過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ZOOM楽座「自由法華道場─創価は日寛教学を超えられるか」

ZOOM楽座「自由法華道場─創価は日寛教学を超えられるか」
─日寛教学の脱却と新たな創価教学は可能か─
6月21日(日)20時〜深夜。
参加方法:ZOOMにアクセス
参加ご自由、顔出しもご自由、聞くだけでもオッケー。
やりとりは音声のみレコード。書籍などに発行する際、発言を活用することもある(氏名は公表しない)。
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語り合いの趣旨
創価学会は、これまでいかに日寛教学(日蓮正宗富士大石寺)に依拠していたのか。その日寛教学の本質はどこにあるのか。
②宗門(日蓮正宗富士大石寺)との対立・破門によって、創価学会は、日寛教学をどのように瓦解させていったのか。 その先には、なにがあり、なにが起こるのか。
③日寛教学を脱却したとして、会員の求心力となる新たな創価教学は可能だろうか。
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テーマの背景
創価学会は、最大にして強靭な宗教団体であり、日本の命運を左右する社会的勢力だ。信徒数は公称1200万人、選挙の得票数は700万票余。公明党は、いわば創価学会の政治部。そして、政権与党にある。
そのような団体の根底にある理論、教学とは、いったいどのようなものなんだろうか。そこをみていきたい。
日蓮正宗の在家団体としてスタートした創価学会は、堅樹院日寛(18世紀)の教学に依拠してきた。日寛を教学の基軸として日蓮をとらえてきたのだった。その内実は、「日蓮本仏」「戒壇本尊」(板曼荼羅)かと思われる。
日蓮こそが本仏」である。そして、それは「人法一箇の大御本尊」として、富士大石寺に存在する。であるがゆえに、「創価学会は正しい」という理論であった。
しかし、20年前、創価学会は、日蓮正宗と対立し破門される。いまや日蓮正宗こそ、最大の仏敵とまで罵っている。
さて困った。敵対している日蓮正宗の教学(日寛の教学)を基礎にしてきたわけで、急にはそれを捨てる訳にはいかない。最大の根拠である「戒壇本尊」(板曼荼羅)も拝めない。また、会員が日夜、拝している本尊は、敵対する日蓮正宗の日寛のあらわしたものである。
そのあたりの矛盾は、どう処理されているのだろうか。そのあたり、とても難しいことだから、会員は「本部のいうがまま」ということなのであろうか。
創価学会は、「戒壇本尊」(板曼荼羅)は、もはや拝することはできないので、会則を変え、相対化せざるをえなくなった。かといって、新しい究極の本尊を作ることはできない。「本尊に迷えり」とは、日蓮の著した「開目抄」の言葉であったか。
そのようなところを論議してみたい。
まあ、論議は、「日寛教学の破綻を衝く。そして、創価学会の瓦解を展望する」というあたりになるかもしれない。
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語らいについて
先日は、日蓮の教えの中核「三大秘法」について、教学的に、身体的実感のところから語りあった。日蓮宗曹洞宗浄土真宗の僧侶、現役の創価学会の活動家、元活動家、離反した人。いろいろな方が参加してくれた。宗派や宗教を超えた自由な語り合いは、とても有意義と感じた。
今回のテーマは、日蓮教学の専門用語が飛び交う論議となる。門外の人には、何を言っているのか、わかりにくい。一般向けな説明を心がけるが、いきなりトップスピードで論議していくことになる。2時間くらいたつと、あとは自由な論議・語らいとなる。
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ゲスト:犀角独歩(さいかく・どっぽ)
本名 岩立盛郷(いわたちせいごう) 一九五五年、熱烈な創価学会 員を両親に東京に生まれる。三十五歳のとき、創価学会を脱会し大石寺に移る。宗務院教学部・内事部『大日蓮』編集室嘱託。四十歳で棄教。脱会者支援を始め、日本脱カルト研究会入会、元会報編集長、元理事。 日蓮宗現代宗教研究所等で執筆。日蓮の実像を追及。いまは主に『宗教問題』に執筆。
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