過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いま本は、3冊、制作中。いつも綱渡り。先のことは見えない。

仕事は執筆と編集。企画から原稿、印刷製本、そして流通までやる。
といっても、そもそも編集の基礎があって始めた仕事じゃあない。
会社(カセットテープとビデオテープを製造する最大手)を辞めたのが36歳。それから、一年のインドの旅を続けて道迷う。たまたま2行の求人募集をみて、編プロに入った。
映画づくりやら、雑誌の取材、坊さんのための実務書(寄付を募る模範文例集)など手がけた。おもしろかったよ。一つつくると、人脈ができる。ノウハウが培われる。売出し中でバリバリの中沢新一と後に真言宗のトップを務めた宮坂宥勝さんの対談の司会もした。「空海」の映画づくりもした。いい経験になった。
が、そこは一年でやめて、さあどうしよう。
さいわい渡りに船。縁あってお寺の新聞作り、そしてK大学の新聞作りの仕事を受けるようになった。そのうち東京都の労働新聞も作ったよ。高野山真言宗高野山寺報」の東京支所も務めたこともある。
ところがインドばかり旅をして、ちっとも働かない。ついに貯金も底をついてしまった。
やっぱり安定したしっかり仕事をしなくちゃいけない。といって、サラリーマンはしたくない。なにしようか。
 ▽
そうだ、やっぱり好きで得意なことじゃないと続かない。ということで仏教の本を作ろう。
でも、こちらは本作りはまるで素人だ。
なにをどのように?
思いついたのが、対談集だ。それならなんとかできるかも。でも誰と誰を?
そうだ。宗教評論家のひろさちやさんと、テーラワーダ仏教スリランカのスマナーラ長老の対談集を出そう。ひろさんはインドのカルカッタ空港でばったり遭っていた。スマナサーラさんは、仏教の小さな学習会でよく出会っていた。二人に聞いたら、「ああいいよ」ということであった。
さて出版社は? ひらめいて佼成出版社に電話したら、タイミングよく即オッケー。後出しで企画書。社内会議で正式に了解。
帝国ホテルの一室で10時間のガチンコ対談。3か月かけて原稿にした。出版社は「いい本だね。これでいきましょう」と。しかしだ、最終原稿を見たひろさん。「うーん。この本は出したくないんだ」と。
「池谷君、わるい。ぼくだけの本を作ってほしい。ぼくの本とスマナサーラさんの本と別々に作ればいいじゃないか」。
そう言われて、ひろさんの本作りを始めたのが、仕事のきっかけ。10冊くらい作ったよ。
それから、仏教書、医学書、宗教団体の月刊誌の取材。流れであちこちウィングを伸ばしてきたのだった。
スマナサーラさんの本作りも、3冊。ありがたいことにまだ売れ続けている。いま4冊目の原稿はできた。これから5冊目にとりかかるところ。
 ▽
でもたくさん失敗したよ。自費出版で身体障害の娘さんの本を作ったが、最後の奥付で名前を間違えて全部刷り直し。赤字。
悟ったと言われるE師から出版を依頼されたものの、販売の本気度が足らないので、打ち切られた。
K刊行会の下請けで、戒名の本を作ったものの、なにしろ全部自分でDTPでやった。納品して数日後、ノーテンキにK刊行会に遊びにいくと、なにやら社員総出で作業している。ぼくの作った本のようだ。みんなの視線は氷のように冷たい。
なんと、1ページ分、抜けていたのであった。それをうまく調整して手作業で直していたわけだ。当然、お金は取れない。ひたすら陳謝するしかない。
まあ、そんなこといくつかあったけれど、社長はかわいがってくれた。
 ▽
逆のこともある。ぼくが制作して印刷製本、それを全国書店に発売してもらうには東販の口座がいる。そこでK刊行会に発売依頼した。しかし、ネットで広報するときK刊行会が発行者の名前を間違えたのだった。
「K刊行会からはいままで、寺の寺誌から数冊の本を出してきた。Rさんはよくきてくれた。それなのに、こんなケアレスミスのはゆるしがたい」とG管長とT師。
社長に電話したら「悪いが池谷君。わしは昨年脳梗塞してから、よくわからんのだ。営業のNくんとうまくやってくれ」と。そう言われたら仕方ない。東京まで7時間もかかるし。
「これまでの経緯もあるし、誠意を見せて大至急、あやまりに行くしかないよ」とK刊行会に。営業担当のNさんは、必死で謝罪に吉野まででかけた。本来ならぼくも一緒に行くべきであったが、時間がなかった。
「ふるえながら名刺を渡す人を始めてみたよ」とT師。
 ▽
こんなこともあった。
曹洞宗のいちばんえらいお坊さんのI禅師の本作りで、S社の社長と福井まで取材に行った。が、最終日にS社長と喧嘩になって企画がぺしゃってしまったこともあった。
まあそんなこんな数々の失敗、とりかえしのつかないミスの一例。ありがたいことに、みなさんに許してもらってきたよ。なんとか、こうやってフリーランスで編集の仕事を続けているわけだ。
いま本は、3冊、同時に制作中。いつも綱渡り。先のことは見えない。
マゼランがマゼラン海峡を渡る時、ものすごく不安だったろう。
「荒涼たる岬の後ろに、深い海が開けているのが発見された。しかし、それは、これまでもそうであったように、閉ざされた湾なのかもしれない。「永遠の昔から人間の通ったことのない沈黙した黒い海に、船が音もなくすべりこんでゆくさまは、不思議な幽霊のような光景だったに違いない」とツバイクは書く。(野口悠紀雄『「超整理法」捨てる技術』)