な雰囲気であらわれない。特別な衣装もつけていない。たとえば、掃除をしている人、下駄箱の番をしている人、入り口ににいたりする人。まさに、フツーの人のすがたでいる。じつは、そういう人の中に、すごい人がいる。

ところがこちらは、すごい人は、「特別」な雰囲気で「特別」な場で、「特別な」シーンで現れるとおもっている。なので、わたしたちは見過ごす。出会っても出会わない。一瞥もしないで、通り過ぎる。礼を失することだってある。

エスの教えにこうある。「いちばん偉い者は、仕える人でなければならない。自分を高くされる者は低くされ、自分を低くする者は、高くされるであろう」「先のものはあとになり、あとのものは先になる」とも説かれる。

エス自らが、最後の晩餐のときには、使徒たちの足を洗うのだった。

……インド体験記は、適当につづく。また、マザーは聖者としては、世界で尊敬されれているけれど、地元のインドではされほど評価されてはいないことを、付け加えておく。また、機会があけば、その理由を書く。