過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ミャンマーのお坊さんと増上寺の境内を歩いていたとき

ミャンマーのお坊さんと増上寺の境内を歩いていた。
突然、二人の男が猛烈な勢いで走ってくる。必死の形相だ。

「うわっ。な、なにごと……」
突然のことで驚いた。

かれらはお坊さんの前にひざまづく。嬉しくて嬉しくて仕方がない。感極まった表情。
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お坊さんになにか語っている。ミャンマーの言葉なので、ぼくにはわからない。ひざまづいたまま、合掌した手を解かない。

お坊さんは、「ふむふむそうか、そうか」と威厳のある風情で話を聞いていた。そして二人を祝福していた。

聞けば彼らは、増上寺の食堂で働いているミャンマーの方だった。異国の地で働いて、まさか自国のお坊さんに会えるなど、夢のようなことだっだ。

ひざまづいて合掌しているその横を、増上寺のお坊さんたちが、悠然と歩いていった。くわえタバコの煙をくゆらせながら……。その対比が面白かった。
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これはもう30年くらい前の話である。
山口県の下関に、ミャンマーのお寺「世界平和パゴダ」があって、ミャンマーのお坊さんがおられた。当時、ミャンマーで出家した友人の僧侶から、「東京で儀式(安居明け)をやりたいので、会場を探してほしい」と頼まれた。

安居(あんご)入りの日と安居明けの日は、仏教徒にとっては大切な祭礼の日。みんな寺に集まってお坊さんに供養する。お坊さんは、お経を読み説法をする。

ミャンマーから多くの人が出稼ぎに来ている。その人たちが「安居明け」に、お坊さんに新しい衣を差し上げる儀式を行いたいというのだ。

「安居」というのは、ほんらいは、インドにおける雨季 (3か月くらい) に洞窟や寺院にとどまって外出しないで修行する。ブッダの修行がそのまま継承されている。その安居の期間が明けた時に、儀式が行われるのだ。
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都内で、400~500人が集まれるところ。そして畳。食事もできる。そういう条件だ。

下関からミャンマーのえらいお坊さん(ウ・ウィジャーナンダ師)が来られて、一緒に会場探しをしたのだった。

大きな畳の会場となると、三田の曹洞宗の会館か芝の浄土宗の増上寺会館がいいかなと思って、出かけたのだった。

結局、あちこち会場探しをして、三田の仏教伝道会館にきめた。数日後、そこで儀式が行なわれた。ウ・ウェップラ長老を筆頭に、ミャンマーのお坊さんが、数名が来られた。
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ミャンマーの人たちのお坊さんに対する尊敬度がすごい。お坊さんも、彼らの信頼に応えようと毅然と説法し、いろいろな相談を受けている。

人々がお寺に行くのは、葬儀や先祖供養のためだけではない。誕生日だから、結婚したので、就職した、卒業したので、子供が生まれた……など、節々に寺に行く。
そして、お坊さんに布施をする(ミャンマーでは、金銭などは決して受け取らない)。

お坊さんは、布施を受けるときは堂々としている。お礼など言わない。人々は合掌しながら、お坊さんに報告する。聖なる人に布施することで、功徳が積まれると思っているようだ。

異国の地で働く外国人にとって、宗教は心の支えである。集いあって儀式が行えるのは、安心でありネットワークづくりになる。そして中核に教えを説く僧侶や聖職者がいる。そのことは、とっても貴重なことと感じた。