過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「いちりん楽座」親鸞と浄土真宗 8月25日(金)13時〜15時

 

「いちりん楽座」飽きずに続けてゆきますよ。参加者が多かろうが少なかろうが関係なし。一人でも参加してくだされば、やりとりが起きてゆくのでありがたいこと。

ということで、「親鸞浄土真宗」について語りあいます。

8月25日(金)13時〜15時

GoogleMeet 参加ご自由 無料

開始1時間前にURLを張ります。雑談タイム。13時からは正式に。

〈企画の趣旨〉

あらゆる宗教の中でも、親鸞の終えは実存的で深い。私など「歎異抄」の教えが一つの行動の源泉だ。そして、親鸞の後の教団(浄土真宗)は深く根を張って強靭である。

そのあたりを語り合いたい。

参加者次第だが、歎異抄を読むという形になるか、ざっくばらんにどんな方面からでも語り合っていく。いちおう、次のような点が概要だ。

①「もとより救われているという教え」である。信ずるから救われるのではない、信そのものも如来からたまわる。他力ゆえに自力の行はない。善行したからとて、真面目に信仰したからといって、往生は関係ない。等しく救われる。そういう教えだ。そのあたり「二種深心」の教えからみていく。

②来世の往生を願うだけではなく、むしろ平生往生を説く。この現実に生きている日々の中に浄土があるという教え。むしろ煩悩の林に遊べ、と説く。

③神祇不拝。神や他の如来、菩薩を頼まない。弥陀の一仏のみ。そして、方角とか吉凶、占いも信じない。それなのに、最大の既成仏教の団体となっている。

南無阿弥陀仏と称えて往生するのではない。門徒はそれほど南無阿弥陀仏は称えない。すなわち救われているからだ。称えるとしたら、報恩感謝の念仏。救われていることのありがたさで称える、つぶやく。しかし、親鸞の詩である『正信偈』や『和讃』はしっかりとなえる。他の既成仏教の比ではない。

⑤じゃあ、真宗の信仰ってなんだと言うと、ひとつには、弥陀に救われているのでありがたいと感じ生きていること。そして、そんな話をしてくれる集いに出ること。聞法功徳という。坊さんは、説法はうまい。かつては「節談説教」というのがあった。それが、浪曲、講談、演歌の大本になったという説もある。

⑥加賀の一向一揆など、100年の間、封建領主を追い出して自治権を得た。「百姓の持ちたる国」として。それらの歴史が根強い北陸に行くと、真宗王国の感がする。また、広島、名古屋、岐阜の高山なども根強い。

一向一揆はいわば最大の戦国大名。信長も秀吉も家康も、もっとも手を焼いた。いまの大阪城は、真宗の拠点であった。そのあとに秀吉が城を築いたのだ。

明治維新では、官軍に多額の寄付をして貢献した。そして、西欧の影響を受けて、主体的自我の確立が叫ばれた時代、親鸞の教えは知識人に受けた。清沢満之のような哲学者も現れる。倉田百三など「出家とその弟子」などベストセラー。

⑨明治になって神仏分離令や上地令(寺の荘園や土地が取られてしまう)が発せられて、天台宗真言宗などの既成仏教は大きな打撃を受けた。真宗はもとより領地はない。門徒こそが「福田」である。そして、神祇不拝ゆえにもとより分離していたので影響なし。

⑩戦争中は、「戦時教学」といって、天皇陛下と弥陀は一体。戦死することは、極楽往生になるという教を伝えた。その反省があるとはいえないのは、マスコミも他の宗教もだいたいそんなものだ。

天皇家と姻戚関係にある。門徒門主の関係は、疑似天皇制を思わせる。

東本願寺は、親鸞の血統の大谷家と宗門と分離した(お東騒動)。そして、いま西本願寺は「新領解文」騒動で、分裂しそうになっている。いま盛り上がっている事件なので、そのあたりを論じてみたい。