ミサは続く。賛美歌を歌う。ふと何気なく後ろを振りむく。戸口のそばには、老婆のシスターがいた。歳の頃は八十過ぎだろうか。小さな体をさらに小さく丸く曲げ、額は絨毯につかんばかり。ひたすら祈りを捧げている。
──シスターの場所は、あちらのはずなのに、どうしてここにいるんだろう?
気になってふたたびその老婆を見た。
──も、もしや……。
さらに、もういちどよく見てみる。
──あれ、この方こそ、マザーじゃないだろうか。ああ、マザーだ。マザーだ。
私はてっきり、マザーは祭壇で儀式を行ったり説教されるものだと思っていたのだ。
まさか、下駄箱のそばにおられるとは……。じつは、この場所こそマザーの定位置だったのだ。
聖書には「あなた方のうちで、いちばん偉い者は、仕える人でなければならない。だれでも、自分を高くされる者は低くされ、自分を低くする者は、高くされるであろう」とある。まさにもっとも下座にいて、みなに仕えるような姿であった。
ミサが終わると、マザーは戸口に立つ。「不思議のメダイ」というマリアの刻まれたメダルを一人ひとりに手渡して祝福される。
私は「日本から来ました。お会いできて光栄です」と挨拶する。マザーは、〈アッチャー〉(ヒンディー語。そりゃ、よかったね)と言ってうなづいた。深い皺を刻んだ顔をほんのすこしほころばせたように見えた。