過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マザーテレサとの出会い

きょうがマザーテレサの命日ということを知った。ぼくがマザーを訪ねたのは、20年近くも前のこと。▲すえた汗と牛のウンチとカレーの匂いのするカルカッタの喧噪な通りに、その教会があった。▲式典を行う中央部には、マザーの姿はおられない。ざんねん、きょうはおられないかと思った。

ミサが進む中、入口のあたりを振り返った。下駄箱の近くで小さな体をさらに小さく丸く曲げ、額は絨毯につかんばかり、ひたすら祈りを捧げている老婆がいた。着ている服装も、他のシスターたちとおんなじ白いサリーだ▲その時、はっと気がついて鳥肌がたった。よく見ると、その老婆こそがマザーだったのだ。

▲その最も下座が、マザーがいつもお祈りをされる場所というのは、後で知った。マザーは、特別な場所にいて、特別な衣装を着て、特別な説法をされる。そういう方ではなかった。ミサが終わると、マザーは誰よりも早く立ち上がり、戸口で参列した人を一人ひとり祝福されていた。▲「いちばん偉い者は、仕える人でなければならない。自分を高くされる者は低くされ、自分を低くする者は、高くされるであろう」と聖書にあるが、まさにそのお姿を見た。