過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

本門佛立宗の僧侶とのやりとり

ひさしぶりに本門佛立宗の正晨寺をお訪ねした。
ちょうどお盆の法要の最中であった。
副住職の唱える回向文に、本因上行菩薩日蓮大菩薩云云とあったので、あとで住職にお聞きした。
───室町中期に、四条門流から日隆上人が出て、八品派をひらきました。八品派の教学は、勝劣義で、真理は法華経本門の中の八つの章(品)にあるとしたわけですよね。八品派では、日蓮以前の法華経は脱益(効力を失っていること)の法華経であり、末法法華経は下種益(あらゆる人間に仏の種を下すこと)の法華経であるとする種脱論ですよねむ。
そうすると、釈迦と上行菩薩、南無妙法蓮華経、そして日蓮の関係はどうなっているんでしょうか。
「当宗派は、『一仏二名』(いちぶつにみょう)といって、久遠の本仏と上行菩薩が一体ととらえます。本因が上行菩薩で本果が釈尊です。
無師独悟というのはありえなくて、かならず悟るには師匠さんがいたと考えます。そうすると、久遠仏(本果)のお師匠さんは誰かと。そうすると、上行菩薩(本因)になるわけです。しかし、その本因の上行菩薩は誰から教えを受けたかというと、本果の釈尊なわけです。そしてまた釈迦は上行菩薩から教えを受けている。こういう構造になります。」
───それは循環の無限論法ですね。ニワトリが先か卵が先かみたいな論議と。
一方、八品派の影響をうけたのが富士門流と思います。いまにつづく日蓮正宗大石寺ですね。その在家団体が創価学会でした。
その主張するところは、『法華経』の究極は南妙法蓮華経に集約される。南無妙法蓮華経こそが諸仏の根源。それは上行菩薩が『法華経』の神力品で釈迦から付属されたもののであり、それを実現したのは日蓮である。ゆえに、日蓮=上行菩薩となる。
日蓮は、末法に『法華経』の要法を伝える上行菩薩の役割を果たした、自らも上行菩薩であるという認識であったろうと思います。その上行菩薩は、本来ならば釈迦の因位の時代のお姿だから、日蓮上行菩薩は一体であると。そしてその本体は、南無妙法蓮華経というわけです。
そこまではいいんですが、南無妙法蓮華経日蓮は同体、「人法一箇」であるということで、「日蓮本仏」になる。それが富士門流の教義ですね。それを創価学会も教義としていました。
「まあ、そのような論をいくらしてもキリがなくて、大切なのはいかに人のために役に立つかということだと思っています。まあ、その意味では、わたしどもの教団は創価学会にはるかに及ばずです。
しかしまあ、そもそもいま世界は、70億も人がいるわけでしょ。日本にだけ正しい教えがあるというような、そんな誇大妄想的なことを言ったって意味がないわけです。
私たちは、それは日蓮聖人は尊いお方と思っていますよ。
しかし、世界中にはいろんな信仰があるわけです。どんな宗教も自分たちの信仰を大切にしているわけです。いろいろな人の信仰を尊重すべきだと思っています。それを尊重しないから戦争や紛争が起きるわけです。
一つの宗教が世界を征服したらどうなると思いますか。いろいろな宗教が切磋琢磨していけばいい。あらゆる宗教の価値を持ってそれぞれ競い合っていけばいいと思うんです。が国教なんかにしてしまうと問題が生じます。この宗教しかないということになれば聖職者が権力を握って好き勝手なことを始めます。所詮凡夫なんですからね。どこだって一緒です。かつてのキリスト教の歴史を見ればわかるでしょう。
だから宗教というのは、絶対に多数を取ったらダメなんです。」
───創価学会大石寺の在家団体の頃はさかんに「日蓮本仏」と言っていました。戒壇の本尊(板曼荼羅)が究極であり「幸福製造機」だとも言っていました。
それが、いつの間にか震度が増えていくうちに、教義を逸脱して、池田本仏論のようなことも言い出し、大石寺から破門されたしました。いまは「創価学会仏」などと言い出しています。そして、まったく戒壇の本尊(板曼荼羅)ね。
板曼荼羅戒壇の本尊)がニセモノなんて、誰だってわかっている話なんです。
だいたい板曼荼羅の表面はカンナで削ってあるんですね。作られたのは鎌倉時代というのですが、その時代にはカンナはありません。手斧(ちょうな)というもので、それで削れば表面はギザギザしたものになる。ところが、板曼荼羅の表面は、なめらかですよ。その一時を見てもニセモノとわかります」
───ニセモノであろうと、鰯の頭も信心と言いますが、どんなものであれ、これが正しい、すごいという集団の無意識の力で祈れば叶うということになります。その信仰の力で布教してきました。
私はそもそも、大石寺板曼荼羅戒壇の本尊)を信仰していたかというのも、どうもアヤしいとみています。二代会長の戸田城聖が、これを本尊にしようと言い出した。創価学会は、他の新興宗教と違って700年の伝統ある宗教と宣伝したかったからでしょう。
そもそも戒壇の本尊と言われる板曼荼羅の素材はクスノキです。畳一畳以上もあり、半丸太だといわれています。そんな重たいもの(数百キロ)を七面山という標高2,000メートルもある山から持ってこれるわけがない。半丸太にするのもたいへんなことです。
その半丸丸太の木に、日蓮がしたためた漫荼羅を貼り付けて、その上からノミで刻んだというのは、明らかにおかしな話です。さらには、その板本尊を弟子の日興が身延からいまの富士大石寺にまで持っていったなど考えられないことです。
「当時の日蓮にはそんなに信者がいるはずがないんですね。直弟も含めてせいぜい700〜800人。それくらいなら紙幅で表して、渡せるわけです。わざわさせそんな巨大な本尊を残す必要があったんでしょうか」
───『日蓮が魂を墨に染め流して書き手候ぞ信じさせたまえ』と日蓮が言っているわけで、それを板に貼り付けてノミで刻むなどありえませんね。その他いろいろ矛盾点はありますが、それは別の機会に。
ところで、そもそも日蓮自らが漫荼羅を拝んでいたんですかね。
「う〜ん。そこは難しいわけです。自分の漫荼羅を拝んだということは、御書の中には出てきません。
日蓮本仏論という立場にたてば、自分が本尊であるから、己心の本尊に向かって拝めばいい。あるいは、すべてが南無妙法蓮華経なわけだから、なにを拝もうが問題ないってことになります。」
───しかし、そんなアヤしいニセモノの本尊を究極のものだとして、創価学会は布教を拡大します。創価学会設立は戦前ですが、創価教育学会と言っていました。
初代会長の牧口常三郎と二代会長の戸田城聖は、治安維持法不敬罪で逮捕され、牧口常三郎は獄死します。そうして、やっと釈放された時、創価教育学会は壊滅していました。それを、戸田城聖は「創価学会」と名称を変えて、折伏大行進をしていくわけですね。
戸田城聖が亡くなるときには、75万世帯を超えていました。そして、それを継いだ池田大作になると、さらに大躍進していきます」
創価学会の設立は、一九五一年(昭和二十六年)。会員は7,000人か8,000人ぐらいでしたでしょう。創価学会の名前すら知る人も少なかったんです。それが、池田大作の時代になって、会員数は1,200万人といいます。まったくオルガナイザーとしての天才ですね。すごいと思います。
もともとは、本門佛立宗が法華信仰を広めていった。在家団体として活躍していた。その路線の上に、展開していったとも言えますね。仏流宗教の在家団体の組織、あるいは浄土真宗の組織を真似したところもありますね」
───その当時の創価学会は4000人とか5000人。佛立宗は40万人くらいだったと思います。創価学会は、佛立宗、霊友会立正佼成会を仏敵だとして、盛んに攻めていましたね。
「昭和32〜33年当時は佛立宗と創価学会はよく法論をしていました、わたしどもが論争に勝つと創価学会から御本尊を巻き上げてきました。大きなダンボール箱に、いくつもの本尊を積み重ねておきましたよ。
ある時、創価学会の幹部連中が、押しかけてきました。10人くらいいました。なかには、池田大作と白木義一郎、柏原ヤスなどがいました。
「信徒から巻き上げた御本尊を返せ」というのです。
かれらは学生寮に入ってきました。こちらも、喧嘩っ早い者もいて下駄を持って構えたりしました。
欲しければいくらでもあるから持ってけと言って、ダンボールの箱を見せました。彼らは、それを見てびっくりして帰ってしまいました。(御本尊を持って帰ったのかどうか、そのことは不明)
後にも、池田大作が会長になってそれから破竹の勢いで伸びていきました。75万世帯から750万世帯。オルガナイザーとしては大天才です。
あんないい加減なニセモノの板本尊を本物だとして、布教拡大していったんですから、大したものです。
初期の頃は、学会歌をよく歌っていました。ほとんどが軍歌の替え歌でしたね。
ちなみに当時は、創価学会員は銀バッジを付けていました。ところが、横浜で大きな列車事故があって多くの死傷者が出た。その中には、銀バッジを付けた人もいました。学会員でも不幸に遭う、功徳はないのだとマスコミで騒がれたりしました。その頃から、創価学会はバッジチをつけることをやめました。」
───創価学会は、信仰それ自体の魅力、功徳、そういうもので伸びてきた。池田大作のカリスマ的な力が中核にある。そして、それぞれ体験談を発表して信仰の功徳を宣揚する。仲間ができる。ネットワークができる。宗教による功徳、躍動感があったと思います。
そして、実業、ビジネス面でのメリットも大きいと思いますね。創価学会のネットワークで仕事が回る。情報も得られる。背景には、日本経済が高度成長でみんな上向きでした。みんながハッピーな時代だったんですね。
創価学会は選挙だと言いながら、投票依頼活動をしながら、下種(布教の因)するわけですからうまい方法です。
選挙だということで久しぶりに友達に会い交流を温めて、そして次は会合を誘ったりしながら会員を増やしていくという方式です。
───信仰というものは、自分が心から納得し躍動していることが大事ですが、今の学会を見ていると、ノルマのような、義務感のような形で動いているようにみえます。はたからみていて、信仰活動がつまらなさそう。やむなくやっているように見受けられます。信仰の躍動がないんですね。聖教新聞を見ていてもそれがよくわかります。
創価学会も高齢化してますね。これから10年もすれば創価学会はもっともっと数が減っていきます。けれども、日本のいろいろな組織も高齢化、形骸化していくので、相対的に創価学会のネットワーク力はすごいものだと思います。
「ネットワークが大きくなればいろんな経済循環が起こりますね。信者同士の経済循環です。仕事の口利きも多い。そういう魅力もあると思います。
ともあれ、いろんな宗派があって自分たちの宗教が素晴らしい私たちは幸せだということを競い合ってるのが一番いいです。小さな集団の方が坊さんも綺麗です。金が入りすぎると汚れてくるんですね」