親友の奥さんが、今年、亡くなった。いまお盆なので、参拝に行ってきた。奥さんだけ創価学会に入っておられたので、十界曼荼羅を架けた仏壇があった。
そこでお題目を唱えさせていただいた。
「一緒に行きましょう」と言ってくれたのが、うちの施設の利用者さんで94歳の女性。この方は、いつも淡々と朝晩のお経とお題目を唱えておられる。その安定感がすばらしい。動じない、穏やか。
ぼくはいつもいうように、まったく宗派・宗教にはこだわらない。念仏であろうが、お題目であろうが、不動真言であろうが、全くこだわらない。
けれども、そこの縁のあった仏菩薩によって祈る、拝むようにしている。
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ということで、自我偈(「法華経」の如来寿量品の偈)とお題目を唱える。故人が信仰していたのが創価だったから、ここは縁があるものとしてお題目に徹した。
お題目のリズム、響きは丹田呼吸法となって集中しやすい。心身エネルギーが充実する。頭の中の雑念も空っぽになりやすい。
もちろん、念仏でも不動真言でもインドのマントラでも祝詞でも、なんでもよい。だが、南無妙法蓮華経のリズムはなかなかいい。
また一人ではなくて数人で唱えると、南無妙法蓮華経の響きが絶えることなく続くので、集中しやすい。唱え終わった後は、静寂の境智になる。
親友はまったく信仰してないのだが、お題目の力は感じられたようだった。
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十界曼荼羅には、中央に南無妙法蓮華経 日蓮。左右に釈迦如来と多宝如来、そして四菩薩、愛染と不動明王、さらには八幡大菩薩、天照太神。もう数多の仏菩薩、龍樹や世親、天台や伝教大師などの人師論師までが書かれている。
まあ、なんでも収まっているわけだ。なので、この本尊に向かって拝めばすべてを拝むことになるんだよね。呼吸法としても、心身の安定のためにも南無妙法蓮華経はいいよ、と伝えたのであった。
また、こうして他人の家の供養をさせていただくことで、自分の先祖の供養にもつながると、そんな気もしている。