過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

東京もなかなか味わい深い

上京しての本作りの取材。スマサーラ長老による「テーラワーダ仏教から道元の現成公案を読み解く」というテーマだった。
ありがたいことに、友人の家に2日間泊めていただいた。なんとも昭和の風情のある家。茶室もあった。かつて若冲の掛け軸もあったとか。まったく趣味人の家という感じで、句会、瞑想会、江戸の文学談義にいい。
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場所は、永井荷風が日記に書いていたあたりだ。
「三月廿八日。正午雨霽る。妓八郎を伴ひ墨堤を歩む。桜花既に点々として開くを見る。百花園に憩ひ楽焼に句を書す。園中雨後の草色染るが如し。入金亭に至り蜆汁にて夕餉を食す。床の間に渡辺省亭筆蜆の画幅をかけたり。」(断膓亭日記)
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朝の散歩で白鬚神社を訪ねる。勝手に神殿に上がらせてもらい、ひふみの祝詞をとなえた。気持ちよく響きわたる。
その昔、白鬚神社で「謡曲隅田川」をうたう儀式があって、それに行ったことを思い出した。
謡曲隅田川世阿弥能楽として名高い。こんな物語りだ。
息子が人さらいに奪われてしまう。母は必死に探し求め、ついには気が狂ってしまう。その母が墨田川を渡るとき、船人に声をかける。船人は、かつてさらわれた子どもがいたが、もう亡くなったと聞く。「それは我が子だ」。母はさめざめとなく。
夜の大念仏で、母は鉦鼓を鳴らし、念仏を称えて弔う。すると、そこに亡き息子の亡霊が現れ「母様」と呼ぶ。母は近寄って抱きしめようとする。けれども、幻は腕をすり抜ける。母の悲しみは増すばかり。
やがて東の空が白み始め、夜明けと共に亡霊の姿も消える。母は、ただ草ぼうぼうの塚で涙にむせぶ。
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草餅の店に行く、創立150年だという。いなり寿司のおいしい店もあり。
ぶらりと歩いていると、古民家を改装しているところがあった。ゲストハウスかレストランにでもするのだろうか。ほとんど解体して、柱しか残らないと大工は言っていた。
「へぇ、どんなふうになるんですか」と、このあたりは図々しい私。中を見せてもらう。こちらもなかなか味わい深い家だった。ううむ。東京も、なかなか楽しいなあ。