過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

機内にお金を忘れてしまったインドの旅 さあ、どうなる

ふたりで一緒に夕食してたら(おかずは、もやし炒めだけだった)、

「お父ちゃん、飛行機の中にお金を忘れたことがあるんでしょう?」

あかりが聞いてきた。

───ああそうだ、そういうことがあったなぁ。思い出した。

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会社をやめて次の会社に移るのに一ヶ月余裕があった。それを利用してインドの旅に出たのだった。

航空運賃は安いのを選ぶ。イラク航空にした。当時、イラク航空、パキスタン航空、エジプト航空が「飛ぶ棺桶」の御三家と呼ばれていた。

イラク航空は機内搭乗の際に、入り口で厳しいボディチェック。客室乗務員がものすごく威張っていた。ま、安いからいいか。なんと座席はオールフリー。

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まずはバンコク。そこから安いチケットでカルカッタに行くという予定であった。

バンコクに着く頃、機内で財布を取り出してお金の計算をしていた。ところが、財布ごと機内に忘れてしまった。

チェックアウトしてから、はじめてそのことに気がついた。だが、イラク航空とやりあっても話が通じない。うむむ、無理と諦めた。

しかし、一ヶ月のインドの旅の旅費がない。せっかくの黄金の休暇が、お金がなくては楽しめない。

ああ、どうしよう----—。

思い立ったのは一つ。

日本人の旅行者にお金を借りる。それしかない。

で、日本人の旅行者がよく来る安売りチケット店の辺りをうろついて、何人かの日本人に声をかけた。ところが、見ず知らずの男に金を貸してくれる人など一人もいない。あたりまえだ。疲れ果てた。しかし、ここで諦めたらいけない。また声をかけてゆく。

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すると声をかけた男が、「貸してくれる人なんてあるわけないでしょう。日本に電話して送金してもらえばいいじゃないですか」と言う。

───ああ、そうか。そういう方法があるのか。

幸い友人の電話番号が控えてある。東京銀行勤務の友人に国際電話して、振り込んでもらうように依頼した。当時は、電話するのもたいへん。GeneralPostalOffice(GPO)をさがしてやっと電話したのだった。

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問題は、どこに送金してもらうかだった。東京銀行バンコク支店か、これから行くインドのカルカッタ支店がいいか。さあどうしよう。

バンコク支店は、安全だろう。しかし、あと数日、手続きのためバンコクにいなくちゃいけない。日にちがもったいない。カルカッタ支店にしようか。しかしインドの銀行って大丈夫かなあ、心配だなあ。

悩んだ、迷った。

なにしろインドだ。もしもお金が宙に浮いてしまったら、まったくお金のない旅になる。それは困る、怖すぎる。

しかし「これは賭けだ」と運を天に任せてカルカッタ支店に送金をお願いした。

それで、バンコクを後にしてカルカッタまで飛行機に乗った。

カルカッタに着いたのは夕方。初めてのカルカッタは、もう夕方で暗い。インド人がたくさん待ち構えている。目ばかり光っているようで、不気味で恐ろしい。

タクシーで、まずはサダルストリートまで。救世軍(サルベーションアーミー)の宿に泊って(一泊50円くらいかなあ)、翌日、東京銀行カルカッタ支店に行った。パスポートを見せたら、お金を渡してくれた。

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ああ、やっと安心。これで、一か月の旅ができる。

友人にお金が届いたことを連絡しなくちゃ。GPOをさがして電話でお礼を告げた。

やれやれ。ついでにここで、記念写真しておこう。

GPOを撮影。カシャン。

------と、シャッターを押したその瞬間。突然、二人の警官に両手を掴まれた。

「撮影は違法だから、フィルムをよこせ」と言う。

「なにをいうのだ、ふざけるな」と言い返しても、相手は短機関銃UZIH&K MP7)をもった警官だ。

やむなく36枚撮りのフィルムを差し出した。

当時のインドは、港湾設備、鉄道、公共の建物を撮影するのは違法で取り締まられるのであった。パキスタンや中国との国境紛争などもあって、取締は厳しかったのだ。

それでフィルムも残り少なくなって、スケッチをしながらの旅となった。