過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マザーとの出会い(1)──そこにマザーはおられなかった

シスターに、「マザーにお会い出きますか」と聞けば、「マザーは、ミッショナリー・オブ・チャリティー(神の愛の宣教者会)におります。夕方のミサには、みなとともに祈られます」という。「そのミサに参加できますか」ときくと、「もちろんですとも」という。

──嬉しい。マザーに会うことができる。

胸が高鳴った。さっそく夕方、ミッショナリーに出かけた。すえた汗と牛のウンチとカレーの匂いのする喧噪な通りに面して、その建物はあった。

建物内の聖堂に入る。祭壇に向かって左はシスターたち。紺色の縁取りされた白いサリーを着ている。そして、向かって右はボランティアの人たち。総勢三百名ほどだろうか。私は入り口に近い後ろの席に座る。

やがてミサが始まる。祈りと賛美歌がつづく。暑苦しい喧噪なカルカッタの町中にあって、なんとも清浄な空気を感じた。

「ああして下さい、これが欲しい」というような現世利益の祈りではない。他者に対して希望と慰めを与えられますように、という祈り。こういう深い祈りが奉仕活動の源泉になっているのだろう。

マザーは言う。「私たちは、静かに祈る時に多くのものを受けることができます。そして、受けるほど、忙しく働くときに多くのものを与えることができるのです」と。
司祭が儀式を執り行っていた。そこには、マザーはおられない。

「今日はマザーはおいでにならないのか」と、残念に思った。