過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

宗教を3つの側面から見てみる

こないだ宗教について、あかりの小学生用の国語辞典から引いてみて、すこしまとめてみた。
大きくは、宗教とは
①神や仏の教えを信じて
②暮らしの安心を得る
というところ。

こないだ、猛さんと話をして、それだと個人のレベルの信仰ってところだよね。もうひとつあるよね、と立ち話。

それは、組織、制度、儀式、団体、コミュニティというところ。宗教はこちらの側面が大きい。それらを通して、教えが伝えられる広まっていく。コミュニティを通して、そこからあらわれる文化的なものから安心を得たりする。集団的な安心、権威、儀式や作法、音楽や芸能として。
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ということで、3つから宗教をみてみる。

①神や仏がいる。あるいは、そのように伝えた人がいる。創始者や開祖。カリスマ。
例えば、お釈迦さま、イエス・キリストムハンマド親鸞日蓮空海、あるいは新興宗教の教祖。
②かれらの教え。それが整理されて教義となる。
例えば、経典、聖書、コーラン祝詞、お筆先。
③学び合う集い。実践する集い。儀式を行う人たち。
例えば、式典、礼拝、お経の読誦、座談会、集会、勉強会。
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これを仏教で言うと「仏法僧」の三宝となる。

①仏とは、「釈迦如来」。あるいは、目に見えない仏というシンボル。久遠仏とか大日如来とか、なんとか菩薩とか。
②法とは、「仏の教え。すなわち経典」。解釈した「釈」、あるいは教義を整理した「論」。あるいは、それを実践として活かす「戒律」も入るか。
③僧とは、サンガ。聖なる集い。仏の教えを学び実践する集団。サンガが僧伽(そうぎゃ)と中国で音写されて、僧となった。本来は、和合僧であり、職業としてのお坊さんの意味ではない。
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キリスト教で言うと、

①神(エホヴァ)、イエス・キリストカトリックだとマリアやフランチェスコなどの聖人たちも入りそう)
②聖書(新約と旧約)
③教会 イエスの教を学び合う集い。ほんらいは建物のことではない。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイによる福音書18章20節)
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③の組織、集団が布教し、コミュニティを作ってゆく。当初は既存の価値観から乖離している(あるいは破壊しようとする)ために、カルトと言われ迫害されたりする。しかし、次第に広まって行く。それが、やがて文化となっていく。カルトがカルチャーとなるわけだ。

そして、権威を持ち、政治的な支配に及ぶことにもなる。これが西洋キリスト教の歴史だ。日本だと、江戸時代は、寺請制度などを通して政治支配の装置(民衆管理)としての役目を果たす。葬式仏教となる。
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③が 世間に大きな影響を与えるとともに、世間から影響を受ける。
③の人たちが、権威をもって君臨すようになる。あるいは、暮らしのために世間と妥協してくる。それで、②の教えを自分たちに都合よく変えていく。それで、原初的な教えとはかけ離れたものとなっていく。

そのうちと、「いまのありようはおかしいではないか。開祖の教えと矛盾する」という内部からの革新運動が起きていく。西洋では、フランチェスコ修道院運動、ルターの宗教改革。日本では、鎌倉仏教。戦後の新興宗教運動。
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しかしまた、それらも制度化され集団となって、暮らしの維持のために教えから離れていく。そしてまた、内部からの革新運度が起きる……。そんなことを繰り返していくことになる。

成住壊空(じょう・じゅう・え・くう)、すなわち創造され、ちゃんとまもられ維持され、形骸化し、衰亡し破壊される差。そしてまた、創造され、ちゃんとまもられ維持され、形骸化し、衰亡し破壊される。そしてまた、創造し……ということをくりかえしていく。