過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

思い出したら、ひらめいたら、なにかのメッセージ

友人が訪ねてきて、宗教と仏教のよもやま話をした。
こんな人がいてねえ、あんな人がいてねという話になる。

そうだ、こんな人がいた。もう10年も20年も会っていない。
話が出たというのは、縁があったということだ。

よし、電話してみるか。

もう夜も遅い。20時だ。でも、ひらめいたのが、なにかのメッセージ。電話してみるか。
佐賀まで電話した。

奥様が出られた。
お話を聞くと、その方はもう6年前に亡くなったという。
しばし、奥様と思い出話をしたのだった。
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この方は、千葉で日蓮正宗富士大石寺の末寺の住職をされていた。大石寺創価学会が、蜜月の時代から、青年僧侶たちが創価学会の傲慢に対して糾弾するという動きがおこた。そのメンバーの一人であった。増田宇広さんという。

しかし、かれは日蓮仏教を探求していく中で、そもそも日蓮という人の思想は、強烈な拘りと偏りがあり、本来の仏教ではないことに気づく。そして、「宗派仏教を超えて」という本を発刊して、日蓮正宗の僧侶に送った。もちろん、総スカンだ。

初期仏教や心霊科学などにも探求があった。ぼくが主催していたスリランカの僧侶のヴィパッサナーの学習会などにも参加してくれた。

やがて、故郷の佐賀に帰って、百姓をしながら書道の先生をして暮らしを立てるということになったのだった。
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以来、30年近く、お会いしていなかった。
ひらめいたとき、思い出した時、やりとりをしておけばよかった。しかし、亡くなってしまっては、もう話ができない。そういう事例がこれまで数々あった。

自分は晩年に入っている、この世から親しい人が消えていく。思い出したら、ひらめいたら、なにかのメッセージ。相手の事情など二の次で、電話してみることにしよう。