過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

小笠原慈聞の事件

戒壇の本尊:板曼荼羅」が後世の偽作と

Mさんとの対話④

彼は創価学会相手に、「正本堂」に安置された「戒壇の本尊:板曼荼羅」が後世の偽作であると、訴えたのであった。

───創価学会は「戒壇の本尊:板曼荼羅こそが究極の真理でありこれを拝めば絶対に幸福になる」と訴えて信徒を拡大してきました。その本尊が後世の偽作であることは、かつてから言われてきたことですね。

「そう。たとえば、安永弁哲の『板本尊偽作論』は、なかでもよく知られた本だ。直接、これは安永さんから聞いたことがあるんだが、そもそもは、小笠原慈聞(おがさわらじもん)から聞いたという」

───ほぅ。小笠原慈聞ですか。
小笠原慈聞は、日蓮正宗の僧侶であり、「神本仏迹説」(しんぽんぶっしゃくろく)を唱え軍部に迎合し日蓮宗との合同を図ったといわれていますね。

その説が、創価学会弾圧の起因をつくり初代会長は獄死したと思い込んでいた。だから、「小笠原慈聞をみつけたら、断固一戦を交えよ」と、戸田城聖は青年部に指導していたんですね。

1952年(昭和27年)4月27日、28日に総本山で「立宗七百年祭」が行われた。その時に登山していた小笠原慈聞を創価学会の青年部が集団(約50名)で取り囲んで吊し上げた。「神本仏迹論を、潔く謝罪せよ」と。50名でたった一人の坊さんを吊るし上げるなど、暴行・脅迫事件ですね。

「青年部が数十名とりかこんで、小笠原を肩車をして牧口会長の墓まで連れて行って詫び状を書かせている」

───騎馬の上に小笠原を乗せ、メガホンを口に当てて、大声で叫んだ。「神本仏迹論の張本人、小笠原慈聞!宗門に巣くう師子身中の虫、牧口先生を殺した小笠原慈聞!牧口先生を殺した悪坊主!」と。
多勢に無勢。血気盛んな創価学会の青年部ですから、さぞや恐ろしかったことでしょう。詫び状と言っても脅迫から書かれたものでしょう。

「そう、それで後に小笠原慈聞は、事件の顛末を書いている。そして、創価学会の信奉している板曼荼羅はニセモノだと吹聴したということだ」

───私も国柱会の田中香浦(こうほ)会長を訪ねた時、「創価学会を批判する文書を小笠原慈からもらった」と聞いたことがあります。「こんど、見せてあげる」と言われたのですが、行きそびれているうちに、田中会長は亡くなってしまいましたが。(続く)※画像は当時の「聖教新聞」から