過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

信仰とフィクション、客観的な事実についての考察──日蓮正宗と創価の本尊について

信仰とフィクション、客観的な事実についての考察──日蓮正宗創価の本尊について

かつての創価学会は、日蓮があらわしたという本尊(本門の本尊 通称:板本尊、板曼荼羅)こそが究極の真実である。それを伝持しているゆえに日蓮正宗が正しい。日蓮正宗を外護しているゆえに創価学会が正しい。そのように主張して布教してきた。

創価学会は、戦中には一度壊滅したものの、戦後から布教を再開して、最大の新興宗教となった。政党をもち、いまや政権与党。800万もの票をとるほどの勢力となった。

しかし、創価学会日蓮正宗富士大石寺から破門され、いまや互いに仏敵だと憎悪し攻撃しあっているが、そのことの経緯は、ここでは論じない。信仰の対象としての本尊について考察してみた。
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かれら(創価学会日蓮正宗も)は、ともに日蓮を「本仏」ととらえている。本仏とは、究極の真理仏で、仏法をはじめた釈迦よりも古くて偉い、いわば宇宙創造の根源のような存在といえるか。

その本仏たる日蓮が仏法の世界を文字で図顕した漫荼羅が、究極の本尊とする。それはクスノキの板に彫刻されたものである。

いったい日蓮が本仏なのか、日蓮が顕わしたとされる板の本尊が、真実かどうか。そこは、それぞれの信仰(深い思い入れ、思い込み)なので、立ち入らない。

ここで問題にしたいのは、その本尊を日蓮があらわしたものかどうか。その客観的な事実に関心がある。
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まず、板本尊の形状である。
大きさは縦は約143センチ、横は約65センチ(大石寺48世日量法主『富士大石寺明細誌』)。そして、板ではなくて「半丸太」であるとされる。(大石寺66日達法主説法)

重さはどうだろう。
半丸太のクスノキであれば、少なくとも300〜500キロくらいなるのではないか。水は1立米が1トン。クスノキの比重0.43として計算する。

木材の比重一覧と含水率の関係は以下のサイトから。
https://www.toishi.info/sozai/woods/d.html

樹木の重量計算は以下のサイトから。
https://aikoen.shop/weight.html

クスノキが、七面山(しちめんざん)の山中の池に浮かんで、夜でも光を発していたという。それを運んで板曼荼羅としたのだという。クスノキは、標高 500m以下でしか生育しないとされる。七面山は標高2,000メートルである。はたしてクスノキは生えていたのかどうか。

さて、そのようなクスノキを急峻な山中から運び出さねばならない。300〜500キロの重さの木である。林道もないし重機もない。人手は10人や20人で運べるものではない。ちなみに、諏訪の御柱(スギ)の曳行などは100人や200人である。
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さて、大勢の人の手によって、そのクスノキ日蓮の庵に運んだとしよう。

次の作業である。まず、ノコギリでタテに真っ二つに挽かねばならない。つぎに、表面にカンナをかける。鎌倉時代は箱型のカンナはない。当時は、手斧(チョウナ)や槍鉋(ヤリカンナ)でありワザがいる。どんなに上手な人でも、表面はギザギザになる。

それがツルツルな平らにできたとしよう。そこに日蓮が墨で文字漫荼羅を描いたのだろうか。そして、弟子が彫りつけた。そして漆を塗り、金箔で装飾をした。身延の山奥の庵で。
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さて、次の問題である。
日蓮の没後、弟子の日興が、地頭の波木井実長の謗法行為を許すことができず、日蓮墓所である身延山を離れた。そして、移ったのがいまの富士大石寺となる。その折に、この半丸太の板曼荼羅もっていったとのだという。

しかし、その板本尊の搬出はたいへんなことだったろう。
なにしろ日蓮の庵は身延の山中にあるのだ。
そこから重さ300〜500キロのものを、いかにして運んだのか。

身延から大石寺まで40キロ以上はある。しかも広大な富士川がある。富士川は、山形の最上川、熊本の球磨川と並ぶ日本三大急流の1つである。

橋などはない。その川を渡らねばならない。重さ500キロもあるものを船に乗せて運んだのか。あるいは、縄でしばって船で引っぱったのか。あるいは、板本尊を筏にしてそれに乗って富士川を渡ったのか。

いろいろ不思議なことばかり。
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以上の考察のきっかけ。
妻の見舞いの帰りに日蓮正宗の寺院に寄って、お題目を唱えた。そこの住職の奥さまがこう言った。「ちゃんと富士大石寺の本尊を信仰しなれば、功徳はない」という。
また、選挙が近いので、先日、創価学会の方が公明党の投票依頼に来られた。

それらの人たちとの出会いから、かれらの信仰の中核にあると板本尊・板曼荼羅について、客観的にどうなのかまとめてみたのだった。