過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

おくやみ。なるたけ自然に気楽に。いつもの感じで、普通のはなし。

T君が遊びに来た。かれとは、いつもインド哲学、仏教、日蓮創価学会について語りあう。いつも、あかりと楽しそうに遊んでくれる。

友人のIさんの奥様が急死されて一ヶ月余。まだおくやみに行ってなかったので、Tくんと出かけた。あかりも一緒につれていく。
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Iさんの奥様は、創価学会に入って組織活動はしていなかったが、信仰は続けていた。Iさんはまったくかかわらず。それでも、お仏壇に曼荼羅と位牌は安置しているだろうから、お経をよませてもらおうと思った。

T君は創価学会員なので、お経がそらで読める。一緒に、『法華経』の方便品と如来寿量品、そして南無妙法蓮華経のお題目を唱えさせていただいた。

ぼくは導師として集中して唱えていた。あかりの気配がない。あれ、どうしているだろうと、ふとふりかえる。なんと、あかりはお経を読んでいるTくんの頭の上に乗っかってしがみついているではないか。

それをみたら、笑ってしまった。ま、こうした無邪気なはからいのない子どものありようこそが、供養になるのではと思った。
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おくやみのときには、ぼくは「このたびはまことに……」みたいな深刻な感じにならないようにしている。なるたけ自然に気楽に。いつもの感じで、普通のはなしをして笑ったり、みたいな感じでいく。

死んだらどうなる、供養ってなんだろう、奥様の思い出話など、いろいろな語らいの場となった。亡き奥様が、そこにいて一緒に会話を楽しんでくれているようにも思った。