過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「なんだっていい」という宗教的身体実感で生きているので

なにしろおとうちゃんが、「なんだっていい」という宗教的身体実感で生きている。ので、あかりもそのあたりは自在だ。

あそんでー、絵本よんでーと騒いでいた。泣き出したり、八つあたりしたり。

おとうちゃんは、南無妙法蓮華経と唱えだす(日蓮の真筆漫荼羅をダウンロードした自製の本尊なんだけど)。こうしたマントラ瞑想はエネルギー源なのだ。南無妙法蓮華経でも南無阿弥陀仏でも、不動真言でも、インドのお経でも祈りの歌でも、なんでもいいのだ。

ただ、真剣に徹して唱えることにしている。

南無妙法蓮華経と唱えていると、あかりが膝の上に乗ってきた。そして、一緒に唱えだす。10分くらい、徹して大きな声で。数珠も手にして。

すると「お経を読もう」と言いだす。
あかりは、経机の下のお経をごそごそと探す。

まずは、般若心経。そして舎利礼文(しゃりらいもん)。法華経の方便品。道元の修証義。無量寿経光顔巍巍の偈。そしてまた、お題目。

しっかりと合誦できた。ちゃんとリズムが合う。驚くなあ。
いきなりエネルギーがシフトした感じだ。

でも、「もう飽きた。疲れた」と突然、やめる。そのあたりは、おとうちゃんとよく似ている。

おとうちゃんは、インドの祈りの歌、女神を称える「
Tvameva Mata- cha Pita- tvameva」を歌いつづけていたのだった。仏教であれ神道であれヒンドゥーであれ、それぞれの味わいがある。イスラムだけは、難しくて朗唱できないけれど。