過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いつでも引けるように国語辞典 ためしに宗教について

「事実ってなあに?」「曖昧ってなあに?」「宗教ってなあに?」とあかりが聞いてくる。
鳥とか魚とか風景だとか、Googleの画像検索で即座に見せられるが、概念は難しい。
その場で教えるのもいいけれど「辞書をひくといいよ」と教えている。
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言葉の意味は、辞書を引けばわかってくる。それはとても楽しいこと。そこがわかってくると、世界は広がる。ものごとの理解がすすむ。人の世はコミュニケーションだから、言葉を知っている、明確に言葉の本質を捉えていくと人とのやりとりもうまくいく。
それで、いつでも引けるように小学生用の国語辞書をあちこちに4冊も置いている。疑問がおきたら、すぐに引けるように。といっても、主におとうちゃんが引くばかりだけれど。
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子どもの辞書でも、読むと楽しい。
ためしに「宗教」ってことばをひいてみたら「神や仏を信じることによって、安心した暮らしを得ようとする教え」(小学館 金田一京助編)とあった。
なるほどな。それが宗教か。
人智を超えた存在:神や仏を信ずること。
②そのことで、安心した暮らしを得ようとする。
ひとつの明確な定義だ。
しかし、神や仏ってたくさんある。
神には、ヤハウェアッラーのような絶対神から、日本の神々のような多神体もある。精霊とか、霊魂とか先祖霊とかスピ系もはいってくる。仏といっても、お釈迦さまから、大日如来、観音様、お不動さん、お稲荷さん、仏・菩薩・明王・権現さん、もうたくさんでてくる。
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たいせつなのは、安心した暮らしを得ようとすること。得られること。
日々の暮らしが不安や怖れ、苦しみがなく、安心した暮らしであってほしい。
そのために宗教は存在する。
そうして、信ずることで安心はえられるかもしれないが、反面、恐怖で縛られることもある。
こういうことをしたら、神仏の怒りをかう、バチが当たる、不幸になる。
功徳とバチの二つに縛られる。
安心と恐怖のダブルバインドにもなりうる。
なにも信じなくたって、安心した暮らしはえられる。
いま流行りのマインドフルネス、あるいは初期仏教などは、とくに神仏を信じることではない。ただただ、いまここの瞬間に価値観を入れないで気づいているだけ。そのことで、安心をえられるという道もある。
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まあ、人それぞれ。縁にしたがって、導かれていく。すべては学び。
ぼくは、こういう性格なので、いろいろと探求し実践をためしながら生きていく、そして死んでいく。